五、遠方人(をちかたびと)

松風 薄雲

遠方人(をちかたびと)

 前回お話したように、内大臣の位につき、多忙ながらも充実した日々を送る源氏の君のかたわらにあって、幸せを嚙みしめる紫の上でしたが、ただひとつの気がかりは源氏が明石に残してきた女性のことでした。源氏からその女性に女の子が生まれたと聞いて、子どものない紫の上は複雑な思いです。あなたが産んでくれたのでなくて残念だという言葉に、紫の上はかえって傷つきました。そんな紫の上の気持ちには気づかず、源氏は明石の君の思い出を語ります。原文です。

  「人がらのをかしかりしも、所がらにや、めづらしうおぼえきかし」などかたり聞こえたまふ。あはれなりし夕の煙、言ひしことなど、まほならねど、その夜の容貌、ほの見し、琴の音のなまめきたりしも、すべて御心とまれるさまに、のたまひ出づるにも、われはまたなくこそ悲しと思ひ嘆きしか。すさびにても心を分けたまひけむよ、とただならず思ひ続けられたまひて、「われはわれ」とうちそむきながめて、(略)とて、筝の御琴引き寄せて、掻き合はせすさびたまひて、そそのかしきこえたまへど、かのすぐれたりけむもねたきにや、手も触れたまはず。いとおほどかに、うつくしう、たをやぎたまへるものから、さすがに執念きところつきて、もの怨じしたまへるが、なかなか愛敬づきて腹立ちなしたまふを、をかしう、見どころあり、とおぼす。

 魅力的な人だった、琴も上手だったと瞳を宙にさまよわせて語る源氏の君に、紫の上は平静ではいられません。私は寂しくとも我慢していたのに何たることかと腹を立てています。そんな紫の上がまた可愛いと源氏は思っています。いい気なものですね。その翌々年の秋、源氏は明石の君母子を京に呼び寄せます。娘は三歳になっています。(数え年です)明石の君は源氏の邸二条院に住むことは拒み、嵯峨大堰の山荘に移って来ました。京の中心からは遠い所です。多忙な源氏の君は明石の君が移り住んだという知らせを受けてもすぐに訪ねて行くことはできません。しばらく経ってから、ようやく時間を作って明石の君の元を訪れたのでした。桂に造営中の別荘を見に行き、嵯峨野に作った御堂の手入れもしなければならないので、そのついでと紫の上には話しています。そして、三晩うちを空けて戻って来た源氏の元に明石君から手紙が届きました。源氏が送った手紙の返事なのです。源氏の君は紫の上の目を気にしつつも、隠すこともできず、その場で手紙を広げました。それに続く場面を原文で読みましょう。

  「これ破り隠したまへ。むつかしや。かかるもの散らむも、今はつきなきほどになりにけり」
とて、御脇息に寄りゐたまひて、御心のうちには、いとあはれに、恋しう思しやらるれば、燈をうち眺めて、ことにものものたまはず。文は広ごりながらあれど、女君見たまはぬやうなるを、「せめて見隠したまふ御まじりこそ、わづらはしけれ」とて、うち笑みたまへる愛敬、所狭きまでこぼれぬべし。さし寄りたまひて、「まことは、らうたげなるものを見しかば、契り浅くもみえぬを、さりとて、ものめかさむほども、憚り多かるに、思ひなんわづらひぬる。おなじ心に思ひめぐらして、御心に思ひ定めたまへ。いかがすべき。ここにて、はぐくみたまひてむや、(略)」と聞こえたまふ。「思はずにのみとりなしたまふ、御心の隔てを、せめて見知らず、うらなくやはとてこそ。いはけなからん御心には、いとようかなひぬべくなむ。いかにうつくしきほどに」とてすこしうち笑みたまひぬ。児をわりなくらうたきものにしたまふ御心なれば、得て、抱きかしづかばやとおぼす。

