澪標、松風
其の五「老いの涙」
京に帰り咲いて一年後、源氏の君は住吉神社にお礼参りに出かけることにしました。須磨で命の危険を感じるほどの暴風雨にさらされた時に、住吉の神に助けを求め願を掛けたその願果たしのお礼参りでした。飛ぶ鳥も落とす勢いの源氏の君のお礼参りということで、京の町中で評判になり、我も我もと多くの貴族たちがお供に参じたのでした。住吉の浜に繰り広げられたその美々しい行列を、たまたまその同じ日に住吉神社に舟でお参りした明石の君が目にします。今と違って情報は離れたところには伝わりません。何も知らずに出くわしてしまった明石の君は、源氏の威勢を目の当たりにして委縮し、その日の参詣は避けて、難波の港に泊まり、翌日あらためて住吉神社へのお参りをしたのでした。そのことを伝え聞いた源氏は明石の君をあわれにも懐かしくも思って、道中から手紙を出したのでした。そして京に帰り着くと、すぐにまた改めて、明石の君に上京をうながす手紙を出します。明石の君の心は揺れます。源氏の君が自分の想像を超えた華やかな存在であることにも、衝撃を受けました。あのようなお方のお傍に自分のような身分の者が近寄れるのだろうか。ほかの女君たちと肩を並べることなどできそうもない・・・・けれども娘をこのままここでそだてるわけにも行くまい・・・・。原文です。女とあるのが明石の君で、若君が姫です。
明石には御消息絶えず、今はなほ上りぬべきことをばのたまへど、女はなほわが身のほどを思ひ知るに、こよなくやむごとなき際の人人だに、なかなかさてかけ離れぬ御ありさまのつれなきを見つつ、もの思ひまさりぬべく聞くを、まして何ばかりのおぼえなりとてかさし出でまじらはむ、この若君の御面伏に、数ならぬ身のほどこそあらはれめ、たまさかにはひわたりたまふついでを待つことにて人笑へにはしたなきこといかにあらむと思ひ乱れても、また、さりとてかかる所に生ひ出で数まへたまはざらむも、いとあはれなれば、ひたすらにもえ恨み背かず。親たちも、げにことわりと思ひ嘆くに、なかなか心も尽き果てぬ。
父入道は、明石の君の不安な気持ちもわかるし、また、別れも辛いけれども、このままこの片田舎に置いておくことはできない、自分の念願を叶えるためにはどうしても娘と孫を京へ送り出すしかないと考えていました。そこで、入道は、娘たちの住まいを源氏の邸宅ではない別の場所、昔母君の領地であった、京のはずれ、大堰川のほとりに用意したのでした。上京の決意を知った源氏は迎えを寄越します。もう逃れようがありません。明石の君は父入道を一人この地に残してゆくことを思えば辛く、また、入道は入道で、妻や娘と別れることの辛さ以上に孫と別れねばならないことが悲しくて悲しくてたまりません。一日中「ではもうこの子を見ないで過ごすのか」と繰り返し嘆きの言葉を口にするのでした。原文です。
親しき人々、いみじう忍びて下しつかはす。のがれがたくて、今はと思ふに、年経つる浦を離れなむことあはれに、入道の心細くて一人とまらむことを思ひ乱れて、よろづに悲し。すべてなどかく心尽くしになりはじめけむ身にかと、露のかからぬたぐひうらやましくおぼゆ。親たちも、かかる御迎へにて上る幸ひは、年ごろ寝ても覚めても願ひわたりし心ざしのかなふと、いとうれしけれど、あひ見で過ぐさむいぶせさの堪へがたう悲しければ、夜昼思ひほれて、同じことをのみ、「さらば、若君をば見たてまつらでははべるべきか」と言ふよりほかのことなし。
いよいよ別れの日が来ました。京に戻って行った源氏との別れも秋でしたが、また秋の別れが繰り返されることになりました。後に残る入道に、せめて京まで送ってきてほしいと明石君は頼むのですが、この地を離れないという入道の決意は固いものでした。めでたい門出に涙は慎むべきと思いつつ入道はいとしい孫そして妻や娘との別れに涙をこらえることができないのでした。尼君も、入道と共に京を出てこの地で過ごしてきた長い歳月を思えば、別れの辛さは一通りではありません。原文で読みましょう。
