柏木 一、そよぐ柏葉

胡蝶、梅が枝、藤裏葉

光源氏に憧れ続けた男 柏木
一、そよぐ柏葉

 

 柏木は前回とりあげた頭中将の長男、突然病に倒れてそのまま亡くなって一家を悲しみのどん底に突き落としたその人です。
左大臣家の頭中将と右大臣家の姫君との間に生まれた長男で、何ひとつ不自由なく大切に育てられたと思われます。子供時代についてはほとんど書かれていませんが、光源氏の長男夕霧とはいとこ同士で、光源氏の所にも出入りして可愛がられていたようです。
 左大臣家は音楽の才に優れていたのですが、柏木もなんでもできたけれど、ことに和琴の腕前は右にでるものがなかったと書かれています。蹴鞠の腕前も大したものだったという事で名門の子弟で、美男子で、スポーツにも楽器の演奏にも秀でた好青年です。
 物語の中で柏木が本格的に登場するのは二十歳の頃のことです。当時、光源氏の六条院には、あらたに見つけ出されたという源氏の娘玉鬘がいました。この娘は実は源氏の子ではなく、かつての愛人夕顔が産んだ頭中の子なのです。そのことは本人も源氏も知っているのですが、世間では源氏の娘ということになっていました。そして、この娘は大変な美人だという評判で若者たちから多くの恋文が届きます。柏木はその中でも特に熱心な求婚者の一人でした。柏木がこの娘に憧れた理由のひとつは、彼女が光源氏のものであるという点にあると思われます。柏木の目には、源氏の君は全てにおいて秀でた理想の人物として映っていました。政治的な権力と同時に、父頭中にはない雅さを併せ持つ憧れの人だったのです。ですから、源氏に所属するものは何でもすばらしいものと思えるのでした。
 柏木が玉鬘に届けた恋文をたまたま源氏が目にしたところを原文で読みましょう。源氏はあちこちの若者から娘のところに届いた恋文をチェックしているのです。

  皆見くらべたまふ中に唐の縹の紙の、いとなつかしう、しみ深う匂へるを、いと細く小さく結びたるあり。「これはいかなれば、かく結ぼほれたるにか」とて引きあけたまへり。手いとをかしうて、
    思ふとも君は知らじなわきかへり
       岩漏る水に色し見えねば
書きざま今めかしうそぼれたり。「これはいかなるぞ」と問ひきこえたまへど、はかばかしうも聞こえたまはず。

 玉鬘自身は開いて見ようともしない恋文を父親気取りの源氏が開けて読んでいます。美しい紙に上手な字で「私の湧きかえる熱い想いをあなたはご存知ないでしょう。湧きかえる水に色がないないように私の心も見えませんから」という歌が洒落た書きざまで書かれています。興味を持った源氏の君は、これは誰からの手紙かと玉鬘に尋ねるのですが、彼女ははっきりしたことは答えません。そこで源氏は女房を呼んで、このよくできた恋文が柏木からのものであることを聞き出します。そして、こんなことを言います。原文です。

 「いとらうたきことかな。下臈なりとも、かの主たちをば、いかがいとさははしたなめむ。公卿といへど、この人のおぼえに、かならずしも並ぶまじきこそ多かれ。さるなかにも、いとしづまりたる人なり。おのづから思ひあはする世もこそあれ。掲焉にはあらでこそ言ひまぎらはさめ。見所ある文書きかな」など、とみにもうち置きたまはず。

 この時、柏木はまだ公卿いわゆる上達部三位以上の位ではありませんでしたが、その上達部でも世の評価が柏木に及ばない者はたくさんいる、この若者は見所のある男だと源氏は褒めています。ただ、玉鬘は、実は柏木と同じ頭中を父としているわけですから、結婚するわけには行きません。そのことはやがてわかるだろうから今は適当に言いつくろっておきなさいとも言っています。玉鬘は柏木が弟であることを知っていますから、複雑な思いです。この後も柏木は夕霧に仲介を頼んだりして、引き続き熱心に求婚するのですが、進展はありません。夕霧は玉鬘と同じ舘の東の対に暮らしています。初秋のある夕べ、柏木とその弟弁の少将が、いつものように夕霧の元にやってきて笛や琴の演奏を楽しんでいると、ちょうど玉鬘の住む西の対に源氏が来合わせて居て、笛の音を柏木のものと聞いて、若者たちをこちらへと呼びます。篝火のもと、源氏も琴を弾き、夕霧は笛を吹き、弁の少将が良い声で歌います。玉鬘が聴いていることを意識して柏木はすっかり緊張していますが、勧められて和琴を弾いています。この美しい場面、少し原文を読みましょう。源中将が夕霧、頭の中将が柏木です。

