明石
其の二「つつましうなりて」
入道は、こうしてめでたく源氏の君を明石の自邸にお迎えしはしたものの、どうやって娘のことを切り出そうかとためらううちに季節は移って春から夏になりました。源氏の神々しいばかりの美しさや、いかにも高貴な方らしい雰囲気に、流石の入道も気後れして、娘のことをちらりと口にしてみたりするものの、自分の思いをはっきり口にすることはできないのでした。源氏は以前噂に聞いたことのある娘に興味が無いこともないし、また、入道の思いを薄々察してはいるものの、そんな素振りはみせません。今は謹慎すべきだと考えているのです。一方の入道はそんな日々のなかで、何とかして願いをかなえたいと神仏にそれを祈る日々でした。原文です。
ここには、かしこまりて、みづからもをさをさ参らず、もの隔たりたる下の屋にさぶらふ。さるは、明け暮れ見たてまつらまほしう、飽かず思ひきこえて、いかで思ふ心をかなへむと、仏神をいよいよ念じたてまつる。
年は六十ばかりになりたれど、いときよげにあらまほしう、行ひさらぼひて、人のほどの、あてはかなればにやあらむ、うちひがみ、ほれぼれしきことはあれど、いにしへのものをも見知りて、ものきたなからず、よしづきたることも交れれば、昔物語などせさせて聞きたまふに、すこしつれづれのまぎれなり。(略)かうは馴れきこゆれど、いと気高う心はづかしき御ありさまに、さこそ言ひしか、つつましうなりて、わが思ふことは心のままにもえうち出できこえぬを、心もとなうくちをしと、母君と言ひ合はせて嘆く。
入道は年の頃60ばかりとあります。源氏は折に触れてこの入道に昔の話をさせたりして次第に慣れ親しんだようです。それでも入道はなかなか娘のことが切り出せず、妻共々嘆いていたのですが、ある日その機会が訪れました。きっかけは初夏の夕月夜に源氏の君が久々に弾いた琴でした。音楽が話の展開をもたらすわけです。原文で読みましょう。
久しう手触れたまはぬ琴を、袋より取り出でたまひて、はかなくかき鳴らしたまへる御さまを、見たてまつる人もやすからず、あはれに悲しう思ひあへり。広陵といふ手を、ある限り弾きすましたまへるに、かの岡辺の家も、松の響き波の音に合ひて、心ばせある若人は身にしみて思ふべかめり。何とも聞きわくまじきこのもかのものしはふる人どもも、すずろはしくて、浜風をひきありく。入道もえ堪へで、供養法たゆみて、急ぎ参れり。
源氏が、長い間そんな気になれず手を触れていなかった琴を取り出して奏でるとそのえもいわれぬ音色は浜辺にも、丘の上にある入道一家の家にも届き、その家の心ある人たちは胸を震わせ、音曲などには縁のない漁師たちも音色に誘われて浜辺を彷徨い歩いて風邪をひいたとあります。浜風をひきありくという所です。面白い表現ですね。
入道は勤行を放り出して源氏の元に駆け付けます。そして琵琶や筝の琴を取りにやらせて、まず琵琶を次に琴を弾きます。琵琶も琴も達者なものでした。入道の弾く琴の音を聴いた源氏が「この琴は女性が優しい様子で弾くほうが似合いますね」と一般論で口にしたのを幸いに、入道は、待ってましたとばかりに娘の弾く琴を是非お聞かせしたいと言い出したのでした。原文です。
古人は涙もとどめあへず、岡辺に、琵琶、筝の琴取りにやりて、入道、琵琶の法師になりて、いとをかしうめづらしき手一つ二つ弾き出でたり。(略)音もいと二なう出づる琴どもを、いとなつかしう弾き鳴らしたるも、御心にとまりて、「これは、女の、なつかしきさまにてしどけなう弾きたるこそ、をかしけれ」とおほかたにのたまふを、入道はあいなくうち笑みて、「あそばすよりなつかしきさまなるは、いづこのかはべらむ。なにがし、延喜の御手より弾き伝へたること、三代になむなりはべりぬるを、かうつたなき身にて、この世のことは捨て忘れはべりぬるを、ものの切にいぶせきをりをりは、かき鳴らしはべりしを、あやしうまねぶもののはべるこそ、自然にかの先大王の御手に通ひてはべれ。山伏のひが耳に、松風を聞きわたしはべるにやあらむ。いかで、これ忍びて聞こしめさせてしがな。」と聞こゆるままに、うちわななきて涙おとすべかめり。
