義理の母 藤壺の宮
三「御心の鬼」
7月に宮中に戻ってからの藤壺は、心労は尽きないながら、まずは元気で過ごしていました。ちょうどその頃、桐壺帝は上皇御所への盛大な行幸を計画しておいででした。10月10日すぎと予定されていましたが、後宮の女君たちが、その行幸の折りの華やかな催しを見られないと言って悔しがり、また帝の方でもせっかくのこの催しを藤壺の宮がご覧になれないことを残念に思っておいでだったので、その試楽、つまりリハーサルを、事前に宮中、清涼殿のお庭で行うことにしました。 この時もやはり花形は源氏の君でした。原文で読みましょう。
朱雀院の行幸は神無月の十日あまりなり。世の常ならず、おもしろかるべきたびのことなりければ、御方々、物見たまはぬことをくちをしがりたまふ。上も、藤壺の見たまはざらむを、飽かずおぼさるれば、試楽を御前にてせさせたまふ。源氏の中将は、青海波をぞ舞ひたまひける。片手には大殿の頭の中将、容貌、用意、人にはことなるを、立ち並びては、なほ花のかたはらの深山木なり。
源氏の君は青海波を舞いました。そこに、ちょうど夕日がスッポトライトのように、華やかに光を添えます。青海波は二人で舞うのですが、この時の相方は頭の中将が務めました。この青年もなかなかの好青年なのですが、源氏と並ぶと桜の花と並んだ山奥の木みたいだとあります。そして、このあと源氏が吟詠するのですが、その声がまた極楽浄土で鳴くという鳥の声のように美しくその場の人々は感動して皆涙を流したと書かれています。藤壺も、お腹の子供が源氏の子であるというような恐ろしいことがなかったなら、もっとこの素晴らしい舞姿に素直に感動できたであろうに、と思ったのでした。そのあたりを続けて原文で読みましょう。
入り方の日かげ、さやかにさしたるに、楽の声まさり、もののおもしろきほどに、同じ舞の足踏み、おももち、世に見えぬさまなり。詠などしたまへるは、これや、仏の御迦陵頻伽の声ならむと聞こゆ。おもしろくあはれなるに、帝涙を拭ひたまひ、上達部、親王たちもみな泣きたまひぬ。(略)藤壺は、おほけなき心のなからましかば、ましてめでたく見えましとおぼすに、夢のここちなむしたまひける。
宮は、やがて御宿直なりけり。「今日の試楽は、青海波に事みな尽きぬな。いかが見たまひつる」と聞こえたまへば、あいなう、御いらへ聞こえにくくて、「異にはべりつ」とばかり聞こえたまふ。
試楽が終わって藤壺はそのまま帝のお傍で夜を迎えます。帝が藤壺に「きょうの試楽は何と言っても源氏の青海波が最高だったよね、どう思う」と話しかけられたのですが、藤壺はぐっと言葉に詰まり、ただ「結構なものでございました」とだけお答えしたのでした。
さて、前にもお話したことがあるかと思いますが、当時、死と出産はもっとも大きな穢れとされていました。ですから、宮中で出産することは絶対に避けなければならず、早めに里下がりするのが恒例です。藤壺もこの試楽の日からしばらくして三条のお里に退出しました。それを知った源氏は三条の宮を訪問します。御簾ごしにでもお逢いできたらと思って行ったのですが、命婦はじめお付きの女房たちは、源氏に対して他人行儀な対応しかしません。やむを得ず源氏の方も堅苦しい挨拶をして退出したのでした。命婦に対しては藤壺もこの前の一件以来警戒心を抱いて隔てを置いているのでした。そんなわけで、源氏としてはあきらめきれない思いながら、藤壺に接近することはできないのでした。
藤壺がお腹の子を宿したのは、病気で宮中から退出する前ということになりますから、数えてみると12月には月満ちるはずです。帝はじめ皆が待ち構えて宮中でも様々な準備をするのですが、一向にその気配のないままに一月も過ぎてしまいます。世間では物の怪のせいで出産が遅れているのではという噂がささやかれ、藤壺はこれによって密通の件が暴かれるのではないかと不安にさいなまれます。皇子の誕生は二月にずれこんでしまいました。まあ普通に考えてみればおかしなことですが、物の怪は便利なものですね。この時も、結局、物の怪のしわざということで、皆、納得したのでした。原文です。中将の君が源氏です。
