朱雀院四、霞隔つるすみか

澪標、少女

第3章 脇役に徹した男朱雀院 其の四「霞隔つるすみか」

 

  

 

 朱雀帝は年齢はまだ三二歳です。帝の位に即かれたのは二四歳の時でしたから、在位八年と短かったことになります。ずっと体調が悪く、もうこれからどれほども生きてはいられないのではないかという気持ちでしたから、周囲の思惑とは別に、源氏の復帰を機に譲位しようとの気持ちはゆるぎませんでした。そんな朱雀帝にとって一番の気がかりは愛する朧月夜のことでした。朧月夜の父右大臣はすでに世になく、姉の弘徽殿太后も重い病の床に伏しておいでの今、自分が死んでしまえば何の後ろ盾も無くなってしまうと心配なのでした。原文です。
  下りゐなむの御心づかひ近くなりぬるにも、尚侍、心細げに世を思ひ嘆きたまへる、いとあはれにおぼされけり。「大臣亡せたまひ、大宮もたのもしげなくのみあついたまへるに、わが世残り少なきここちするになむ、いといとほしう、名残なきさまにてとまりたまはむとすらむ。昔より人には思ひおとしたまへれど、みづからの心ざしのまたなきならひに、ただ御ことのみなむ、あはれにおぼえける。立ちまさる人、また御本意ありて見たまふとも、おろかならぬ心ざしはしも、なずらはざらむと思ふさへこそ、心苦しけれ」とて、うち泣きたまふ。女君、顔はいとあかくにほひて、こぼるばかりの愛敬にて、涙もこぼれぬるを、よろづの罪忘れて、あはれにらうたしと御覧ぜらる。

 朱雀が生涯を通じて最も愛した女性は朧月夜でした。彼女は源氏とのいきさつがあって、中宮の位を与えることができませんでした。ほかの女御を中宮とする気にはなれなかったためか、朱雀は皇后や中宮を持たなかったのです。そしてここで、彼は朧月夜に向かって、「あなたは昔から私よりももう一人の人に深い思いを寄せておいでだったけれど、私以上にあなたを愛してくれる人はいないよ」と言ってまた泣いています。実によく涙をこぼす人です。帝の涙を見て朧月夜も泣きます。その様子に帝は一層朧月夜へのいとしさが増したのですが、こんなことを言っています。原文です。
  

「などか御子をだに持たまへるまじき。くちをしうもあるかな。契り深き人のためには、今見出でたまひてむと思ふもくちをしや。限りあれば、ただ人にてぞ見たまはむかし」など、行く末のことさへのたまはするに、いとはづかしうも悲しうもおぼえ たまふ。御容貌など、なまめかしうきよらにて、限りなき御心ざしの年月に添ふやうにもてなさせたまふに、めでたき人なれど、さしも思ひたまへらざりしけしき、心ばへなど、もの思ひ知られたまふままに、などて、わが心の若くいはけなきにまかせて、さる騒ぎをさへ引き出でて、わが名をばさらにもいはず、人の御ためさへ、などおぼし出づるに、いと憂き御身なり。

 「私の子をもうけてくださらなかったことが実に残念だ。あの人の子ならすぐにお産みになるのでしょう。でもね、その子は臣下の身分でしかないんだよ。帝にはなれないんだよ」などといっているのです。ずいぶんあからさまな嫉妬発言ではありませんか。この発言からも、朱雀が源氏に対して唯一優越を誇示できることは帝という位であったことがわかります。全てにおいて負け、どの場面でも引き立て役にしかなれなかったが、源氏の持つことの出来なかった帝の位を自分は持ったということだけが彼の誇りだったのです。そんな嫌味を言われても、この時朧月夜はあらためて朱雀の自分への深い愛情を感じ、かつて若さの勢いに任せて、源氏との恋愛沙汰で自分も周囲をも傷つくようなことをなぜしたのかと悔いています。
 朱雀が心惹かれ、長くその面影を大切にしていた女性がもう一人あります。六条御息所の娘です。八年前、伊勢の斎宮となって、旅立つ彼女を涙ながらに見送り、戻ってきたら(戻ってくるのは自分が譲位するときなのですが)必ず自分のものにしたいとずっと思っていました。ですから、譲位する時にはひそかにそれを楽しみにしていたのです。あの可愛らしかった娘がどんなに魅力的な美しい女性になっているだろうかと。ところが、帰京した前斎宮は、朱雀の意に反して、十歳近くも年下の冷泉帝に入内することになってしまいます。源氏が藤壺の宮と申し合わせて、御息所の遺言と偽って、冷泉の元に送り込むことに決めたのでした。源氏は、朱雀院の思いを知りながら、冷泉帝の元におくりこんだのです。朱雀院はその成り行きを残念にも悲しくも思い、この時ばかりは「過ぎにし方の報いか」と源氏を恨む気持ちを持ったのでしたが、黙って諦めるしかなかったのです。口惜しさ悲しさを隠して、前斎宮の入内に際して彼は祝いの品々を届けたのでした。源氏も見るだろうことを意識してそろえられたその品々は目を見張るような豪華なものでした。お召し物や高価なお香などです。
原文です。