  秋になりぬ。初風涼しく吹き出でて、(略)五六日の夕月夜は疾く入りて、少し
雲隠るるけしき、荻の音もやうやうあはれなるほどになりにけり。(略)御消息、「こなたになむ、いと影涼しき篝火に、とどめられてものする」とのたまへれば、うち連れて三人参りたまへり。「風の音秋になりにけりと聞こえつる笛の音に、忍ばれでなむ」とて、御琴ひき出でて、なつかしきほどに弾きたまふ。源中将は盤渉調にいとおもしろく吹きたり。頭の中将、心づかひして出だし立てがたうす。「遅し」とあれば、弁の少将、拍子打ち出でて、忍びやかに歌ふ声、鈴虫にまがひたり。二返りばかり歌はせたまひて、御琴は中将にゆづらせたまひつ。げにかの父大臣の御爪音に、をさをさ劣らずはなやかにおもしろし。

 翌年の春、玉鬘はその裳着の際に出自があきらかにされ、腹違いの姉であることがわかって、柏木の恋は空しく終わります。一方で同じく熱心な求婚者であった髭黒という男は、柏木の上官であったことから、彼を通して実父頭中にも手を回して玉鬘を手に入れることに成功したのでした。
 そのまた翌年の夏には夕霧が内大臣家(元の頭中)家に招かれて雲居の雁と長年の恋にピリオドをうつことになりますが、その夜、夕霧を妹の部屋に導く役をしたのが柏木でした。柏木は親友と妹の結婚を歓迎しながらも少し癪に障る気持ちも抱かずにはいられないのでした。
 さて、この後、夕霧の結婚と同じ年の冬のことです。朱雀院が出家にそなえて、鍾愛の娘女三宮の婿を探しておいでということで、多くの貴公子たちが名乗りを上げました。中でも熱心だったのが柏木です。柏木の乳母は女三宮の乳母の姉であったことから、前々から噂を聞かされていて、密かにねらっていたのです。並みの身分の女とは結婚したくないという思いも強かったのです。そこであちこちから手を回して何とか自分の元へ御降嫁頂きたいと懸命になります。朱雀院の寵愛深かった叔母朧月夜を介してその強い希望を伝えたりもしています。しかし、朱雀院は柏木が優秀な青年であることは認めつつも、まだあまりに若く位も低くて、ちょっと娘を託すにはもの足りないなあと思い悩んでいます。原文です。朱雀院が乳母たちに語った言葉です。右衛門の督が柏木です。

 「右衛門の督(柏木)の下にわぶなるよし、尚侍のものせられし、その人ばかりなむ、位など今すこしものめかしきほどになりなば、などかはとも思ひ寄りぬべきを、まだ年いと若くて、むげに軽びたるほどなり。高き心ざし深くて、やもめにて過ぐしつつ、いたくしづまり思ひあがれるけしき、人には抜けて、才などもこともなく、つひには世のかためとなるべき人なれば、行く末もたのもしけれど、なほまたこのためにと思ひ果てむには、限りぞあるや」とよろづにおぼしわづらひたり。

 こうして朱雀院は散々迷った結果、可愛い娘は光源氏に託すことに決めました。それが噂となってささめき交わされ柏木の耳にも入ります。柏木の落胆は大きなものでした。この年の暮れには女三宮の裳着が盛大に行われ、いよいよ朱雀院は出家、年明けには源氏の君の四十の賀がまず玉鬘の主宰で行われました。その席には父と共に柏木も列なり、その和琴の音は人々を驚かせたのでした。原文を少しだけご紹介します。衛門の督が柏木です。
  和琴は、かの大臣の第一に秘したまひける御琴なり。さるものの上手の、心をとどめて弾き馴らしたまへる音、いと並びなきを、異人は掻きたてにくくしたまへば、衛門の督のかたくいなぶるを責めたまへば、げにいとおもしろく、をさをさ劣るまじく弾く。何ごとも、上手の嗣といひながら、かくしもえ継がぬわざぞかしと、心にくくあはれに人々おぼす。(略)心にまかせてただ掻き合はせたるすががきに、よろづのものの音ととのへられたるは、妙におもしろく、あやしきまで響く。

 人々は和琴の上手で有名であった父大臣以上の柏木の腕前に賞賛の言葉を惜しみませんでした。こうして見て来ると、この当時、柏木が世の人から将来を期待され、また音楽の方面でもその才能をみとめられる華やかな存在、誰からも羨まれるような存在であったことがわかります。そう、青年柏木には明るい未来が約束されていたのです。
きょうはここまでといたしましょう。









文:岸本久美子
【引用】新潮日本古典集成より


次回第二話「降りしきる桜」  2023年2月16日配信
YouTube動画中の「源氏物語手鑑」につきまして。和泉市久保惣記念美術館デジタルミュージアム許可のもと引用しています🔗