この御ことの、師走も過ぎにしが、心もとなきに、この月はさりともと宮人も待ちきこえ、内裏にもさる御心まうけどもあるに、つれなくて立ちぬ。御もののけにやと世人も聞こえ騒ぐを、宮、いとわびしう、このことにより、身のいたづらになりぬべきこととおぼし嘆くに、御ここちもいと苦しくてなやみたまふ。中将の君は、いとど思ひあはせて、御修法など、さとはなくて所々にせさせたまふ。世の中のさだめなきにつけても、かくはかなくてや止みなむと、取り集めて嘆きたまふに、二月十余日のほどに、男御子生まれたまひぬれば、名残なく、内裏にも宮人もよろこびきこえたまふ。
生まれたのは源氏にそっくり、瓜二つの男御子でした。誰がみても源氏の子とわかるのではないかと藤壺は怯え悩みます。誕生した御子が自分の子であると確信している源氏は、一目その子をみたいと思い、「帝がご覧になりたいとおっしゃっているので私が代わりに見せていただいて報告いたしましょう」などと言ったりするのですが、藤壺は源氏にも決して見せてくれません。とにかく誰にも見せたくないのです。この子を見れば誰でも怪しく思うに違いないと思うからでした。原文です。
かの人知れぬ御心にも、いみじう心もとなくて、人間に参りたまひて、「上のおぼつかながりきこえさせたまふを、まづ見たてまつりて奏しはべらむ」と聞こえたまへど、「むつかしげなるほどなれば」とて見せたてまつりたまはぬも、ことわりなり。さるは、いとあさましう、めづらかなるまで写し取りたまへるさま、違うべくもあらず。宮の、御心の鬼にいと苦しく、人の見たてまつるも、あやしかりつるほどのあやまりを、まさに人の思ひとがめじや、さらぬはかなきことをだに、疵を求むる世に、いかなる名のつひに漏り出づべきにかとおぼし続くるに、身のみぞいと心憂き。
源氏は御子をみたいということもさることながら、逢えないまでもせめて直接話がしたくてたまらないのですが、当然のことながら、藤壺はとにかく源氏を近づけたくないのです。家のちかくをうろうろしたりしてほしくないのです。もっともなことです。源氏ゆえに味わうことになったこの苦しみ、いつ谷底に転落することになるかわからないというこの恐怖。源氏の方はまだそれほど惧れの気持ちがありません。父帝を欺くことになると言う実感がまだ湧いていないのです。それよりもいとしい人が自分の子を産んでくれたという喜びの方が大きいのでした。一方の藤壺はこの子を人目にさらすことが恐ろしくてたまりません。でもそうは言ってもいつまでも里に留まるわけにはゆきません。四月になって、とうとう、生まれた御子と共に帝の元に参上したのでした。心の震えを表に出さないようにと懸命に務めながらの参内でした。ところが、藤壺の心配は全くの杞憂で、帝は単純に若宮が源氏に似ていると言って、そのことをたいそうお喜びになったのでした。原文です。
四月に内裏へ参りたまふ。ほどよりは大きにおよすけたまひて、やうやう起きかへりなどしたまふ。あさましきまで、まぎれどころなき御顔つきを、おぼし寄らぬことにしあれば、またならびなきどちは、げにかよひたまへるにこそはと思ほしけり。いみじう思ほしかしづくこと限りなし。(略)宮はいかなるにつけても、胸のひまなく、やすからずものを思ほす。
若宮が源氏に生き写しなのを見て、帝は最高に美しい者同士は似ているものなのだなあとお思いになったとあります。帝が、この若宮を大切にしてたいそう可愛がりなさるにつけても、藤壺の宮は帝を裏切り欺いていることの罪の重さに胸を絞めつけられる思いです。
ある時は、管弦の遊びなどで宮中にやってきた源氏の元に、帝が若宮を抱いておいでになって、「この子は本当にお前の小さい時と同じ顔をしているよ。小さい時はみなこんなふうなかわいい顔をしているものなのかなあ」などとおっしゃるものですから、さすがにこの時は源氏も顔色が変わる思いでした。藤壺の方はこれを聞いて、たらりと冷や汗をながしたのでした。この年の七月、桐壺帝は、若宮にこれといった後ろ盾もないことから、藤壺に中宮の位を授けて将来の若宮の守りとしました。この子が誕生したことから、帝はそろそろ譲位することをお考えになっているのでした。
文:岸本久美子
【引用】新潮日本古典集成より
第四章 通り過ぎた女君たち 其の四 義理の母藤壺の宮 第四話「まことに心づきなし」は2025年7月24日配信
YouTube動画中の「源氏物語手鑑」につきまして。和泉市久保惣記念美術館デジタルミュージアム許可のもと引用しています🔗