十九、若菜

若菜上

若菜

 六条院への行幸の後、朱雀院は体調を崩し、出家を考えるようになりました。六条院で、源氏の君の自信に満ちた栄華に輝く姿を目の当たりにしたことで、精神的な打撃を受けたのも一因かもしれません。いざ出家の準備を始めてみると、気がかりなのは、母親がなくなり、後見するもののない愛娘、女三宮のことでした、十三,四というから決して幼いという年ではないわけですが、年齢よりは幼い姫でした。そのいとけなさ故に一層可愛さも募り、院はこの娘のことが心配で心配でたまりません。誰か安心して任せられる人はいないかとあれこれ候補を挙げて乳母たちにも相談します。

  姫君のいとうつくしげにて、若く何心なき御ありさまなるを見たてまつりたまふにも、「見はやしたてまつり、かつはまだ片生ひならむことをば、見隠し教へきこえつべからむ人の、うしろやすからむにあづけきこえばや」など聞こえたまふ。

 噂を聞いて蛍兵部卿、柏木をはじめ女三宮を所望する方々は多くありました。玉鬘の時と同じようなメンバーが顔をそろえています。ことに柏木は強く希望し、父太政大臣、叔母朧月夜からも口添えがありましたが、院からは、若すぎるということで相手にしてもらえませんでした。柏木はなんとかして女三宮を、という気持ちを捨てきれないわけですね。それがこの後の展開につながっていきます。結局、朱雀院が、安心して幼い娘を預けられる人物として選んだのは源氏でした。源氏の君の手で、かつて紫の上を育て上げたように、立派に教育してほしいと思ったのです。自分より三歳しか年下でない弟を娘の婿に選ぶのは少々奇妙な感じもしますが、朱雀院の頭には、源氏の君以上の男は浮かばなかったのです。
 そして、見舞いに訪れた源氏に朱雀院はこの娘のことを頼み、源氏はためらいつつも承諾したのでした。源氏が了承したのは何故か。そこには、病身の院からのたっての頼みであるゆえ断りにくかったということもありますが、源氏の君の好き心も働いたかと思われます。女三宮の母親は、藤壺の宮の腹違いの妹で、つまり、女三宮は藤壺の姪、しかも高貴な方であるゆえ、紫の上以上に藤壺の面影を宿す女性かもしれないという期待、そして、皇女という身分へのこだわりも働いたと思われます。しかし、この頼みを引き受けた後では、そのことが、紫の上の地位をどう脅かすことになるかという点に考えがおよび、悩むことになります。承諾して帰った夜、紫の上にどう話したら良いのか、と悩みながら源氏は打ち明けることの出来ぬまま、紫の上の隣で苦しい夜を明かしたのでした。原文で読みましょう。六条の院と呼ばれているのが源氏の君です。




  六条の院は、なま心苦しう、さまざまおぼし乱る。紫の上も、かかる御定めなど、かねてもほの聞きたまひけれど、さしもあらじ、前斎院をもねむごろに聞こえたまふやうなりしかど、わざとしもおぼしとげずなりにしを、などおぼして、さることやある、とも問ひきこえたまはず、何心もなくておはするに、いとほしく、このことをいかにおぼさむ、わが心はつゆも変るまじく、さることあらむにつけては、なかなかいとど深さこそまさらめ、見定めたまはざらむほど、いかに思ひ疑ひたまはむ、などやすからずおぼさる。今の年ごろとなりては、ましてかたみに隔てきこえたまふことなく、あはれなる御仲なれば、しばし心に隔て残したることあらむもいぶせきを、その夜はうち休みて明かしたまひつ。

 紫の上は、それとなく耳にはしているけれど、朝顔斎院の時も大丈夫だったのだから、今回も噂だけに終わるだろうとおっとり構えていて、源氏の君にそのことについて「どうなの」と聞くこともありません。そんな彼女がかわいそうで、自分の紫の上への愛はどんなことがあってもかわりはしないけれど、それがわかるまではきっと心配なさるだろうと気にして、この件を言い出すことができずにいます。この頃となっては互いに何の隠し事もないこころの通い合った日々でしたから、隠しているのも辛くて、翌日源氏は女三宮の件を紫の上に告げたのでした。紫の上がどれほど動揺するかと心配した源氏の予想を裏切って、彼女は表向きは平然とその告白を聞いたのでした。もちろん心のうちには嵐が吹き荒れていました。朝顔の斎院との結婚が世間の人々の口の端に上った八年あまり前、紫の上が受けた衝撃、心の底で眠っていた不安、源氏に対する不信感が今蘇り、増幅するのでした。
 さて、その年が明けて、源氏の君が四十の賀を迎える年となりました。当時は算賀といって、四十歳から十年ごとに祝う風習がありました。四十の賀は今の還暦くらいの感じでしょうか。一月の末には早速玉鬘が賀を催し、若菜を献じました。若菜は不老長寿の祈りをこめたものです。この賀宴はたいそう盛大なものでした。玉鬘は髭黒大将との間にできたふたりの男の子を連れてきました。何年かぶりで会う玉鬘の、今ではすっかり髭黒の北の方におさまっている姿に源氏は複雑な思いを抱いたのでした。

 二月になって、いよいよ女三宮が六条院へ降嫁しておいでになりました。たいそう華やかな儀式、饗宴が続きます。原文です。

  かくてきさらぎの十余日に、朱雀院の姫君、六条の院へわたりたまふ。 この院にも、御心まうけ世の常ならず。(略)三日がほど、かの院よりも、主人の院方よりも、いかめしくめづらしきみやびを尽くしたまふ。対の上(紫の上)もことに触れてただにもおぼされぬ世のありさまなり。(略)姫宮は、げにまだいと小さく、片なりにおはするうちにも、いといはけなきけしきして、ひたみちに若びたまへり。

