二十二、熾火

若菜下

熾火

 紫の上の病気にかまけて長い間訪れなかった女三宮を慰めるために源氏の君は久しぶりで六条院にやってきました。そうして宮の元に滞在していた源氏の君に、紫の上の息が絶えたという知らせが届きました。驚いた源氏がとるものも取り敢えず二条院に駆け戻ってみると、紫の上死去の噂がすでに流れて、邸の前には人だかりができています。源氏は目の前が真っ暗になりますが、心を励まして霊験あらたかと名高い験者を集めて祈らせ、そのかいあって、奇跡的に紫の上は息を吹き返したのでした。その後は、紫の上の病状が心配で、源氏の君はそばを離れることができません。再び二条院で紫の上につききりになりました。
そんなわけで、六条院の方は相変わらず手薄です。それをよいことに、柏木は時折宮のもとに忍び、密会は繰り返されていました。宮は若い柏木に魅力は感じず、源氏の君と比べると見劣りするとしか思っていません。それどころか、無体な方と嫌がっているのにいつの間にか柏木の子を宿してしまったのは皮肉な運命でした。
六月になって紫の上はやっと小康をえ、源氏の君は体調不良と聞いていた女三宮を見舞いました。そこで、女房から御懐妊らしいと聞いて、不思議に思います。その部分を原文で読みましょう。

  宮は御心の鬼に、見えたてまつらむもはづかしうつつましくおぼすに、ものなど聞こえたまふ御いらへも聞こえたまはねば、日ごろの積りを、さすがにさりげなくてつらしとおぼしけると、心苦しければ、とかくこしらへきこえたまふ。大人びたる人召して、御ここちのさまなど問ひたまふ。「例のさまならぬ御ここちになむ」と、わづらひたまふ御ありさまを聞こゆ。「あやしくほど経てめづらしき御ことにも」とばかりのたまひて、御心のうちには、年ごろ経ぬる人々だにもさることなきを、不定なる御ことにもやとおぼせば、ことにともかくものたまひあへしらへたまはで、ただ、うちなやみたまへるさまのいとらうたげなるを、あはれと見たてまつりたまふ。

 源氏の勘違い―――宮がうち沈んだ様子なのは、自分がかまってやらなかったからだと思い、いとしさが増します。そのために、紫の上の病状を気にしつつもニ三日滞在したのでした。その間に、源氏の君の滞在を知った柏木は嫉妬に駆られて、小侍従を通して宮に手紙を出しました。それを手にとったところに、別の部屋にいた源氏がもどってきたので、宮は慌ててそれを座布団の下に隠しました。その日の夕方、源氏が帰ろうとすると、宮が「月待ちて、とも言ふなるものを」と歌の一節を投げかけて源氏を引き留めます。「月がでるのを待ってお帰りになったら」と言う意味で、少しでも長くいて欲しいのかと源氏は宮の心根をいじらしく思って、もう一晩泊まることにしたのでした。そして、翌朝早く起きて帰ろうとした源氏はとんでもないものを見つけてしまったのです。座布団の下からはみだしている紙を何気なく引き出して見ると、それは宮にあてた恋文だったのです。前の日、本心では早く帰って欲しいと思っている宮がなぜか本心に反して、引き留めてしまったために、密事が露見してしまったのです。源氏は手紙が柏木からのものとその筆跡からすぐに気づいて、懐妊もこのためと察しがついたのでした。
 大切にしてきた宮、可愛がっていた柏木・このふたりに裏切られた、見くびられたという思いが源氏の心を暗くします。原文で源氏の心境を読みましょう。

  さても、この人をばいかがもてなしきこゆべき、めづらしきさまの御ここちも、かかることのまぎれにてなりけり、いであな心憂や、かく、人伝ならず憂きことを知る知る、ありしながら見たてまつらむよ、とわが御心ながらも、え思ひなほすまじくおぼゆるを、なほざりのすさびと、はじめより心をとどめぬ人だに、また異ざまの心わくらむと思ふは、心づきなく思ひ隔てらるるを、(略)かくばかりまたなきさまにもてなしきこえて、うちうちの心ざし引くかたよりも、いつくしくかたじけなきものに思ひはぐくまむ人をおきて、かかることはさらにたぐひあらじ、と爪弾きせられたまふ。

