朱雀院七、胸つぶれて

若菜下

第3章 脇役に徹した男朱雀院 其の七「胸つぶれて」

 

 

 朱雀院は娘の妊娠、その後の体調不良そして、なぜか源氏の君のお渡りは途絶えがちという話を耳にして、気が気ではありません。源氏の君ならと見込んで娘を託したのに、いったい何があったのだろうか、ともう心配でたまりません。紫の上が重い病に倒れておられた頃はその看病で宮がなおざりにされても仕方ないと思っていたけれど、紫の上が回復されてからもお渡りが途絶えがちということは、もしかしたら、何か不都合なことでもあったのだろうかとあれこれ考えずにはいられません。ここで院は、なんとなく真実に気付いているわけです。本人のせいでなくとも、考えの浅い女房たちが男の手引きでもしたのかもしれない・・・・と。原文です。御山とあるのが朱雀院です。

  御山にも聞こしめして、らうたく恋しと思ひきこえたまふ。月ごろかくほかほかにて、わたりたまふこともをさをさなきやうに、人の奏しければ、いかなるにかと御胸つぶれて、世の中も今さらにうらめしくおぼして、対の方(紫の上)のわづらひけるころは、なほそのあつかひにと、聞こしめしてだに、なまやすからざりしを、そののち、なほりがたくものしたまふらむは、そのころほひ、便なきことや出で来たりけむ、みづから知りたまふことならねど、よからぬ御後見どもの心にて、いかなることかありけむ、

 そしていたたまれず、娘に手紙を書いたのでした。体調が悪いと聞いて心配していること、また、夫の訪れが間遠だからと恨めし気な様子を見せたりしてはなりません、と。そのお手紙が宮の元に届いた時、ちょうど源氏が来合わせていました。原文です。大殿とあるのが源氏です。

  こまやかなることおぼし捨ててし世なれど、なほこの道は離れがたくて、宮に御文こまやかにてありけるを、大殿、おはしますほどにて、見たまふ。
そのこととなくて、しばしも聞こえぬほどに、おぼつかなくてのみ年月の過ぐるなむ、あはれなりける。なやみたまふなるさまは、くはしく聞きしのち、念誦のついでにも思ひやらるるはいかが。世の中さびしく思はずなることありとも、忍び過ぐしたまへ。うらめしげなるけしきなど、おぼろけにて、見知り顔にほのめかす、いと品おくれたるわざになむ。
など、教へきこえたまへり。

 源氏は、この、娘を優しく諭す慈愛に満ちた言葉を読んで申し訳ない気持ちと、持って行き場のないいらだたしさで一杯になったのでした。院は宮が不始末をしでかしたことなどは勿論御存じないわけで、私の宮に対する態度に失望され、ただただ私を恨んでおいでだろう、けれどこれはどうしようもないことだと。院がそれとなく事情を察しておいでであることには想像が及びませんでした。
春に予定されていた女三宮主催の賀は、紫の上の重病で延期となり、紫の上の小康状態を待って、秋にでもと予定されたのですが、女三宮の妊娠による体調不良で延期、一二月十日過ぎにと予定されたが、病の床に臥していた柏木が重態となり再び延期。
しかし、これはどうしても次の年にのばすわけにはいかない性質のものです。やむを得ず、柏木始め音曲の得意な左大臣一家は欠席、女三宮も心身傷ついて、せっかく練習した琴を披露するどころでなく、寂しい賀が年末ぎりぎりになって、源氏の決断で形ばかり実行されたのでした。賀を祝ってもらう院としても、ありがたいことではありながら、素直に喜べず、複雑な思いで受けた賀でした。原文です。
 
  御賀は、二十五日になりにけり。かかる時のやむごとなき上達部の、重くわづらひたまふに、親、兄弟、あまたの人々、さる高き御仲らひの嘆きしをたれたまへるころほひにて、ものすさまじきやうなれど、次々にとどこほりつることだにあるを、さて止むまじきことなれば、いかでかはおぼしとどまらむ。女宮の御心のうちをぞ、いとほしく思ひきこえさせたまふ。例の五十寺の御誦経、またかのおはします御寺にも、魔訶毘廬遮那の。

 そしてその年が明けて女三宮は男の子を無事出産しました。柏木の子です。源氏は周囲に気づかれないようにしてはいますが、やはり素直に喜ぶことはできません。罪の意識に苦しむ宮に源氏の冷たい視線や皮肉が突き刺さります。朱雀院は宮の出産が無事に済んだことに胸をなでおろしつつ、その後すっかり弱っておいでと聞いてまたまた心配でたまりません。そんな中で、いとしい娘が自分を恋うて泣いていると聞いて、朱雀はいても立ってもいられず山から下りて、六条院にやってきたのでした。原文です。

  山の帝は、めづらしきこと御たひらかなりと聞こしめして、いとあはれにゆかしう思ほすに、かくなやみたまふよしのみあれば、いかにものしたまふべきにかと、御行ひも乱れておぼしけり。さばかり弱りたまへる人の、ものをきこしめさで日ごろ経たまへば、いとたのもしげなくなりたまひて、「年ごろ見たてまつらざりしほどよりも、院のいと恋しくおぼえたまふを、またも見たてまつらずなりぬるにや」と、いたう泣いたまふ。かく聞こえたまふさま、さるべき人して伝へ奏せさせたまひければ、いと堪へがたう悲しとおぼして、あるまじきこととはおぼしめしながら、夜に隠れて出でさせたまへり。

 突然の来訪に源氏はおどろきつつ、僧形になられたお姿が申し分なく御立派で美しくていらっしゃるのに感動し、涙をこぼします。またこうして宮を心配して本来なら出家の身でありながら俗世の恩愛の情に耐え切れずおでましになったお心のほどを思って心が痛むのでした。朱雀院は「子を思う心の闇に迷って日頃の勤行にも身が入らず、もしやこのまま娘に先立たれるようなことがあったら互いに怨みが残ると、あるべきことではないけれどやってきました」と言うのでした。二人の対面の場面少し原文で読みましょう。

  かねてさる御消息もなくて、にはかにかくわたりおはしまいたれば、主人の院、おどろきかしこまりきこえたまふ。「世の中をかへりみすまじう思ひはべりしかど、なほまどひさめがたきものは、この道の闇になむはべりければ、行ひも懈怠して、もし後れ先だつ道の道理のままならで別れなば、やがてこの恨みもかたみに残らむと、あぢきなさに、この世のそしりをば知らで、かくものしはべる」と聞こえたまふ。御容貌異にても、なまめかしくなつかしきさまにうち忍びやつれたまひて、うるはしき御法服ならず、墨染の御姿、あらまほしうきよらなるも、うらやましく見たてまつりたまふ。例の、まづ涙おとしたまふ。

 源氏は女三宮の病状について説明した後で朱雀院の御座所を宮の病床の傍らに設けて、宮の身なりを整えさせてから院に対面させます。ここで宮は思いがけないことを言いだしたのでした。さあどんなことだったでしょうか。ここからは次回に譲りましょう。









文:岸本久美子
【引用】新潮日本古典集成より


次回2024年3月16日最終回 脇役に徹した男朱雀院 其の八「くちをしきことども」 
YouTube動画中の「源氏物語手鑑」につきまして。和泉市久保惣記念美術館デジタルミュージアム許可のもと引用しています🔗