皇太子の未亡人六条御息所 三、袖濡るるこひぢ

三「袖濡るるこひぢ」

 

 禊の行列から間もないころ、出産を間近に控えた源氏の君の正妻、左大臣家の娘葵上の体調が思わしくないことを気遣う声があちこちから聞こえてくるようになりました。様々な物の怪が現れて葵上を苦しめているというのです。これまでは、葵上に対して特別に嫉妬心や対抗心を持っていなかった御息所ですが、今回車争いで葵上側からはづかしめを受けてからは特別な感情を抱くようになっています。葵上の無事出産を祈る世間の風潮も苦々しく、心の内には様々な思いがせめぎ合って、体調を崩し、他所に移って病気治療の加持祈祷をすることになりました。(斎宮の居る自宅には僧を呼ぶことができないからです。)それを伝え聞いた源氏は見舞いにでかけます。原文で読みましょう。大将とあるのが源氏の君です。

  かかる御もの思ひの乱れに御ここちなほ例ならずのみおぼさるれば、ほかにわたりたまひて、御修法などせさせたまふ。大将殿聞きたまひて、いかなる御ここちにかと、いとほしう、おぼし起してわたりたまへり。例ならぬ旅所なれば、いたう忍びたまふ。心よりほかなるおこたりなど、罪ゆるされぬべく聞こえ続けたまひて、なやみたまふ人の御ありさまも、うれへきこえたまふ。

 源氏は御息所が寝込むことになった一番の原因が葵上側との車争いであることに気づいていません。そのために、色々慰めの言葉やご無沙汰のお詫びをするなかで、葵上の状態が心配で側を離れにくいということを言ったりしています。御息所が心からうちとけてお相手をする前に夜が明けて、朝早く源氏は帰ってゆきます。そのお姿を見るにつけても御息所の心は揺れるのでした。この方と別れて遠くへ行くことなんかできはしない、とはいえあちらに子供ができれば私のことなど一層なおざりになさるだろう、お出でを待ち疲れる日々を過ごすなんてたまらない・・・・と。原文で読みましょう。
 
  うちとけぬ朝ぼらけに出でたまふ御さまのをかしきにも、なほふり離れなむことはおぼしかへさる。やむごとなきかたに、いとど心ざし添ひたまふべきことも出で来にたれば、一つ方におぼししづまりたまひなむを、かやうに待ちきこえつつあらむも、心のみ尽きぬべきこと、なかなかもの思ひのおどろかさるるここちしたまふに、御文ばかりぞ、暮つかたある。
   
 源氏の訪れは一夜だけでした。翌日の夕方になってお手紙だけが届いたとあります。そのお手紙には「こちらの方の、少し収まっていると見えた容体がまた悪くなったので失礼します」とありました。御息所は口実だとは思いつつお返事をすぐに書いてお使いの者に渡したのでした。源氏はそのお返事を見て、やはりこの方の筆跡は際立っていると感心し、容貌も心持もそれぞれに優れた女君を誰か一人に決めるのは難しいことだと改めて思ったのでした。その御息所の歌に対しては源氏もすぐに歌を詠んでお返事しています。原文で読みましょう。
まず御息所の手紙からです。
     
  袖濡るるこひぢとかつは知りながら
        おりたつ田子のみづからぞ憂き
     山の井の水もことわりに。
とぞある。御手は、なほここらの人のなかにすぐれたりかしと見たまひつつ、いかにぞやもある世かな、心も容貌も、とりどりに捨つべくもなく、また思い定むべきもなきを、苦しうおぼさる。御返り、いと暗うなりにたれど、
袖のみ濡るるや、いかに。深からぬ御ことになむ。
浅みにや人はおりたつわが方は
身もそほつまで深きこひぢを
おぼろけにてや、この御返りを、みづから聞こえさせぬ。
などあり。 