まず入道は自分が延喜の帝の直伝を弾き伝えて三代目であること、そしていつの間にか娘が自分の弾く琴の音を学び取っていることを語っています。さらにその娘が見よう見真似で琵琶を弾くことも覚え相当な腕前であることを付け加え、その娘の奏でる琵琶の音色が荒波の音に交じって聞こえるような時には、娘をこんな田舎に置いていることを悲しく思う一方で自分のわびしさは慰められるのだと語ります。原文で読みましょう。
「琵琶なむ、まことの音を弾きしづむる人、いにしへにも難うはべりしを、をさをさ、とどこほることなう、なつかしき手など、筋異になむ。いかでたどるにかはべらむ。荒き波の声に交るは、悲しくも思うたまへられながら、かき集むるもの嘆かしさ、まぎるるをりをりもはべり」など、すきゐたれば、をかしとおぼして、筝の琴とりかへて賜はせたり。げにいとすぐれてかい弾きたり。今の世に聞こえぬ筋弾きつけて、手づかひいといたう唐めき、ゆの音深う澄ましたり。伊勢の海ならねど、「清き渚に貝や拾はむ」など、声よき人に歌はせて、われも時々拍子とりて、声うち添へたまふを、琴弾きさしつつ、めできこゆ。御くだものなど、めづらしきさまにて参らせ、人々に酒強ひそしなどして、おのづからもの忘れしぬべき夜のさまなり。
交互に琵琶や琴を弾いたり歌ったりして、宴となり、お酒も出て二人はすっかりいい気分になっています。次第に夜は更け、入道はついに自分が明石に住むようになったその経緯、勤行に明け暮れる日々のことそして一人娘のことなどを源氏の君に語ったのでした。原文で読みましょう。
いたくふけゆくままに、浜風涼しうて、月も入りがたになるままに澄みまさり、静かなるほどに、物語残りなく聞こえて、この浦に住みはじめしほどの心づかひ、後の世をつとむるさま、かきくづし聞こえて、この娘のありさま、問はず語りに聞こゆ。
源氏の君は入道の話に興味深く耳を傾けていましたが、続けて入道は驚くべきことを口にします。源氏が須磨に流謫の身となり、入道の元に迎えられることになったのは、住吉の神が入道の祈願を聞き届けて下さった結果だというのです。娘が生まれてから18年にわたって、娘が高貴なお方と結ばれるようにと願を掛けて来たというではありませんか。原文です。
をかしきものの、さすがにあはれと聞きたまふ節もあり。「いと取り申しがたきことなれど、わが君、かう、おぼえなき世界に仮にても移ろひおはしましたるは、もし、年ごろ老法師の祈り申しはべる神仏のあはれびおはしまして、しばしのほど御心をもなやましたてまつるにやとなむ思うたまふる。その故は、住吉の神を頼みはじめたてまつりて、この十八年になりはべりぬ。女の童のいときなうはべりしより、思ふ心はべりて、年ごとの春秋ごとに、かならずかの御社に参ることなむはべる。昼夜の六時の勤めに、みづからの蓮の上の願ひをばさるものにて、ただこの人を高き本意かなへたまへとなむ念じはべる。」
さらに続けて入道は自分の親は大臣の位についており、相当な身分の一族であったにも拘らず、命運つたなくてこのように落ちぶれてしまったが、娘が生まれた時に、あるしるしがあった、この娘の存在によって一族の復権が果たされるというお告げであった、自分はそれを信じてきたというのです。そのため、これまで多くの求婚者があったがすべて断って、あなた様のような方をお待ちしていたと涙ながらに語ったのでした。これを聞いた源氏は、自分が罪にあたってこのような地に来る運命になったのは、入道の祈願によるもので、住吉の神のお決めになったことであったのかと衝撃を受けたのでした。そして、それならば、この娘と自分は結ばれるべき運命なのだと自分に言い訳して、入道に「お話を聞けば罪びとの身となってこちらに漂ってきたのも前世からの因縁だったのでしょうね」と言い、ぜひお嬢さんに逢わせてほしいと頼んだのでした。元々関心のあった娘ですから、内心喜んだ源氏は翌日さっそく岡の上の家に住む娘に手紙を出したのでした。
さて娘の反応はどうだったでしょうか。次はそのあたりから始めましょう。
文:岸本久美子
【引用】新潮日本古典集成より
次回2024年5月9日 光源氏に王権を奪還させた男 其の三「あたら夜の」
・YouTube動画中の「源氏物語図」につきましては、大分歴史資料館から引用しています🔗
・YouTube動画中の「源氏物語手鑑」につきまして。和泉市久保惣記念美術館デジタルミュージアム許可のもと引用しています🔗