四「心の鬼」
息も絶え絶えの葵上が源氏の君にお話ししたいことがあると言うのですから、両親も傍を離れ、加持の僧も声を静めてお経を唱えています。源氏が几帳の帷子を引き上げてのぞいてみると、葵上は、大きなお腹に真っ白な着物をまとい、長い黒髪を結んで添えた愛らしい姿で横たわっています。もしかしたら最期なのかもしれないという思いで、手を握って「しっかりしてください。私を辛い目に合わせないで下さい」と源氏は涙ながらに葵上に語り掛けたのでした。すると葵上はいつもとは違うけだるいまなざしを彼のほうに向けて涙をはらはらとこぼすのでした。実はこの時すでに葵上には六条御息所が乗り移っていたのでした。原文で読みましょう。
御几帳の帷引き上げて見たてまつりたまへば、いとをかしげにて、御腹はいみじう高うて臥したまへるさま、よそ人だに、見たてまつらむに心みだれぬべし。まして惜しう悲しうおぼす、ことわりなり。白き御衣に、色あひいとはなやかにて、御髪のいと長うこちたきを、引き結ひてうち添へたるも、かうてこそ、らうたげになまめきたるかた添ひてをかしかりけれと見ゆ。御手をとらへて、「あないみじ。心憂きめを見せたまふかな」とて、ものも聞こえたまはず泣きたまへば、例はいとわづらはしうはづかしげなる御まみを、いとたゆげに見上げて、うちまもりきこえたまふに、涙のこぼるるさまを見たまふは、いかがあはれの浅からむ。
葵上が涙をはらはらと流し続けるので、源氏があれこれと慰めの言葉をかけるうちにおどろくべきことが起こりました。目の前の葵上は、姿かたちこそ葵上ですが、声もしぐさも六条御息所その人のものに変わっていたのです。そして僧たちの祈祷が苦しいので少し緩めてほしいと言い、さらに、こちらに来ようなどとは思っていないのに、物思いをする魂はからだを離れて行ってしまうのですねと言うのでした。ただ一人現場を見てしまった源氏の衝撃はなみ一通りのものではありませんでした。原文です。
「いで、あらずや。身の上のいと苦しきを、しばしやすめたまへと聞こえむとてなむ。かく参り来むともさらに思はぬを、もの思ふ人の魂はげにあくがるるものになむありける」となつかしげに言ひて、
嘆きわび空に乱るるわが魂を
結びとどめよしたがひのつま
とのたまふ声、けはひ、その人にもあらず、かはりたまへり。いとあやしとおぼしめぐらすに、ただかの御息所なりけり。あさましう、人のとかく言ふを、よからぬ者どもの言ひ出づることと、聞きにくくおぼしてのたまひ消つを、目に見す見す、世にはかかることこ そはありけれと、うとましうなりぬ。あな心憂とおぼされて、「かくのたまへど、誰とこそ知らね。たしかにのたまへ」とのたまへば、ただそれなる御ありさまに、あさましとは世の常なり。
これまで、葵上に物の怪が取り付いているという話を聞いても、よからぬ者どもが噂を流しているのだろうと打ち消してきたのですが、事実であったことを知り、また、自分ひとりがまざまざと見た御息所の生霊にショックを受けて、御息所に怖れと嫌悪の情を抱くようになったのでした。無理もありませんよね。
ここで御息所が源氏に向かって詠みかけた歌「嘆きわび空に乱るるわが魂を結びとどめよしたがひのつま」は「悲しみに耐えかねて空に彷徨い出てしまった私の魂を着物の下前の紐を結んで元にからだに戻してください」という切ない叫びです。
この後葵上は無事出産し、源氏も左大臣家の人々も胸をなでおろしたのでした。御息所の反応はどうだったでしょう。原文で読みましょう。
かの御息所は、かかる御ありさまを聞きたまひても、ただならず。かねてはいとあやふく聞こえしを、たひらかにもはた、とうちおぼしけり。あやしう、われにもあらぬ御ここちをおぼし続くるに、御衣なども、ただ芥子の香にしみ返りたるあやしさに、御ゆする参り、御衣着かへなどしたまひて、こころみたまへど、なほ同じやうにのみあれば、わが身ながらだにうとましうおぼさるるに、まして、人の言ひ思はむことなど、人にのたまふべきことならねば、心ひとつにおぼし嘆くに、いとど御心がはりもまさりゆく。