 「袖濡るるこひぢと」の歌は断ち切りたい思いを断ちきれず源氏への恋に煩悶する御息所の切実な気持ちが込められています。「こひぢ」は泥という意味ですが、もちろん恋の路の「こひじ」を掛けています。つまり御息所の歌は「農夫が田んぼに降り立たないわけには行かないように、私も泥まみれになるとわかっていても、恋の泥田に降り立たずにはいられない。そんな自分が辛い」といった意味で後に付け加えた「山の井の水もことわりに」は「くやしくぞ汲みそめてける浅ければ袖のみ濡るる山の井の水」に依っており、こちらは「あなたのお心が浅いのでわたしの袖は涙で濡れるばかりです」というような意味でしょうか。源氏はこちらを踏まえて返歌をしていて源氏の歌は「あなたは浅い所に降り立っておいでのようですが、私は袖どころか全身ずぶぬれです。あなたの愛は私ほど深くはないのでしょうね」と軽くいなした感じになっています。御息所の全力投球をまともに受けてはいないのです。御息所の気持ちは伝わらなかったのです。
 ところで、源氏が「こちらの方のお具合が悪くて・・・」と御息所への手紙に書いたのは言い訳ではなく、実際にこの日は物の怪が激しく葵上に襲い掛かって妊婦を苦しめていたのでした。 左大臣家では誰の霊がとりついているのかわからず、世間でも色々噂になっていました。御息所は「もしかするとその物の怪は自分から抜け出た魂かもしれない」と思います。ひそかに思い当たる節があったのです。原文です。
   
  おぼし続くれば、身一つの憂き嘆きよりほかに、人をあしかれなど思ふ心もなけれど、もの思ひにあくがるなる魂は、さもやあらむとおぼし知らるることもあり。年ごろ、よろづに思ひ残すことなく過ぐしつれど、かうしも砕けぬを、はかなきことのをりに、人の思ひ消ち、なきものにもてなすさまなりし御禊ののち、ひとふしにおぼし浮かれにし心、しづまりがたうおぼさるるけにや、すこしうちまどろみたまふ夢には、かの姫君とおぼしき人の、いときよらにてある所に行きて、とかく引きまさぐり、うつつにも似ず、たけくいかきひたぶる心いできて、うちかなぐるなど見えたまふこと、度かさなりにけり。

 ここにあるように、御息所は、うとうとした時に、かの姫君、葵上と思われる方の元に行って荒々しい気持ちで長い髪をつかんで引きずり回したり、殴りつけたりするという夢を繰り返し何度も見るようになっていたのです。自分自身ではそんなことをしようとは全く思ってもいないけれど、そういう夢を見てしまう。もしかすると、あの車争いで受けた辱めに傷ついた自分の心が自分の意志とは関係なく身から離れて葵上を苦しめているのかもしれないと御息所は密かに思ったのでした。そしてやがて、葵上が出産間近となった時、源氏は葵上に乗り移った御息所と対面することになるのです。まだ出産にはもう少し間があるだろうと皆が油断していると、突然陣痛が来て、葵上が苦しみ始めます。験者たちが祈祷の限りを尽くしてもどうしても離れない物の怪がありました。原文で読みましょう。

  まださるべきほどにもあらずと、皆人もたゆみたまへるに、にはかに御けしきありて、なやみたまへば、いとどしき御祈りの数を尽くしてせさせたまへれど、例の執念き御もののけ一つ、さらに動かず、やむごとなき験者ども、めづらかなりともてなやむ。さすがにいみじう調ぜられて、心苦しげに泣きわびて、「すこしゆるべたまへや。大将に聞こゆべきことあり」とのたまふ。「さればよ。あるやうあらむ」とて、近き御几帳のもとに入れたてまつりたり。

 葵上が、苦しい息の下から「源氏の君(ここでは大将と呼ばれています)にお話ししたいことがあります」とおっしゃるので、人々はもっともだと座をはずし、源氏一人が葵上の傍らに座りました。
この続きは次回に回しましょう。










文:岸本久美子
【引用】新潮日本古典集成より


第四章 通り過ぎた女君たち 其の二 皇太子の未亡人六条御息所 第四話「心の鬼」は2024年12月26日に配信いたします
YouTube動画中の「源氏物語手鑑」につきまして。和泉市久保惣記念美術館デジタルミュージアム許可のもと引用しています🔗