七、藤の色濃きたそがれ

行幸、藤裏葉

光源氏にはなれなかった男 頭中将7
七、藤の色濃きたそがれ

 

 頭中が、夕霧を婿とすることを潔しとせず、その娘を隔離してしまったことを知った源氏は、気分を害していました。わが息子夕霧のあきらめきれない思いは承知していましたが、この件でこちらから折れて出ることはすまいと心に決めています。その件についての蟠りはありつつ、玉鬘のことが目下の課題でした。自分の娘という触れ込みでひきとりはしたものの、実の父が頭中であることを源氏ははっきり知っています。玉鬘はもう23歳になるというのに、裳着もまだです。この娘の存在を公にするにあたっては、氏を偽り続けているわけにはいきません。そこで、源氏は、玉鬘の裳着の儀式の腰結役を頭中に依頼し、その機会に事実を伝えようと考えたのでした。けれども、頭中は源氏の依頼を不審に思い、大宮(頭中の母であり、雲居の雁や夕霧の祖母に当たる方ですね)の病気を理由に断って来ました。そこで源氏は大宮の元に赴いて、実は自分の子どもだと思って手元に引き取った娘が、どうやら自分の子ではなく、頭中が探していた子どもらしいということがとわかった、そこで、親子の対面の機会にと考えて裳着の腰結を頼んだが断られたという事を話します。驚いた大宮はその場で早速頭中を呼び出しました。そうして、大宮の屋敷で源氏と頭中は久々に顔を合わせたのでした。大宮から、源氏の君が、話があるといっておいでだからすぐに来るようにとの連絡を受けた頭中は、これはきっと娘と夕霧の結婚の件だぞと期待して出かけたのでした。母大宮も命のあるうちに可愛い孫たちが無事結ばれる姿を見たいとお思いになって、源氏と結託して夕霧を婿として迎えるようにと二人で自分に頼んでくるのだろう、あちらが頭を下げて来るのなら了承してやろう、と思いつつ出向いたのでした。原文です。中将とあるのが夕霧、大臣が源氏です。

  何ごとにかはあらむ、この姫君の御こと、中将の愁へにやとおぼしまはすに、宮もかう御世残りなげにて、このことと切にのたまひ、大臣も憎からぬさまに一言うち出で恨みたまはむに、とかく申しかへさふことえあらじかし、つれなくて思ひ入れぬを見るにはやすからず、さるべきついであらば、人の御言になびき顔にて許してむとおぼす。(略)宮かくのたまひ、大臣も対面すべく待ちおはするにや、かたがたにかたじけなし、参りてこそは御けしきに従はめなど思しなりて、御装束心ことに引きつくろひて、御前などもことことしきさまにはあらでわたりたまふ。

 張り切って出かけたのですが、源氏の話とは娘と夕霧のことではありませんでした。久しぶりに会った二人は懐かしさで一杯になって、まずは思い出話に花が咲きました。蔭では互いを批判していても、面と向かえばかつての隔てのない親愛の情が蘇ります。あれこれ話したその後で、源氏がおもむろに持ち出したのは、過日腰結を依頼してきたその娘は、なんと実は自分の、行方不明になっていた娘だという話だったのです。再び原文です。ここでは大臣が頭中、六条殿が源氏です。

  大臣もめづらしき御対面に、昔のことおぼし出でられて、よそよそにてこそ、はかなきことにつけて、いどましき御心も添ふべかめれ、さし向ひきこえたまひては、かたみにいとあはれなることの数々おぼし出でつつ、例の、隔てなく、昔今のことども、年ごろの御物語に、日暮れゆく。(略)そのついでに、ほのめかし出でたまひてけり。大臣「いとあはれに、めづらかなることにもはべるかな」と、まづうち泣きたまひて、(略)かのいにしへの雨夜の物語にいろいろなりし御睦言の定めをおぼし出でて、泣きみ笑ひみ、皆うち乱れたまひぬ。夜いたう更けて、おのおのあかれたまふ。「かく参り来あひては、さらに久しくなりぬる世の古事、思うたまへ出でられ、恋しきことの忍びがたきに、立ち出でむここちもしはべらず」とて、をさをさ心弱くおはしまさぬ六条殿も、酔ひ泣きにや、うちしほたれたまふ。