 大して愛情を注いでいない女であっても、他の男に奪われるのは不快なのに、まして宮に対してはこの上ないほどの慈愛を注いで大切にして来たのに何という事か、これからこの人をどう扱ったらよいのかとふたりを非難する気持ちで一杯になったのでした。無理もないことですよね。
 柏木ごときになびくとは許せないと怒りが湧いてくるものの、表沙汰にはできない、どうしたものか、と源氏は心を痛めます。そしてこの出来事は自分の若いころの裏切り、父の妻藤壺との密通を思い出させ、父上も気づいておられながら、知らず顔を作っておられたのかもしれないと、あらためて自分の犯した過去の罪に慄くのでした。原文ではこうなっています。

  わが身ながらも、さばかりの人に心分けたまふべくはおぼえぬものを、と、いと心づきなけれど、またけしきに出だすべきことにもあらずなど、おぼし乱るるにつけて、故院の上(父桐壺帝)も、かく御心には知ろしめしてや、知らず顔をつくらせたまひけむ、思へばその世のことこそは、いと恐ろしくあるまじきあやまちなりけれ、と近き例をおぼすにぞ、恋の山路は、えもどくまじき御心まじりける。

 自分の過去を振り返ってみれば、恋の道は闇、若い二人を責めることはできないという思いもあります。源氏は女三宮が自分よりも若い柏木に心を通わせたと誤解しています。二条院に戻って来た後、宮をどう扱ったものかと悩む源氏の様子を見て、紫の上は、宮の元に行きたい気持ちを抑えて自分の病気に付き合って下さっているのだと誤解して、「私は大丈夫だから、あちらの方をお慰めしてあげて下さいな」と気を遣い、沈鬱な様子の源氏の君のことを心配するのでした。
 一方、女三宮は柏木からの手紙が源氏の君の手に落ちたことを知って動揺、もう言い逃れのしようもありません。どんなお叱りを受けることかと泣き沈んで、お食事も喉を通らないような状態になりました。柏木もことが露見したと聞いて、それでなくとも「空に目つきたるようにおぼえ」ていたのに、一層萎縮し、源氏の君に対する怖れやら申し訳なさやらで外にでるのも怖くて閉じこもっています。このあたり、人々の気持ちがそれぞれにすれ違い、誤解が誤解を生み、事態はますます混迷してゆきます。
 十月に延期されていた朱雀院の賀は女三宮の体調不良のため再び延期となりました。院は、宮の体調不良のことや、源氏の君の宮のお渡りが途絶えがちということを聞き知って心配して手紙をよこされます。宮の体調を気遣い、夫婦仲を気遣い、どんなことがあっても、夫を恨んだりしてはならないと言ったことが書かれていました。その場に居合わせた源氏は、院のお気持ちを思い、宮に長々と説教をします。その場面を一部ご紹介しましょう。

  「このお返りをばいかが聞こえたまふ。心苦しき御消息に、まろこそいと苦しけれ。(略)」とのたまふに、はぢらひて背きたまへる御姿も、いとらうたげなり。いたく面痩せて、もの思ひ屈したまへる、いとどあてにをかし。
「(略)いたり少なく、ただ、人の聞こえなすかたにのみ寄るべかめる御心には、ただおろかに浅きとのみおぼし、また、今はこよなくさだ過ぎにたるありさまも、あなづらはしく目馴れてのみ見なしたまふらむも、かたがたにくちをしくもうれたくもおぼゆるを、院のおはしまさむほどは、なほ心をさめて、かのおぼしおきてたるやうありけむさだ過ぎ人をも、おなじくなずらへきこえて、いたくな軽めたまひそ。(略)」

