没落宮家の姫君末摘花
三「賢菩薩の乗物」
源氏が初めて常陸宮の姫君の元を訪れたのは八月二十余日のことでした。姫の様子にすっかり失望した源氏の足は遠のき一か月ほどがそのまま過ぎてしまいました。命婦は姫君が気の毒でたまらず、がまんできなくて源氏の元を訪れたのでした。原文です。
行幸近くなりて、試楽などののしるころぞ、命婦は参れる。「いかにぞ」など問ひたまひて、いとほしとはおぼしたり。ありさま聞こえて、「いとかうもて離れたる御心ばへは、見たまふる人さへ心苦しく」など、泣きぬばかり思へり。心にくくもてなして止みなむと思へりしことを、くたいてける、心もなくこの人の思ふらむさまをさへおぼす。正身の、ものは言はでおぼしうづもれたまふらむさま思ひやりたまふも、いとほしければ、「いとまなきほどぞや。わりなし」とうち嘆いたまひて、(略)この御いそぎのほど過ぐしてぞ、時々おはしける。
命婦に責められて、確かに命婦の思惑を無視して勝手に姫君に手を出してしまったのは悪かったと姫君を気の毒にも思って、宮中の行事が終わって少し暇になってからは、気が進まないながら、時折常陸宮邸を訪れたのでした。姫君の様子は相変わらずで、黙り込んでいるばかりで、ほとんど反応がないのです。どうにかしてどこかに魅力を感じることができないものかと思い、或るときは突然訪ねて、まず垣間見を試みたのでした。源氏の目に映ったのはお仕えする老女房たちが、みすぼらしい姿で寒さにふるえながら粗末な食事をとる光景でした。原文で読みましょう。
御台、秘色やうの唐土のものなれど、人わろきに、何のくさはひもなくあはれげなる、まかでて人々食ふ。(略)「あはれ、さも寒き年かな。命長ければ、かかる世にも逢ふものなりけり」とて、うち泣くもあり。「故宮のおはしましし世を、などてからしと思ひけむ。かく頼みなくても過ぐるものなりけり」とて、飛び立ちぬべくふるふもあり。さまざまに人わろきことどもを愁へあへるを聞きたまふも、かたはらいたければ、たちのきて、ただ今おはするやうにて、うちたたきたまふ。
この垣間見で源氏は、常陸宮邸の生活実態を知ってしまいます。女房たちの泣き言を耳にしてしまった源氏はいたたまれなくなってそっとその場を離れて、今来たというふうを装って格子を叩いたのでした。老女房たちが慌てて明かりを用意して源氏を中に入れたのですが、この夜は激しく吹雪いて部屋の中にも風が吹き込みやがて明かりも消えてしまいます。女房は起きてこず、たいそう不気味なのですが、姫君はこわがって寄り添ってくるでもなく相も変らぬ不愛想な態度です。明け方になるのを待ってさっさと帰ってしまおうと思うのですが、源氏が格子をあげて外を見ると、庭は荒れ果てて一面雪で覆われ、いかにも寂しげな様子なのです。なんとなくこのまま振り捨てて帰るのもかわいそうになって、姫を外に近いところに誘います。まだこの人の顔は見ていないのです。もしかしたら近勝りするかもしれないという期待もありました。姫は動こうともしなかったのですが、女房達に勧められて端近なところまでいざり出てきます。原文です。
とかう引きつくろひて、ゐざり出でたまへり。見ぬやうにて、外のかたをながめたまへれど、後目はただならず。いかにぞ、うちとけまさりのいささかもあらばうれしからむとおぼすも、あながちなる御心なりや。まづ居丈の高う、を背長に見えたまふに、さればよと、胸つぶれぬ。うちつぎて、あなかたはと見ゆるものは、御鼻なりけり。ふと目ぞとまる。普賢菩薩の乗物とおぼゆ。あさましう高うのびらかに、先のかたすこし垂りて色づきたること、ことのほかにうたてあり。色は雪はづかしく白うて真青に、額つきこよなうはれたるに、なほ下がちなる面やうは、おほかたおどろおどろしう長きなるべし。痩せたまへること、いとほしげにさらぼひて、肩のほどなどは、いたげなるまで衣の上まで見ゆ。何に残りなう見あらはしつらむと思ふものから、めづらしきさまのしたれば、さすがにうち見やられたまふ。
もしかしたら、思ったよりも美しい方だったということになるかもしれないという期待もみごとに裏切られてしまいました。なんでこんなにすっかり見てしまったのかと源氏は後悔しますが、後の祭りです。
