十一、琴の音

若菜下

琴の音

 正月二十日、梅も咲き始めた早春のある夜、六条院春の舘の寝殿で女楽の夕べが持たれました。朱雀院の五十の賀に向けて源氏の君が特別に女三宮に教え込んだ琴の琴の腕前を披露するのに合わせて計画された優雅な催しです。参加するのは女三宮、紫の上、明石女御、明石の君の四人です。寝殿に紫の上がやってきました。童女、(女の子)四人を伴っています。少し原文で読みましょう。

  童女は容貌すぐれたる四人、赤色に桜の汗衫、薄色の織物の衵、浮き紋の表の袴、紅の擣ちたる、さまもてなしすぐれたる限りを召したり。女御の御方にも、御しつらひなど、いとどあらたまれるころのくもりなきに、おのおのいどましく尽くしたるよそほひども、あざやかに二なし。童女は、青色に蘇芳の汗衫、唐綾の表の袴、衵は山吹なる唐の綺を、同じさまにととのへたり。明石の御方のは、ことことしからで、(略)

 紫の上は特に美しい童女を四人選んで赤系の色でまとめた衣装を着せて連れてきました。明石女御方の童女は黄金色の上に青系を重ねた衣装です。明石の君や、女三宮の童女もそれぞれおしゃれな衣裳でそろえています。童女の衣裳にも凝っているくらいですから、もちろん、それぞれの女君たちの衣裳も気合が入っています。
 女君たちは、明石の君 琵琶、紫の上 和琴、明石女御 筝の琴、女三宮は琴の琴をそれぞれ源氏の君から渡されて、合奏が始まりました。笛を吹く役で、息子夕霧や孫の男の子たちも呼ばれています。夕霧は笏で拍子をとりながら歌い、源氏も一緒に歌います。次第に夜は更け、春の朧月が昇って、優雅な宵に彩りを添えます。源氏は自分の妻たちや娘の姿を覗いて回りご満悦です。みんな美しい、そして演奏の腕前もなかなかじゃないか。明石君以外の三人は私がそれぞれに教育したんだよなあ・・・と。
 その夜、源氏の目に映った紫の上の姿を少し原文で読みましょうか。

  紫の上は、葡萄染にやあらむ、色濃き小袿、薄蘇芳の細長に、御髪のたまれるほど、こちたくゆるるかに、大きさなどよきほどに、様体あらまほしく、あたりににほひ満ちたるここちして、花といはば桜にたとへても、なほものよりすぐれたるけはひことにものしたまふ。

 紫の上は、あでやかな桜に例えられています。このあと原文では、明石女御は満開の藤の花、明石の君はかおる花橘、女三宮は早春の青柳に例えられています。いずれも素晴らしいけれどやはり中でも紫の上の美しさは格別だというのが源氏の君の感想でした。琴の腕前もなかなかのものでした。夜更けて音楽会はお開きとなり、源氏はその夜は紫の上の元に泊まり、翌日遅くに起きて、紫の上とあれこれ語り合いました。まだ少女だった紫の上を手元に引き取ってから二十年以上三十年近い歳月が流れたことを思ってしみじみした気持ちになっています。原文で読みましょう。その前に一つ付け加えておきます。ここで紫の上の年齢が37歳とはっきり書かれていますが、実は計算上は 紫の上はこの年39歳です。

  かやうの筋も、今はまたおとなおとなしく、宮たちの御あつかひなど、取りもちてしたまふさまも、いたらぬことなく、すべて何ごとにつけても、もどかしくたどたどしきことまじらず、ありがたき人の御ありさまなれば、いとかく具しぬる人は世に久しからぬ例もあなるをと、ゆゆしきまで思ひきこえたまふ。さまざまなる人のありさまを見集めたまふままに、取り集め足らひたることは、まことにたぐひあらじとのみ思ひきこえたまへり。今年は三十七にぞなりたまふ。見たてまつりたまひし年月のことなどもあはれに思し出でたるついでに、「さるべき御祈りなど、常よりも取り分きて、今年はつつしみたまへ。(略)」などのたまひ出づ。

 紫の上という人はどこをとっても足りないところのない、どの方面においても優れた人だと改めて感動する源氏でしたが、こういう優れた人は天に召されるのも早いのではないかと気がかりになり、そう言えば今年はこの人は厄年であったということを思い出したのでした。そこで、今年はいつもより気を付けて祈祷などをしてもらいなさいと言っています。そして続けて「自分は今日まで色々悲しい目にも逢ってきたが、あなたは、一度だけ私と離れて暮らす経験をしましたが、その時の他はずっと親元でくらしているようなもので、苦労知らずですね。本当に運の良い方です。宮の御降嫁の件では心を痛められたかもしれませんが、私のあなたへの思いはそのことで却って深くなったのですよ。」などと言っています。一部原文で読みましょう。