 あなたは私に愛されていないと思い込んで、爺さんくさい私を馬鹿になさっているのでしょうが、御父上があなたを私に託されたお気持ちを考えて、院が生きておられる間は年寄りの私をも父上と同じように大切にお思いなさいと言っています。二度も「さだ過ぎ」つまり、「年寄り」という言葉を使っていることからも、源氏が柏木の若さにこだわっていることが見て取れます。ただ、源氏の、宮に対する気持ちは複雑で、憎いというのでもない、しおれている様子は可愛くもあり愛しくもあるのです。源氏の心にはこの若妻を奪った柏木に対する嫉妬がありました。何者に対しても優位を誇ってきた源氏が若さに対してだけは敗北感を抱かざるを得なかったのです。
朱雀院の賀は十二月中旬と決まり、その試楽に柏木が呼ばれました。子供たちの演奏の指導者役として、彼に勝る人材はなかったのです。はじめは病気を理由に断ったのですが、重ねての依頼を受けて断り切れず、柏木はやむを得ず六条院に参上したのでした。源氏の君は、恐縮してやってきた柏木を身近に呼んで何事も無かったかのように、さりげない会話を交わします。けれども、試楽のあとの宴席で、酔ったふりをして源氏はこんな言葉を柏木に投げかけたのでした。原文でご紹介しましょう。ここでは院とあるのが源氏、衛門の督とあるのが柏木です

  主人の院、「過ぐる齢に添へては、酔い泣きこそとどめがたきわざなりけれ。衛門の督(柏木)心とどめてほほゑまるる、いと心はづかしや。さりとも今しばしならむ。さかさまに行かぬ年月よ。老はえのがれぬわざなり」とて、うち見やりたまふに、人よりけにまめだち屈じて、まことにここちもいとなやましければ、いみじきことも目もとまらぬここちする人をしも、さしわきて、空酔いをしつつかくのたまふ。たはぶれのやうなれど、いとど胸つぶれて、盃のめぐり来るも頭いたくおぼゆれば、けしきばかりにてまぎらはすを、御覧じとがめて、持たせながらたびたび強ひたまへば、はしたなくて、もてわづらふさま、なべての人に似ずをかし。ここちかき乱りて堪へがたければ、まだことも果てぬにまかでたまひぬるままに(略)やがていといたくわづらひたまふ。

 私が中年になって、源氏物語を読み直した時に一番ずしんときたのがこの「さかさまに行かぬ年月よ。老いはえのがれがたきわざなり」という言葉でした。一度読んだら忘れられないなんとも重い言葉です。源氏はそんな言葉を冗談のように柏木に投げつけ、苦しいので、飲むふりだけしていた柏木に盃を持たせて無理矢理お酒を飲ませます。耐えられなくなった柏木は宴会の終わるのを待たず、這うようにして家に帰りました。そしてそのまま柏木は寝込んで、ふたたび床をはなれることはできなかったのです。源氏の一言が毒矢となって彼の胸を貫いたのでした。
 延びに延びた朱雀院の賀は、暮れも押し詰まった十二月二十五日に行われました。中心となるはずの女三宮は寝込んでおり、柏木重篤のニュースに人々が心を痛める中で、それは源氏が計画したものとは似ても似つかぬ形だけのものになってしまいました。六条の院、源氏の君の勢力を誇示する場、女三宮の琴の腕前が披露され、柏木の指導した童の演奏や舞が場を盛り上げて、豪華な賀宴となるはずだったのですが、それらはすべて夢に終わったのでした。
 運命の寵児であった源氏の君が予言の実現をみた後、運命から見放されてゆく、いや、源氏だけではありません。登場人物の誰彼の運命がここでは狂ってゆくのです。巨大な不可抗力に突き動かされるように、人々は不幸への道を選んでゆきます。柏木の不幸も彼自身が引き起こしたものではないように思われます。何者かに取り付かれたかのように女三宮に恋着し関係してしまった。その何かとは運命あるいは宿命といったものなのではないでしょうか。さあ、この先人々は、物語は、どうなってゆくのでしょうか。
今回は少し長くなりましたが、ここまでといたしましょう。








文:岸本久美子
【引用】新潮日本古典集成より


次回「柏木」2022年1月7日配信

YouTube動画中の「源氏物語手鑑」につきまして。和泉市久保惣記念美術館デジタルミュージアム許可のもと引用しています🔗