御息所は失望しています。葵上が出産で命を落とすことを期待していたわけです。「源氏の君の子供を産むのがなぜ私ではなくあの女なのか」と言う思いが胸のうちに燻っています。そんなことを思ううちにふと気づくと自分の体が芥子臭くなっているのです。着物を着かえ、髪を洗っても匂いがとれません。どうしたのだろう、これは葵上の部屋で焚かれている護摩の匂いが沁み込んだものなのか・・・・いつの間にそんなところに行ったのか。このことは誰にも相談できることではない・・・いやもしかしたらもう噂になっているかもしれない・・・どうしたらよいのだろうかと御息所は悩み、匂いを消そうと狂ったように着物や髪を洗います。
そして数日後、葵上はにわかに亡くなってしまいます。御息所の気持ちは複雑です。しばらく間を置いて御息所は源氏の君にお悔やみのお手紙を出します。まさか源氏が自分の生霊をその目ではっきり見てしまっているとは思っていません。ただ、もしかしたら何か気づかれているかもしれないという惧れもあり、探りを入れるという感じもあったかもしれません。源氏が手紙を受け取った所から原文で読みましょう。
深き秋のあはれまさりゆく風の音、身にしみけるかなと、ならはぬ御独寝に明かしかねたまへる朝ぼらけの霧りわたれるに、菊のけしきばめる枝に、濃き青鈍の紙なる文つけて、さし置きて去にけり。今めかしうもとて、見たまへば、御息所の御手なり。
聞こえぬほどは、おぼし知るらむや。
人の世をあはれときくも露けきに
おくるる袖を思ひこそやれ
ただ今の空に思ひあまりてなむ。
とあり。常よりも優に書いたまへるかなと、さすがに置きがたう見たまふものから、つれなの御とぶらひやと、心憂し。
朝早く、咲きかけた菊の枝に藍色の紙を結び付けた手紙が源氏の元に届きました。洒落た趣向だなと思って開いてみると御息所の筆跡で「お手紙を差し上げずにいた私の気持ちはおわかりでしょう」とあって歌が書かれています。歌は「きく」が掛詞になっていて、意味は「あの方に先だたれたあなたの悲しみをお察し申し上げます」というような意味でしょうか。趣向を凝らした風流なお手紙に感心してしまう源氏ですが、生霊として出現した御息所のおぞましさは忘れられず、かといって無視するわけにもゆかないので、ちらりとその件を仄めかしたお返事を出したのでした。それを受け取った御息所は「さればよ」つまり「やっぱりそうか」と思って絶望的な気持ちになったのでした。原文です。
心の鬼にしるく見たまひて、さればよとおぼすも、いといみじ。なほいと限りなき身の憂さなりけり。かやうなる聞こえありて、院にもいかにおぼさむ、故前坊の、同じ御はらからというなかにもいみじう思ひかはしきこえさせたまひて、この斎宮の御ことをも、ねむごろに聞こえつけさせたまひしかば、その御かはりにも、やがて見たてまつりあつかはむなど、常にのたまはせて、やがて内裏住みしたまへと、たびたび聞こえさせたまひしをだに、いとあるまじきことと思ひ離れにしを、かく心よりほかに若々しきもの思ひをして、つひに憂き名をさへ流し果つべきことと、おぼし乱るるに、なほ例のさまにもおはせず。
こんな噂が桐壺院の耳に入ったりしたらどうしようと心を痛めています。かつて彼女の夫であった皇太子が亡くなった時に、皇太子の兄の桐壺院がそのまま世話するので宮中に残りなさいと何度も言って下さったのに断っておいて、今になってその院の子供である若い源氏と浮名を流し、挙句の果てに怨霊となって現れたなどという噂が流れたりしたらどうしようと思って、心は千々に乱れるのでした。
きょうはここまでといたしましょう。
文:岸本久美子
【引用】新潮日本古典集成より
第四章 通り過ぎた女君たち 其の二 皇太子の未亡人六条御息所 第五話「野々宮の別れ」は2025年1月9日に配信いたします
YouTube動画中の「源氏物語手鑑」につきまして。和泉市久保惣記念美術館デジタルミュージアム許可のもと引用しています🔗