四「うつせみの身」
小君に導かれて空蝉の寝ている部屋に近づいた源氏は、そっと几帳を引き上げて中に入ろうとします。ところが、源氏の君との夢のような一夜が繰り返し蘇って、あの夜以来眠りが浅くなっている空蝉は、源氏の忍び込む気配を敏感に感じ取ったのでした。空蝉がやおら頭を持ち上げて見るとまさにその源氏の君がこちらににじり寄ってくるところではありませんか。隣で寝ている継娘は熟睡しています。さあどうしよう。とっさに空蝉は上に重ねていた小袿を脱ぎ捨てて寝室から滑り出たのでした。
原文で読みましょう。
女はさそこ忘れたまふをうれしきに思ひなせど、あやしく夢のやうなることを、心に離るるをりなきころにて、心解けたる寝だに寝られずなむ、昼はながめ、夜は寝覚めがちなれば、春ならぬこのめも、いとなく嘆かしきに、碁打ちつる君、今宵はこなたにと、いまめかしくうちかたらひて、寝にけり。若き人は、何心なくいとようまどろみたるべし。かかるけはひの、いとかうばしくうちにほふに、顔をもたげたるに、一重うちかけたる几帳の隙間に、暗けれど、うち身じろき寄るけはひ、いとしるし。あさましくおぼえて、ともかくも思ひ分かれず、やをら起き出でて、生絹なる単を一つ着て、すべり出でにけり。
源氏の君が忍び込んでみると、女が一人で寝ています。これ幸いと上にかけている着物を押しやって寄り臥したのですが、どうも雰囲気が違うのです。肌に触れても目を覚まさない所があの繊細な空蝉らしくないし、体つきもこの前より大きい感じがします。「これは空蝉ではない」と気づいたのですが、人違いとわかっても、さっき垣間見した可愛い娘ならこれも悪くないと思い直し、前々からあなたを恋していたのですなどと口説いて一夜を共にしてしまいます。さすが色男源氏です。転んでもただでは起きないということでしょうか。この女性軒端の荻は、この後、源氏の君からの連絡を待ち続けることになります。源氏は夜更けてから空蝉が置いて行ったと思われる薄衣をそっとふところに入れてその場を立ち去ったのでした。近くに寝ていた小君を起こして出てゆくのですが、生憎戸を開けたところで老女房に出くわしてしまいます。部屋から出てゆこうとする小君を見とがめて、「なぜこんな夜中に出かけていくのか」と問い、源氏の姿を見つけて「あれは誰か」と聞いたりします。ただ、この老女は、自分で聞いておきながら、返事を待たず、お腹の具合が悪くて我慢できなくなったのだと言いつつ急いで立ち去ってゆきます。この場面などはストーリーには全く関係ないのですが、時々紫式部はこういう笑い話を挟みます。その場面ちょっとご紹介しましょう。
小君近う臥したるを起こしたまへば、うしろめたう思ひつつ寝ければ、ふとおどろきぬ。戸やをら押しあくるに、老いたる御達の声にて、「あれは誰そ」とおどろおどろしく問ふ。わづらはしくて、「まろぞ」といらふ。「夜中に、こはなぞありかせたまふ」とさかしがりて外ざまへ来。いと憎くて、「あらず。ここもとへ出づるぞ」とて、君を押し出でたてまつるに、暁近き月、隈なくさし出でて、ふと人の影見えければ「またおはするは誰そ」と問ふ。(略)「一昨日より腹を病みて、いとわりなければ、下にはべりつるを、人少ななりとて召ししかば、昨夜まうのぼりしかど、なほえ堪ふまじくなむ」と、うれふ。いらへも聞かで、「あな腹々。今聞こえむ」とて過ぎぬるにからうして出でたまふ。
「あな腹々」というセリフが可笑しいですよね。ともあれ源氏はあぶないところでかろうじて抜け出せたというわけです。二条院に帰り着いて、源氏はことの次第を小君に告げ、御前は本当に子どもでどうしようもないと小君を責めます。そして、しょんぼりしている小君を傍らに寝せ、持ち帰った薄衣を着物の下に入れて床に就いたのでした。この衣をセミの抜け殻に模して彼女は空蝉と呼ばれることになったわけです。眠れぬままに源氏は懐紙に歌を書きつけ小君に託します。この歌で源氏は空蝉に彼女の着物を持ち帰って身近においていることをほのめかしています。実際にその着物を常に身近に置いて見ていたとあります。撫でまわしていたのでしょうかね。その源氏の歌の所から原文で読みましょう。
うつせみの身をかへてける木のもとになほ人がらのなつかしきかな
と書きたまへるを、懐に引き入れて持たり。かの人もいかに思ふらむと、いとほしけれど、かたがた思ほしかへして、御ことづけもなし。かの薄衣は、小袿のいとなつかしき人香に染めるを、身近くならして、見ゐたまへり。