ところで、この姫君は末摘花と呼ばれることになりますが、それは、この朝、源氏が見てしまった姫君の赤い鼻に由来する名前です。末摘花とは紅花の別名で、紅色の染料をとるこの花は末から順に摘むことから付いたものです。また、普賢菩薩の乗物という表現がありましたが、普賢菩薩は象に乗っています。姫の鼻は象の鼻みたいだったというわけです。
お顔だけではありません。お召し物もひどいものでした。色あせた着物の上からなんと毛皮を着ておいでなのです。まあこの粗末な屋敷は寒いので仕方がないかもしれませんが、姫君の着るものではありません。趣味の悪さに源氏の失望は一層大きくなったのでした。それでも唯一評価できるものがありました。髪です。髪だけは申し分ない美しさでたっぷり垂れていたのでした。源氏は、さっさと帰ろうと思うのですが、こうして明るい所で顔も見合ったことなので、打ち解けて何か言って下さるかもしれないと歌を詠みかけます。原文です。
さすがにうち笑みたまへるけしき、はしたなうすずろびたり。いとほしくあはれにて、いとど急ぎ出でたまふ。「たのもしき人なき御ありさまを、見そめたる人には、うとからず思ひむつびたまはむこそ、本意あるここちすべけれ。ゆるしなき御けしきなれば、つらう」など、ことづけて、
朝日さす軒の垂氷は解けながら
などかつららの結ばほるらむ
とのたまへど、ただ「むむ」とうち笑ひて、いと口重げなるもいとほしければ、出でたまひぬ。
あきれたことに末摘花からの返歌はなく、ただ「むむ」と笑っただけでした。
こうして、常陸宮家の経済実態と、どうにも救いようの無い姫の様子を目の当たりにしてしまった源氏は、普通の若い男性とは異なる反応をします。これほどでなければ自分が見捨てても誰かがお世話してくれるかもしれないが、この様子では、自分以外の誰が面倒を見るだろうと思って経済的な支援をすることにしたのでした。そのあたり原文で読みましょう。
世の常なるほどの、異なることなさならば、思ひ捨てても止みぬべきを、さだかに見たまひてのちは、なかなかあはれにいみじくて、まめやかなるさまに、常におとづれたまふ。黒豹の皮ならぬ絹、綾、綿など、老人どもの着るべきもののたぐひ、かの翁のためまで、上下おぼしやりてたてまつりたまふ。かやうのまめやかごともはづかしげならぬを、心やすく、さるかたの後見にてはぐくまむと思ほしとりて、さまことに、さならぬうちとけわざもしたまひけり。
末摘花が、男が着るような毛皮を身に着けていたことから、その代わりになるようにと絹や綾や綿、そして老女房たちの着物や門番の老人のものまであれこれと実用的なものを届けさせたのでした。
源氏が末摘花に失望し、全く情愛を感じることができなかったのはなぜでしょうか。容貌が醜いことは実はそれほど大きな欠点ではありません。彼女は髪が美しく、かしらつきも美しいと書かれているのだから、当時の美人の条件を一定備えているともいえます。にもかかわらず源氏が全く魅力を感じることが出来なかったのはなぜでしょう。ちょっと原文でその説明をしているところを読みましょう。
かの空蝉の、うちとけたりし宵の側目には、いとわろかりし容貌ざまなれど、もてなしに隠されてくちをしうはあらざりきかし、劣るべきほどの人なりやは、げに品にもよらぬわざなりけり
ここで、源氏は、空蝉を末摘花と比較しています。空蝉は不美人であったけれど、身のこなしや言葉の受け答え、いわゆる「もてなし」でカバーされていたと思い出しています。末摘花は空蝉よりは身分も高い姫君のはずなのに、そういう対応ができませんでした。センスの良いやりとりができれば、気の利いた会話が成立すれば、それでよいのです。はっきりと容貌は美しくないと書かれた空蝉がなお魅力的であったのは、それらによるのでした。光源氏というととかく美人を漁っていたようなイメージがありますが、必ずしもそうではないのです。まあいずれにしても、この時代は暗い所でしか逢いませんから、声や言葉遣い、話の中身が大切だったでしょうね。さあ今回はここまでです。
文:岸本久美子
【引用】新潮日本古典集成より
次回、通り過ぎた女君たち第四章其の五 四「唐衣」2025年11月27日配信です。
YouTube動画中の「源氏物語手鑑」につきまして。和泉市久保惣記念美術館デジタルミュージアム許可のもと引用しています🔗