 それを聞いた頭中は涙を流し、かつて愛人とその幼い娘の行方がわからなくなったと
いう話をした若いころのあれこれを泣いたり笑ったりしながら語り合ううちに夜は更け、二人は名残を惜しみつつ別れて帰ったのでした。 この後、玉鬘の裳着の日、頭中は娘玉鬘との対面を果たし、周囲にもこの娘が頭中の娘であることが知らされたのでした。その翌年、冷泉帝に入内する予定だった玉鬘は、なぜか髭黒という男のものとなります。冷泉帝の元にある娘、弘徽殿女御のことを思って、玉鬘の入内を好ましくないと考える頭中の働きがあったのかもしれません。
 その二年後には、源氏の娘明石姫が裳着を終えていよいよ春宮への入内がささやかれるようになりました。その噂を耳にして頭中はわが娘雲居の雁のことを思わずにはいられません。ますます美しく可愛らしくなったと父の目に写る娘はもう20歳、どうしようという焦り、夕霧との仲を裂いたことを悔いる思いも次第に増してきます。原文です。内のおとどが頭中、姫君は雲居の雁、この御いそぎというのは、源氏の方の明石姫の入内準備のことです。

  内の大臣は、この御いそぎを、人の上にて聞きたまふも、いみじう心もとなく、さうざうしとおぼす。姫君の御ありさま、盛りにととのひて、あたらしううつくしげなり。つれづれとうちしめりたまへるほど、いみじき御嘆きぐさなるに、かの人の御けしきはた、同じやうになだらかなれば、心弱く進み寄らむも人笑はれに、人のねんごろなりしきざみになびきなましかば、など人知れずおぼし嘆きて、一方に罪をもえおほせたまはず。

 向こうから頭を下げてくればいつでも夕霧を受け入れるのにと思っていますが、一向にその気配はなく、それどころか夕霧に他から縁談が舞い込んでいると言う噂まで聞こえてきます。もうこちらから折れて出るしかないのか。しかしそれでは世間の笑いものになるよな、と悩みます。しかし、もうためらっている場合ではありません。頭中は、結局、自分の方から夕霧に詫びを入れ、婿として迎えたいという意を仄めかせたのでした。そしてその後まもなく夕霧は頭中の邸での藤の花の宴に招待されます。これが意味のある招きであることは互いに暗黙の了解。父源氏は息子に自分のとっておきの衣裳を着せて送り出します。迎える頭中は正装をしています。少し原文で読みましょう。

  大臣、御座ひきつくろはせなどしたまふ御用意、おろかならず。御冠などしたまひて、出でたまふとて、北の方、若き女房などに、「のぞきて見たまへ。いと警策にねびまさる人なり。用意など静かに、ものものしや。あざやかに、抜け出でおよすけたるかたは、父大臣にもまさりざまにこそあめれ。(略)」などのたまひてぞ、対面したまふ。ものまめやかに、むべむべしき御物語は、すこしばかりにて、花の興に移りたまひぬ。(略)月はさし出でぬれど、花の色さだかにも見えぬほどなるを、もてあそぶに心を寄せて、大御酒参り、御遊びなどしたまふ。大臣、ほどなく空酔ひをしたまひて、乱りがはしく強ひ酔はしたまふを、さる心していたうすまひなやめり。