 御降嫁の華々しさに気おされる紫の上の胸のうちで不安は膨らみます。けれども自らの矜持にかけても取り乱すわけにはゆかず、六条院の秩序を維持する努力を重ねなければなりません。女三宮のことで、源氏の君を非難する女房たちに対して紫の上は「私はこういうお若い方が来てくださって嬉しいのよ」と言ったりしています。けれども、新婚の三晩、続けて源氏の君が宮の元へ通って不在であった夜は、そっと床の中で涙をふいていたのでした。
 源氏の君の外泊は随分久しぶりのことでした。三日目の朝は雪でした。紫の上のことが気になって、宮の所からまだ暗いうちに戻って来た源氏の君ですが、戸を叩いても、女房たちは意地悪してすぐには開けません。その場面少し原文を読みましょう。

  雪は所々消え残りたるが、いと白き庭の、ふとけぢめ見えわかれぬほどなるに、「なほ残れる雪」と忍びやかに口ずさびたまひつつ、御格子うちたたきたまふも、久しくかかることなかりつるならひに、人々も空寝をしつつ、やや待たせたてまつりて、引きあげたり。「こよなく久しかりつるに、身も冷えにけるは。懼ぢきこゆる心のおろかならぬにこそあめれ。さるは罪もなしや」とて、御衣ひきやりなどしたまふに、すこし濡れたる御単の袖をひき隠して、うらもなくなつかしきものから、うちとけてはたあらぬ御用意など、いとはづかしげにをかし。限りなき人と聞こゆれど、難かめる世を、とおぼしくらべらる。

 やっと部屋に入れてもらって、紫の上の布団をめくってみると、彼女は涙に濡れた袖を懸命に隠して何気ない風をみせようとするのです。そんな彼女の様子を、ついつい先ほど別れて来た宮の用意なさと比べてしまう源氏でした。
 朱雀院は源氏に娘を託して安心して出家しますが、この娘の幼さ、物足りなさに源氏はおおいに失望し、あらためて紫の上をすばらしい女性と見直します。けれども紫の上にそれは伝わらず、また源氏としては、女三宮に愛情が湧かずとも、身分高い方をなおざりにするわけには行かず、表向きは大切に扱わざるをえません。この息苦しさの中で源氏は、久々に朧月夜との逢瀬を求めたのでした。心を開放してくれる女性が欲しかったのです。当然のことながら、そのことは紫の上に更なる悲しみをもたらしました。
 十月になって、紫の上主催の源氏四十賀が行われました。宴席では、源氏の息子の夕霧と昔の頭中将の息子の柏木が舞の最後を飾りました。かつての朱雀院行幸の折の、紅葉の賀を知る人々は、当時の源氏の中将と頭中将が舞った青海波をまぶたに蘇えらせ、親の代から子の代へと引き継がれた高貴な仲らいにも感動し、賞賛を惜しみませんでした。原文です。権中納言とあるのが夕霧、衛門の督とあるのが柏木です。


   未のときばかりに楽人参る。万歳楽、皇じゃうなど舞ひて、日暮れかかるほどに高麗の乱声して、落蹲の舞ひ出でたるほど、なほ常の目馴れぬ舞のさまなれば、舞ひ果つるほどに、権中納言(夕霧)、衛門の督(柏木)おりて、入綾をほのかに舞ひて、紅葉の蔭に入りぬる名残、飽かず興ありと人々おぼしたり。いにしへの朱雀院の行幸に、青海波のいみじかりし夕思ひ出でたまふ人々は、権中納言、衛門の督の、また劣らず立ち続きたまひにける世々のおぼえありさま、容貌用意などもをさをさ劣らず、官位はやや進みてさへこそなど、齢のほどをも数へて、なほさるべきにて、昔よりかく立ち続きたる御仲らひなりけりと、めでたく思ふ。主人の院も、あはれに涙ぐましく、おぼし出でらるることども多かり。


 源氏自身も、今目の前で舞う二人の姿が頭中将と自分の若いころの姿と重なって感無量で、涙を抑えることができませんでした。
年末には秋好中宮主催の祝宴があり、続いて帝の意を受けて、夕霧が代行する祝宴が盛大に行われました。この時は太政大臣(かつての頭中将)も参加、源氏の君と太政大臣は合奏しながら昔の親友時代を思って涙したのでした。

 こうしておめでたい賀の儀式が引き続いた翌年の三月には明石姫の御子が誕生しました。男の子でさえありましたから源氏の君はじめ周囲の喜びは一通りではありません。紫の上もこの孫を可愛がって、抱きまわして放そうとしなかったとあります。
さて、ここまでの所で、六条院は身分高い妻を新たに迎え、また、東宮に入内した源氏の娘明石姫は、男児を出産。次代の帝がこの家から出ることも確実になりました。

 繁栄と幸福が六条院を包んでいます。外面的にはそのように見える六条院の世界ですが、実は内部では徐々にひび割れがひろがっていたことを読者は後に知ることになります。







文:岸本久美子
【引用】新潮日本古典集成より


次回「満願」2021年11月19日配信
YouTube動画中の「源氏物語手鑑」につきまして。和泉市久保惣記念美術館デジタルミュージアム許可のもと引用しています🔗