一、花の宴

右大臣の娘 朧月夜
一「花の宴」

 

 

 

 通り過ぎた女たちの最後の一人は朧月夜の君です。二人の出会いは光源氏20歳の春の夜のことでした。この日は宮中で満開の桜の下、花の宴が開かれました。宴果てた後、酔い心地の冷めやらぬ源氏は、憧れの人藤壺のいる飛香舎のあたりを彷徨いますが、そちらはしっかり戸締りがしてあって、中の様子を伺うことは出来ません。仕方なく向かい側の弘徽殿に立ち寄ってみると、弘徽殿女御は不在らしくひっそりしていて、細殿の戸がひとつ開いて奥の戸も開いているではありませんか。上がり込んで中を覗いていると、驚いたことに若い女が、一人で、歌いながら近づいてくるではありませんか。この時詠んだ歌から彼女は朧月夜の君と呼ばれることになります。さあ原文で読みましょう。

 (源氏の君が)弘徽殿の細殿に立ち寄りたまへれば、三の口あきたり。女御は、上の御局にやがてまうのぼりたまひにければ、人少ななるけはひなり。奥の枢戸もあきて、人音もせず。かやうにて、世の中のあやまちはするぞかし、と思ひて、やをらのぼりてのぞきたまふ。人は皆寝たるべし。いと若うをかしげなる声の、なべての人とは聞こえぬ、「朧月夜に似るものぞなき」とうち誦して、こなたざまには来るものか。いとうれしくて、ふと袖をとらへたまふ。女、恐ろしと思へるけしきにて、「あな、むくつけ。こは誰そ」とのたまへど、「何かうとましき」とて、
深き夜のあはれを知るも入る月の
おぼろけならぬ契りとぞ思ふ
とてやをら抱きおろして、戸は押し立てつ。

 開けっ放しの戸を見て「なんて不用心なんだ、こんなところで男女のあやまちは起こるのだ」と思ったとありますが、彼自身がそれを実行しました。こんなにうまくいくものでしょうか。ここ、ちょっと笑います。ともあれ、源氏は大喜びで、その女性の袖をつかんで細戸に抱き下ろして母屋に通じる戸を閉めてしまいました。女は怯えて「誰か来て~~」と人を呼ぼうとしますが、源氏は「人を呼んでも無駄だ。私は何をしても許される身だ。おとなしくしていなさい」などと言っています。若い源氏の傲慢さには驚きます。ともあれその声で相手が源氏だとわかると「源氏の君なら、ま、いいか」と朧月夜は抵抗するのをやめたのでした。この朧月夜のミーハーぶりがなかなか面白いですね!
 そうして二人は結ばれるのですが、春の短か夜はやがて明けます。また逢いたいからと名を教えてくれるように頼む源氏に女は歌で応えています。原文で読みましょう。

 「なほ名のりしたまへ。いかでか聞こゆべき。かうてやみなむとは、さりともおぼされじ」とのたまへば、
 「うき身世にやがて消えなば尋ねても
  草の原をば問はじとや思ふ」
   と言ふさま、艶になまめきたり。
 「ことわりや。聞こえ違へたる文字かな」とて、
 「いづれぞと露のやどりを分かむまに
   小笹が原に風もこそ吹け
わづらはしくおぼすことならずは、何かつつまむ。もし、すかいたまふか」とも言ひあへず、人々起き騒ぎ、上の御局に参りちがふけしきども、しげくまよへば、いとわりなくて、扇ばかりをしるしに取りかへて、出でたまひぬ。