この源氏の歌は「蝉が殻を脱ぐように薄衣だけ残して行ってしまったあなたをそれでもやはり慕わしく思わずにはいられないのです」というような意味でしょうか。本来なら、実際には逢えなかった空蝉より、一夜を共にした軒端の荻あてに後朝の文を出すべきなのですが、こちらには出していません。小君にどこまで話したかはわかりませんが、さすがに全て打ち明けたわけではなさそうです。後朝の文が来ないとなればあの女も気にするだろう、どう思うだろうと気の毒に思ったけれど文はことづけなかったとあります。翌朝、小君が姉のところに行くとまた厳しく叱られ、源氏の君にも姉にも叱責されてかわいそうに小君はもうどうしたらよいのかわからなくなっています。それでも源氏の君が懐紙に書きつけなさった歌をおずおずと取り出して姉に見せたのでした。原文です。
左右に苦しう思へど、かの御手習取り出でたり。さすがに、取りて見たまふ。かのもぬけを、いかに、伊勢のをの海士のしほなれてや、など思ふもただならず、いとよろづに乱れて、西の君も、ものはづかしきここちしてわたりたまひにけり。(略)つれなき人も、さこそしづむれ、いとあさはかにもあらぬ御けしきを、ありしながらのわが身ならばと、取りかへすものならねど、忍びがたければ、この御畳紙の片つ方に、
うつせみの羽に置く露の木隠れて忍び忍びに濡るる袖かな
昨夜自分が脱ぎすべらかした着物が今源氏の手元にある、あんなにも垢じみた、体臭の染み込んだ、着物。その着物が源氏の手元にあると思うだけで空蝉は体がほてるおもいがしたのでした。源氏との一夜、拒みながらも溺れた。その時をひとり繰り返し反芻していたのではないでしょうか。源氏の君から送られた歌に返事するわけには行かないけれど、君のお気持ちが単なる出来心からと言うだけのものではない真面目なものであることを感じて「娘時代であったなら」とまた繰り返し嘆くのでした。そして源氏からの歌の書かれた紙の片隅にひとりこっそりと返歌を書きつけたのでした。思わず独り言をつぶやかずにはいられなかったのです。空蝉が書きつけた歌は「蝉の羽根に置く露が人には見えないように、ひそかに私の袖も涙で濡れているのです」というような意味で、これが彼女の本音ですが、源氏の君にはそれは伝わってはいません。どこまでも強情なつれない女だったとしか思っていません。だからこそ忘れられなかったと書かれています。素直にいうことを聞いてくれていたら、人妻との一時の過ちと言うことで終わっただろうに、このまま負けて終わるのはどうしても許せないとずっと心に掛かっていたと書かれています。軒端の荻が自分からの連絡を待っているだろうことはかわいそうだとは思いつつ放置しています。そうこうするうちに空蝉の夫伊予の介が上京してきました。早速源氏の君の元にも挨拶に来て、娘軒端の荻は人に預けて、妻空蝉を連れて任地に下るつもりだということを話します。それを聞いて源氏は何とかしてもう一度逢瀬を持ちたいと小君に相談し、何度も手紙をことづけるけれども、実現は難しいのでした。ただ、空蝉はこのまま忘れ去られてしまうのも辛くて、この頃となっては折に触れて心の籠ったお返事を差し上げたのでした。原文です。
女をばさるべき人にあづけて、北の方をば率て下りぬべしと、聞きたまふに、ひとかたならず心あわたたしくて、今一度はえあるまじきことにやと、小君をかたらひたまへど、(略)今さらに見苦しかるべし、と思ひ離れたり。さすがに絶えて思ほし忘れなむことも、いといふかひなく、憂かるべきことに思ひて、さるべきをりをりの御いらへなど、なつかしく聞こえつつ、なげの筆づかひにつけたる言の葉、あやしくらうたげに、目とまるべきふし加へなどして、あはれとおぼしぬべき人のけはひなれば、つれなくねたきものの、忘れがたきにおぼす。
たまに届く空蝉からの手紙には源氏の心を打つような歌が書かれていたりして、逢うことはかなわないものの、やはり忘れることのできない女だ、と源氏の君はまた改めて魅力を感じたのでした。この続きは次回にまわしましょう。
文:岸本久美子
【引用】新潮日本古典集成より
次回 第四章 通り過ぎた女君たち 受領の妻空蝉 第五話「別れ」 は2024年10月10日に配信いたします
YouTube動画中の「源氏物語手鑑」につきまして。和泉市久保惣記念美術館デジタルミュージアム許可のもと引用しています🔗