秋のころほひなれば、もののあはれ取り重ねたるここちして、その日とある暁に、秋風涼しくて、虫の音もとりあへぬに、海のかたを見出だしてゐたるに、入道、例の、後夜よりも深う起きて、鼻すすりうちして、行ひいましたり。いみじう言忌すれど、誰も誰もいとしのびがたし。若君は、いともいともうつくしげに、夜光りけむ玉のここちして、袖よりほかには放ちきこえざりつるを、見馴れてまつはしたまへる心ざまなど、ゆゆしきまで、かく人に違へる身をいまいましく思ひながら、片時見たてまつらでは、いかでか過ぐさむとすらむと、つつみあへず。
「行くさきをはるかに祈る別れ路に堪へぬは老の涙なりけり
いともゆゆしや」とておしのごひ隠す。尼君、
もろともに都は出できこのたびやひとり野中の道にまどはむ
とて、泣きたまふさま、いとことわりなり。
別れに際して、入道は、一緒に京に行くことができないわけと自分が京を捨ててこの地に下った理由とを併せて語り、自分が娘に託してきた思いと今後の決意を告げたのでした。自分が京での地位を捨ててこの地に下ったのも生まれてくる娘明石の君のお世話を十分にするためであったこと、受領としての任期が果てた後も、京に戻っても笑いものになるだけなので、そのまま出家してこの地に根を下ろしたこと、さらに明石君に一族復権への願いを託していたところに源氏の君とのめぐり逢いがあり、めでたく姫の誕生をみたことから、運命は拓けると確信したというようなことを長々と語ったのでした。そして、最後に「これは本当のお別れになります、私が死んだと聞いても気にかけないで下さい」と言い放ったのでした。原文で少し読みましょう。
「世の中を捨てはじめしに、かかる人の国に思ひ下りはべりしことも、ただ君の御ためと、思ふやうに明け暮れの御かしづきも心にかなふやうもやと、思ひたまへ立ちしかど(略)若君のかう出でおはしましたる御宿世のたのもしさに、かかる渚に月日を過ぐしたまはむもいとかたじけなう、契り異におぼえたまへば、見たてまつらざらむ心まどひは静めがたけれど、この身は長く世を捨てし心はべり、君達は世を照らしたまふべき光しるければ、しばしかかる山がつの心を乱りたまふばかりの御契りこそはありけめ、(略)今日長く別れたてまつりぬ。命尽きぬと聞こしめすとも、後のことおぼしいとなむな。さらぬ別れに御心うごかしたまふな」と言ひ放つものから、「煙ともならむ夕まで、若君の御ことをなむ、六時のつとめにもなほ心ぎたなくうちまぜはべりぬべき」とて、これにぞ、うちひそみぬる。
朝霧のなか、明石の浦から一行が船出すると、見送った入道はただ茫然として、しばらくはそのまま立ち続けて海を眺めていたのでした。海はおだやかで、一行の舟は予定通り京に着きました。そして無事大堰川のほとりに用意された山荘に落ち着きました。京のはずれの、松風の音が響く静かなところです。しばらくして訪れた源氏は、初めて見る姫の愛らしさに感動し、何としても自分の手元で育てたいと心の内で思ったのでした。そしてやがて、源氏は明石の君の心のうちを思うと辛かったのですが、姫君を自分の所で育てたいと申し出たのでした。明石君は姫を手放した後の寂しさを思ってためらいますが、母尼君の説得で結局泣く泣く娘を手放したのでした。明石という田舎で生まれたということ、母親が受領階級の娘であるということは姫君にとって大きな傷です。姫君の将来を考えると、源氏の邸で紫の上の娘として育てるということは必然ともいえる展開でした。源氏は密かに予定していたことです。ただ、明石君は娘を手放すことになるとは思っていませんでした。けれどもこの運命を受け入れるしかなかったのでした。
文:岸本久美子
【引用】新潮日本古典集成より
次回2024年6月27日 光源氏に王権を奪還させた男 其の六「いとうれしく」
YouTube動画中の「源氏物語手鑑」につきまして。和泉市久保惣記念美術館デジタルミュージアム許可のもと引用しています🔗