 「こんな手紙捨ててくれ」と口では言いつつも、うっとり彼女のことを思っているような様子の源氏の君に、紫の上は不快感を隠せません。ところが、紫の上の傍らに寄って来た源氏の君は思いがけないことを言います。大堰の山荘で可愛い子を見て来たこと、そして、その子も三歳になったこと故、袴着の儀式をしてやらなくてはならないが、母親にちょっと問題があって、世間に披露しにくい。どうだろう、その子をこちらに引き取ってあなたの子どもとして育ててはくれないかという提案なのです。それを聞いた紫の上は驚きながらも早速機嫌をなおしてにっこりし、どんなに可愛いだろう、はやく抱っこして可愛がってみたいと思ったのでした。紫の上は大の子供好きなのです。それなのに、皮肉なことに子どもができません。作者紫式部は登場する女性の全てに何かを欠落させています。どの女性もなんらかの不幸を抱えているのです。明石の君の場合は身分がそれに当たります。彼女は地方の受領階級の娘だったのです。そのために、明石の君は、子どもの将来のために愛しいわが子、可愛い盛りの娘を泣き泣き手放すことになるのです。母親の身分に子どもは左右される時代でした。
冬のある日、源氏の君に連れられて二条院に来た明石姫は始めの内こそ母を求めて泣きましたが、すぐに紫の上になつきました。紫の上は抱きまわして片時も離さなかったとあります。原文で読みましょう。

  (明石姫は)しばしは人々もとめて泣きなどしたまひしかど、おほかた心やすくをかしき心ざまなれば、上にいとよくつきむつびきこえたまへれば、いみじううつくしきもの得たりとおぼしけり。異事なく抱きあつかひ、もてあそびきこえたまひて、乳母も、おのづから近うつかうまつり馴れにけり。(略 )明け暮れのかしづきぐさをさへ離れ聞こえて、思ふらむことの心苦しければ、御文なども絶え間なくつかはす。女君も、今はことに怨じきこえたまはず、うつくしき人に罪ゆるしきこえたまへり。

  姫を奪われて寂しく暮らす明石の君を気の毒に思って、源氏の君はしばしば便りを送りますが、紫の上は可愛い姫に免じてそれを許したとあります。そうして一月ばかり過ぎて、 源氏の君は暇を見つけて大堰の山荘に明石の君を訪ねることにしました。お洒落して出かけて行く君を紫の上が見送る場面を原文で読みましょう。二人の歌の贈答に出て来る遠方人、遠くの人、が大堰の山荘に住む明石の君です。


  (源氏は)山ざとのつれづれをも絶えずおぼしやれば、公私もの騒がしきほど過ぐしてわたりたまふとて、常よりことに、うちけさうじたまひて、櫻の御直衣にえならぬ御衣ひき重ねて、たきしめ装束きたまひて、まかり申したまふさま、隈なき夕日に、いとどしくきよらに見えたまふを、女君ただならず見たてまつり送りたまふ。姫君は、いはけなく、御指貫の裾にかかりしたひきこえたまふほどに、外にも出でたまひぬべければ、立ちとまりて、いとあはれとおぼしたり。こしらへおきて、「明日帰り来む」と、口ずさびて出でたまふに、渡殿の戸口に待ちかけて、中将の君して聞こえたまへり。
(紫の上)舟とむる遠方人のなくはこそ
明日帰り来む夫と待ち見め
いたう馴れて聞こゆれば、いとにほひやかにほほゑみて、
(源氏)行きて見て明日もさね来むなかなかに
遠方人は心置くとも
何ごととも聞き分かでざれありきたまふ人を、上はうつくしと見たまへば、遠方人(明石の君)のめざましさもこよなくおぼしゆるされにたり。いかに思ひおこすらむ。われにて、いみじう恋しかりぬべきさまをと、うちまもりつつ、ふところに入れてうつくしげなる御乳をくくめつつ、たはぶれゐたまへる御さま、見どころ多かり。

 折からの夕日に照らされて一段と美しく見える源氏の君を見る紫の上の心は穏やかではありません。「明日帰ってくるからね」と言って出かけて行く君に紫の上は「あなたを引き留める遠方人、明石の君がいなければ明日お帰りになるでしょうけどね」と歌を詠みかけ、源氏の君のほうは「いやいや、あちらの人がこんなにすぐお帰りになるなら来ていただかない方が良かったと恨んでも、きっと明日帰るよ」と返して出かけて行ったのでした。
 源氏の君を見送った後、なにもわからずはしゃぎまわっている姫の姿を見れば、明石の君に対する嫉妬心も消えてゆきます。こんなかわいい子を手放して自分に委ねてくれているのだから、と。そして姫を抱っこしてお乳を含ませています。
こうして娘を手に入れた紫の上は、この後、姫が11歳で入内するまで八年の間、姫をわが子として慈しんで育てたのでした。









文:岸本久美子
【引用】新潮日本古典集成より


次回第六回 「石間の水」 2022年4月21日配信
YouTube動画中の「源氏物語手鑑」につきまして。和泉市久保惣記念美術館デジタルミュージアム許可のもと引用しています🔗