 「君の御身には、かの一節の別れより、あなたこなた、もの思ひとて、心乱りたまふばかりのことあらじとなむ思ふ。后といひ、ましてそれより次々は、やむごとなき人といへど、皆かならず、やすからぬ物思ひ添ふわざなり。高きまじらひにつけても、心乱れ、人にあらそふ思ひの絶えぬも、やすげなきを、親の窓のうちながらすぐしたまへるやうなる、心安きことはなし。そのかた、人にすぐれたる宿世とはおぼし知るや。思ひのほかに、この宮の、かくわたりものしたまへるこそは、なま苦しかるべけれど、それにつけては、いとど加ふる心ざしのほどを、御みづからの上なれば、おぼし知らずやあらむ。物の心も深く知りたまふめれば、さりともとなむ思ふ」と聞こえたまへば、「のたまふやうに、物はかなき身には過ぎにたる、よそのおぼえはあらめど、心に堪えぬもの嘆かしさのみうち添ふや、さはみづからの祈りなりける」とて残り多げなるけはひ、はづかしげなり。

 あなたは幸せ者だと言われて、紫の上は「たしかに私は分に過ぎた幸せ者なのかもしれませんが、心の底にはなんともいえない悲しみが凝っているのですよ。それがまあお守りのようになっているのかもわかりませんけれど」と答えます。もっと言いたいことはあったのですが、紫の上はもう心の底を源氏に見せることはしません。ただ、この後で、紫の上はまた出家のことを源氏に頼みますが許してはもらえません。この時源氏が紫の上に言った言葉はなかなか味があります。 「ただかく、何となくて過ぐる年月なれど、明け暮れの隔てなきうれしさのみこそ、ますことなくおぼゆれ」というセリフです。なんということもない平凡な朝夕をあなたとともに迎えることが何よりの幸せなのだから、出家して共に暮らせなくなるなどということは考えられないと言っています。源氏が言うように、幸せってそういうものですよね。特にこれと言ったことの無い平凡な日々を共にすることができるのが幸せなんですよね。ただし、この言葉は紫の上の心には響きませんでした。彼女には空疎なものにしか聞こえなかったのです。事実、夜になると源氏はさっさと女三宮の部屋へと出かけて行ってしまいます。紫の上はいつも源氏不在の夜はそうするように、遅くまで起きて女房たちに本を読ませたりして、夜更けてからお休みになったのですが、明け方になって心臓発作が起こりました。原文です。

  例のおはしまさぬ夜は、宵居したまひて、人々に物語など読ませて聞きたまふ。かく世のたとひに言ひ集めたる昔語どもにも、あだなる男、色好み、二心ある人にかかづらひたる女、かやうなることを言ひあつめたるにも、つひによるかたありてこそあめれ、あやしく浮きても過ぐしつるありさまかな、げにのたまひつるやうに、人よりことなる宿世もありける身ながら、人の忍びがたく飽かぬことにするもの思ひ離れぬ身にてやみなむとすらむ、あぢきなくもあるかななど思ひ続けて、夜更けて大殿籠りぬる暁がたより御胸をなやみたまふ。

 私は人より恵まれた人生を送っているように見えるけれども、本当は人の一番厭う物思い、愛する人を信頼しきれないという苦しみから逃れられないんだわと思いながら床についた結果でした。ストレスが彼女のからだを蝕んでいたのです。
 そのまま紫の上は重篤な状態となり、驚いた源氏は様々な手をつくして看病しますが、なかなか回復しません。一か月が過ぎて、源氏はこころみに紫の上を六条院から二条院に移しました。もう女三宮の元を訪れることもなく、六条院は火が消えたようになってしまいました。明石女御も、紫の上に懐いている娘を連れて見舞います。孫を見て、この子たちの成長を見届けることはできないのでしょうねと言って紫の上は泣いています。原文です。

  げに、いと頼みがたげに弱りつつ、限りのさまに見えたまふをりをり多かるをいかさまにせむとおぼしまどひつつ、宮の御方にも、あからさまにわたりたまはず、御琴どもすさまじくて、皆ひきこめられ、院のうちの人々は、皆ある限り、二条の院につどひ参りて、この院には火を消ちたるやうにて、ただ、女どちおはして、人一人の御けはひなりけりとみゆ。女御の君もわたりたまひて、もろともに見たてまつりあつかひたまふ。(略)若宮(女一宮)の、いとうつくしうておはしますを見たてまつりたまひても、いみじく泣きたまひて、「おとなびたまはんを、え見たてまつらずなりなむこと。忘れたまひなんかし」とのたまへば、女御せきあへず悲しとおぼしたり。

 こうして、源氏の君やその周りの人々がみな二条院に移って、紫の上の看病にかまけている間に、人少なになった六条院で女三宮と柏木の密通事件が起ってしまったのでした。そのあたりから次回に回しましょう。










文:岸本久美子
【引用】新潮日本古典集成より


次回第十二回 「萩のうは露」 2022年7月21日配信 最終回
YouTube動画中の「源氏物語手鑑」につきまして。和泉市久保惣記念美術館デジタルミュージアム許可のもと引用しています🔗