 朧月夜の歌は「私がこのまま消えてしまったらあなたは草の原をかきわけてでも探そうとはなさらないのですね」というような意味で、それに対して源氏は「いえいえあなたのお住まいはどこかと探している間に世間の噂になって、二人の仲は駄目になってしまうのではないでしょうか。はぐらかさないで下さい」というのですが、人々が起きだしてあたりが騒がしくなってきたので、取り敢えず扇を交換して源氏はその場を離れたのでした。
 自宅に戻ってから、源氏は昨夜の魅力的だった娘のことについてあれこれ思いを巡らせます。弘徽殿に居たのだから弘徽殿女御の未婚の妹の誰か、五の君か六の君のどちらかだろうかなどと考えていますが、確証はありません。一方の朧月夜(ここでは有明の君と呼ばれています)は源氏の君との夢のような甘いひと時の逢瀬を思い出してもの思いに沈んでいます。それもそのはず彼女は四月に春宮の元に入内することが決まっているのです。そんな折、右大臣の館で藤の花の宴が開かれ、源氏の君も是非にと招待されたのでした。源氏はこの前の女君が誰かを突き止めるチャンスだと期待して出かけます。こんな時しか右大臣家を訪問する機会はありませんから。日が暮れてから現れた源氏の君は、ほかの男たちとは異なるしゃれた王族姿で花の色香もけおされる華やかさでした。原文で紹介しましょう。

  かの有明の君ははかなかりし夢をおぼしいでて、いともの嘆かしうながめたまふ。春宮には、卯月ばかりとおぼしさだめたれば、いとわりなうおぼし乱れたるを、男も、尋ねたまはむにあとはかなくはあらねど、いづれとも知らで、ことにゆるしたまはぬあたりにかかづらはむも、人わるく思ひわづらひたまふに、弥生の二十余日、右の大殿の弓の結に、上達部、親王たち多くつどへたまひて、やがて藤の宴したまふ。(略)御装ひなどひきつくろひたまひて、いたう暮るるほどに、待たれてぞわたりたまふ。(源氏の君は)桜の唐の綺の御直衣、葡萄染の下襲、裾いと長く引きて、皆人はうへのきぬなるに、あざれたるおほきみ姿のなまめきたるにて、いつかれ入りたまへる御さま、げにいと異なり。花のにほひもけおされて、なかなかことざましになむ。

 やがて宴もたけなわとなったころ源氏の君は酔ったふりをして大臣家の女たちが詰めている所に近づき「扇をとられてつらいことだ」と声を掛けてみます。この前の娘が聞いていれば反応するだろうと思ったのです。すると中からため息が聞こえます。そこに近づいて手を捉えて歌を詠みかけると歌が返ってきました。この人だったとわかり胸が高鳴るのですが、この場ではどうすることもできないのでした。そのあたりを原文で読みましょう。

  夜すこしふけゆくほどに、源氏の君、いたく酔ひなやめるさまにもてなしたまひて、
まぎれ立ちたまひぬ。(略)いづれならむと、胸うちつぶれて、「扇をとられてからきめを見る」と、うちおほどけたる声に言ひなして、寄りゐたまへり。「あやしくも、さまかへける高麗人かな」と答ふるは、心知らぬにやあらむ。答へはせで、ただ時々、うち嘆くけはひするかたに寄りかかりて、几帳ごしに手をとらへて、
  「あづさ弓いるさの山にまどふかな
    ほの見し月のかげや見ゆると
   何ゆゑか」と、おしあてにのたまふを、え忍ばぬなるべし、
    心いるかたならませばゆみはりの
   月なき空にまよはましやは
と言ふ声、ただそれなり。いとうれしきものから。

源氏の歌は「月の沈んだ山のほとりで道に迷っています。ほのかに見た月の光を探し求めて」と言うような意味、それに対して女は「深いお心があれば月などなくても道に迷ったりするはずがありません」と返しています。今回はここまでといたしましょう。











文:岸本久美子
【引用】新潮日本古典集成より


次回は、第四章 通り過ぎた女君たち シリーズ最終 其の六右大臣家の娘朧月夜 二「暁月夜」 2026年1月22日~配信です。
YouTube動画中の「源氏物語手鑑」につきまして。和泉市久保惣記念美術館デジタルミュージアム許可のもと引用しています🔗