通り過ぎた女たちその6 右大臣の娘朧月夜
三「神鳴る夜」
源氏24歳の晩秋です。しばらく関係の途絶えていた朧月夜から文が届いたのでしたね。女の方から文を送るというのはあまりないことで、朧月夜の慣習にとらわれない積極的な性格を表す行為でしょう。その手紙の返事を書くために、源氏は、使いの者を待たせて紙と筆を時間を掛けて選んだとありました。そしてその返事はこんなものでした。ちょっと原文をご紹介しましょう。
きこえさせてもかひなきものごりにこそ、むげにくづほれにけれ。身のもの憂きほどに、
あひ見ずてしのぶるころの涙をも
なべての空の時雨とや見る
心の通ふならば、いかにながめの空ももの忘れしはべらむ
「お便りしても甲斐のないのに懲りてひどく弱気になってしまいました」と前置きして、今「降っている時雨はあなたに逢えないのがつらくてあなたを思って泣いている私の涙なのですよ」と歌に詠んでいます。そして「お互いの心が通い合うなら、物思いを誘う時雨が降ろうとも心の憂さを忘れることができるのではないでしょうか」と付け加えています。なかなか心の籠ったお返事です。まあ、このところ日陰の存在となっている源氏にしてみれば、今では帝の愛妻という座にある朧月夜から恋文がとどくというのは、かなり嬉しいことだったでしょう。
それはともあれ、桐壺院が亡くなってから時間がたつにつれて、右大臣側の勢力は、
一層強まり、光源氏をはじめ、左大臣側の者は昇進もなく、政界からはおいてきぼりになって、鬱々とした日々を過ごしていました。
そんな情勢の中、朧月夜が宮中から退出して右大臣家に里下がりするという出来事
が起こりました。病気を治すための加持祈祷などを気安く行うためでした。しばらくは病気を治すことに専念していましたが、少し体調が良くなると、チャンスとばかり朧月夜は源氏を呼び寄せて密会を繰り返したのでした。原文で読みましょう。
そのころ尚侍の君まかでたまへり。瘧病に久しうなやみたまひて、まじなひなども心やすくせむとてなりけり。修法などはじめて、おこたりたまひぬれば、誰も誰もうれしうおぼすに、例の、めづらしき隙なるをと聞こえかはしたまひて、わりなきさまにて夜な夜な対面したまふ。いと盛りに、にぎははしきけはひしたまへる人の、すこしうちなやみて、痩せ痩せになりたまへるほど、いとをかしげなり。后の宮も一所におはするころなれば、けはひいと恐ろしけれど、かかることしもまさる御癖なれば、いと忍びて、たびかさなりゆけば、けしき見る人々もあるべかめれど、わづらはしうて、宮にはさなどは啓さず。
この右大臣家は弘徽殿太后の里でもあります。ですから、同じ屋敷に宮中から下がった太后も住んでいました。危険にもほどがあります。けれども、光源氏という男は原文にあるように、危険を冒していると思えばますます興が高まる性分なのです。そんなわけで密会は何度も繰り返されました。そのために、周囲にはうすうす気づいていた者もありましたが、煩わしいので、皆、見て見ぬふりをして、そのことを弘徽殿女御に告げ口する者はなかったとあります。
ところがそんなある夜、明け方近くなって、急に激しい雷雨が京を襲いました。源氏はいつものように夜深いうちに抜け出そうとしたのですが、二人が寝ている御帳台の周りに女房たちがびっしり集まってきて、しかも部屋中、人が立ち騒いでとても出て行ける状況ではありません。そのうちに夜が明けてしまいました。さあ困った。その部分原文で読みましょう。
大臣はた思ひかけたまはぬに、雨にはかにおどろおどろしう降りて、神いたう鳴りさわぐ暁に、殿の君達、宮司など立ちさわぎて、こなたかなたの人目しげく、女房どもも懼ぢまどひて近うつどひ参るに、いとわりなく、出でたまはむかたなくて、明け果てぬ。御帳のめぐりにも、人々しげく並みゐたれば、いと胸つぶらはしくおぼさる。心知りの人二人ばかり、心をまどはす。
源氏の手引きをした二人の女房は動揺していますが、手の打ちようがありません。そのうちに右大臣がやってきました。部屋の御簾を上げながら中に体が半分入った状態で「大丈夫だったか。心配して見に来たぞ」などと言っています。朧月夜は帳台からいざり出て返事をしようとするのですが・・・・。原文で読みましょう。