 やって来た夕霧の姿を家の中から覗き見て、「この若者は、風采においても器量においても父の源氏の君をしのぐ素晴らしい男だ」と頭中は家の女たちに自慢しています。はやくも婿自慢です。宴会が始まると頭中は酔ったふりをして夕霧にお酒を勧めて酔わせようとしています。この後頭中は「藤の裏葉の」という歌を口にし、そこに咲いている藤の一房を折りとったものを添えた盃を夕霧に渡し、娘を許すという意を伝えたのでした。その夜、夕霧は6年ぶりで雲居の雁と再会し、めでたく結ばれたのでした。
 当時藤の花というのは特別な意味を持つ花でした。勿論今のような藤棚にさく藤ではありません。松の木などに巻き付いて空高くまで花房をつけたものでした。紫の雲にも喩えられ、縁起の良いものとされていたのです。そしてこの時は雲居の雁が藤の花によそえられているのです。こうして、頭中のここ数年の悩みは解消されました。夕霧と雲居の雁の新居をしばらくしてから訪た頭中は二人の幸せそうな姿に満足したのでした。
 その同じ年の十月、紅葉の頃源氏の六条院に帝と院が行幸されるという大きな行事がありました。頭中もお達しがあって列席しています。そしてその息子が舞を披露し、帝から御衣を賜り、頭中は感謝の意を表す拝舞をしました。それを見て源氏はかつての紅葉の賀のおり、二人で青海波を舞った時のことを思い出したのでした。原文です。太政大臣、大臣はいずれも頭中のことです。

  賀王恩といふものを奏するほどに、太政大臣の御男の十ばかりなる、切におもしろう舞ふ。内裏の帝、御衣ぬぎて賜ふ。太政大臣おりて舞踏したまふ。
主人の院、菊を折らせたまひて、青海波のをりをおぼし出づ。
    色まさる籬の菊もをりをりに
      袖うちかけし秋を恋ふらし
大臣、そのをりは、同じ舞に立ち並びきこえたまひしを、われも人にはすぐれたまへる身ながら、なほこの際はこよなかりけるほどおぼし知らる。時雨、をり知り顔なり。
   「紫の雲にまがへる菊の花
      濁りなき世の星かとぞ見る
時こそありけれ。」と聞こえたまふ。

 源氏に歌を詠みかけられて頭中の脳裏にもその場面が蘇りました。あの時は並んで一緒に舞い、源氏と自分は同列だという気持ちであった、自分もそれなりに他より優れた男ではあろうが、やはりこの男には適わなかった・・・・・と頭中はあの、源氏と肩を並べて競い合った10代の日から今日までのはるかな道のりに思いを馳せたのでした。
 二人はもう40歳を迎えるころなのでした。この行幸の翌年には光源氏四十の賀が幾度も行われました。そんな祝賀の席に招かれた頭中、いまではすっかり貫禄がついています。一方源氏の方は若いころと変わらずスリムな体型です。ちょっと原文で読みましょう。大臣が頭中です。

  母屋の御座に向かへて、大臣の御座あり。いときよらにものものしく太りて、この大臣ぞ、今盛りの宿徳とは見えたまへる。主人の院は、なほいと若き源氏の君に見えたまふ。

 やがて宴たけなわとなって二人はそれぞれ得意とする楽器、源氏は琴(きん)の琴、頭中は和琴を手にして合奏し、感極まって涙に咽んだのでした。原文で読みましょう。

  大臣のわたりたまへるに、めづらしくもてはやしたまへる御遊びに、皆人心を入れたまへり。(略)(源氏の君の)御前に琴の御琴、大臣、和琴弾きたまふ。年ごろ添ひたまひにける御耳の聞きなしにや、いと優にあはれにおぼさるれば、琴も御手をさをさ隠したまはず、いみじき音ども出づ。昔の御物語どもなど出で来て、今はたかかる御仲らひに、いづかたにつけても聞こえかよひたまふべき御むつびなど、心よく聞こえたまひて、御酒あまたたび参りて、もののおもしろさもとどこほりなく、御酔ひ泣きどもえとどめたまはず。

 生きて来た時間が長くなるにつれて、人は過去を振り返ることが多くなります。頭中も源氏も、当時の感覚でいえばもう老年期に入りました。
 次回でいよいよ頭中の巻は最終回を迎えます。








文:岸本久美子
【引用】新潮日本古典集成より


次回最終回 第八話「濡れにし袖」  2022年11月24日配信
YouTube動画中の「源氏物語手鑑」につきまして。和泉市久保惣記念美術館デジタルミュージアム許可のもと引用しています🔗