  院はいとくちをしくおぼしめせど、人わろければ、御消息など絶えにたるを、その日になりて、えならぬ御よそひども、御櫛の筥、打(うち)乱(みだり)の筥、香壺の筥ども、世の常ならず、くさぐさの御薫物ども、薫(くぬ)衣(え)香(かう)、またなきさまに、百歩(ひゃくぶ)の外を多く過ぎ匂ふまで、心ことにととのえさせたまへり。大臣見たまひもせむにと、かねてよりやおぼしまうけけむ、いとわざとがましかめり。殿もわたりたまへるほどにて、かくなむと女別当御覧ぜさす。ただ御櫛の筥の片つかたを見たまふに、尽きせずこまかになまめきて、めづらしきさまなり。

 院からの贈り物には「神が、離れた仲でいよとおとめになったのでしょうか」というような意味の歌が添えられていました。それを見た源氏の君はさすがに申し訳ない気持ちになり、あながちなことをして優しい院に恨めしい思いをさせてしまったことをちょっと悔いたのでした。ともあれ、前斎宮は冷泉帝の元に入内し、寵愛を受けて後には中宮となったのでした。
 それから五年の歳月が流れた春のある日、冷泉帝が院を訪問されるという行事がありました。太政大臣となっている源氏をはじめ多くの親王上達部がお供する大掛かりな行幸です。ひっそりと静かな日々を送っていた朱雀院にとって晴れがましくうれしいことで、精一杯御殿を磨き、衣装も整えてお迎えしたのでした。原文で読みましょう。院の上が朱雀院、大臣とあるのが源氏の君です。

  きさらぎの二十日あまり、朱雀院に行幸あり。(略)人々の装束、用意、常にことなり。院も、いときよらにねびまさらせたまひて、御さま、用意なまめきたるかたに進ませたまへり。(略)春鶯囀舞ふほどに、昔の花の宴のほどおぼし出でて、院の帝、「またさばかりのこと見てむや」とのたまはするにつけて、その世のことあはれにおぼし続けらる。舞ひ果つるほどに、大臣、院に御土器参りたまふ。
   鶯のさへづる声は昔にてむつれし花の蔭ぞかはれる
院の上、
   九重を霞隔つるすみかにも春と告げくる鶯の声

 春鶯囀の舞はかつて桐壺帝の御代に行われた花の宴の折りに源氏が舞った舞です。そのことから皆は過去のその華やかだった宴を思い出して、朱雀院は「またあれほどのことがみられるだろうか」とつぶやきます。それを聞いて源氏は院に盃をすすめつつこんな意味の歌を詠みかけています。「鶯の囀る声は昔と同じですが、時代は変わりましたね」それに応えて院は「それでもきょうは、宮中から遠く離れたいつもはさびしい私のところに帝をはじめ皆さんにおいでいただいて晴れやかな気持ちになれました」というような歌を詠みかえしています。この日は日が暮れてからも賑やかな宴は続き、管弦の遊びとなって、朱雀もこの夜は琴を弾いて楽しんだのでした。
 こういう特別な日もありましたが、譲位後の朱雀院は、普段は朧月夜と静かな日々を送っていたのでした。ただ、ここには母親の弘徽殿太后も同居しており、ますます我儘さを増した老母の相手に院は苦労したと書かれています。そんな我儘に付き合うなんて、朱雀は本当にいい人、親孝行ですよね。








文:岸本久美子
【引用】新潮日本古典集成より


次回2024年2月8日 脇役に徹した男朱雀院 其の五「もの心細く」 
YouTube動画中の「源氏物語手鑑」につきまして。和泉市久保惣記念美術館デジタルミュージアム許可のもと引用しています🔗