神鳴りやみ、雨すこしをやみぬるほどに、大臣わたりたまひて、(略)軽らかにふとはひ入りたまひて、御簾引き上げたまふままに、「いかにぞ。いとうたてありつる夜のさまに、思ひやりきこえながら、参り来でなむ。」(略)尚侍の君、いとわびしうおぼされて、やをらゐざり出でたまふに、面のいたう赤みたるを、なほなやましうおぼさるるにやと見たまひて、「など御けしきの例ならぬ。もののけなどのむつかしきを、修法延べさすべかりけり」とのたまふに、薄二藍なる帯の、御衣にまつはれて引き出でられたるを見つけたまひて、あやしとおぼすに、また畳紙の手習ひなどしたる、御几帳のもとに落ちたりけり。
さすがの朧月夜も動揺して顔が赤くなっています。それだけなら良かったのですが、あろうことか、朧月夜の着物に男物の帯が纏わりついていて、彼女と一緒に出てきてしまったのです。しかも几帳の所に、歌の書かれた男の使う畳紙が落ちているのまで見つかってしまいました。まさか娘がそんな不埒なことをしているとは思いもしなかった父は驚いて、これは何だ!誰のものだ!と叫びます。こういう時に冷静にことを荒立てないようにするなどということのできない人です。ごまかしようもなく動揺している娘の気持ちなど無視して帳台の中をのぞきこんだのでした。その部分原文で読みましょう。
これはいかなる物どもぞと御心おどろかれて、「かれは誰がぞ。けしき異なるもののさまかな。たまへ。それ取りて誰がぞと見はべらむ」とのたまふにぞ、うち見かへりて、われも見つけたまへる。まぎらはすべきかたもなければ、いかがはいらへきこえたまはむ。われにもあらでおはするを、子ながらもはづかしとおぼすらむかしと、さばかりの人はおぼし憚るべきぞかし。されどいと急に、のどめたるところおはせぬ大臣の、おぼしもまはさずなりて、畳紙を取りたまふままに、几帳より見入れたまへるに、いといたうなよびて、つつましからず添ひ臥したる男もあり。
几帳をめくって中を覗き込むと、そこには、よく知った男が、源氏の君がしれっと色っぽい姿で横になっているではありませんか。右大臣はどう反応したとお思いになりますか。いくら彼でもこの場で大声で「こらあ源氏の大将、貴様こんなとこで何しとるんだ」とことを荒立てることはできません。どうしたのか原文でその辺りを読みましょう。
大将殿とあるのが源氏です。
今ぞ、やをら顔ひき隠して、とかうまぎらはす。あさましう、めざましう心やましけれど、直面にはいかでかあらはしたまはむ。目もくるるここちすれば、この畳紙をとりて、寝殿にわたりたまひぬ。尚侍の君は、われかのここちして死ぬべくおぼさる。大将殿も、いとほしう、つひに用なきふるまひのつもりて、人のもどきを負はむとすることとおぼせど、女君の心苦しき御けしきを、とかくなぐさめきこえたまふ
今更のように源氏は顔をそっと隠すような仕草をしますが、もう正体ははっきり知られています。右大臣は怒り狂って、頭がくらくらしてどうしてよいかわからず、証拠の畳紙を手に弘徽殿太后の元へ走ったのでした。気が動転してくったりしている朧月夜を慰め励ましながら、源氏は心のうちで、「つまらないふるまいが重なって、とうとう世の非難を受けて身を滅ぼすことになるのだな」と思ったとあります。
実際この後、走って来た右大臣から報告を受けた太后は良いチャンスがやってきたとばかりにほくそえみます。これを利用して完全に源氏を追放してしまおうと考えたのです。太后にしてみれば源氏に対しては怨み骨髄に達する思いです。源氏の母桐壺更衣には帝の愛を奪われ、息子朱雀帝の元にと思った左大臣の娘葵上は源氏に奪われ、しかも朱雀帝の妃となるはずだった妹朧月夜を傷物にされた・・・・・。思えば弘徽殿太后の、この際復讐を!という気持ちは容易に想像できますね。さて、このあとの展開は次回に。
文:岸本久美子
【引用】新潮日本古典集成より
次回は、第四章 通り過ぎた女君たち シリーズ最終 其の六 右大臣家の娘朧月夜 四「涙河」 2026年2月26日~配信です。
YouTube動画中の「源氏物語手鑑」につきまして。和泉市久保惣記念美術館デジタルミュージアム許可のもと引用しています🔗