義理の母 藤壺の宮
五「御髪おろしたまふ」
この度の光源氏のあまりにも無体なふるまいに藤壺は絶望的な気持ちになっています。源氏の気持ちが真剣なものであることがわかるだけに、今回は危機一髪のところを何とか拒み通すことができたものの、再び繰り返されることがないという保障はないのです。
こういうことが続いて、二人の間が噂になるようなことになれば、足を引っ張ろうとしている右大臣側の思うつぼだ、どんなひどい目に遭うことになるかもわからないし、きっと世間の笑いものになるだろうと悩みます。そして、結局、春宮を守るためには、この際、すべてを捨てて出家するしか道はないと思い詰めたのでした。原文です。
かかること絶えずは、いとどしき世に、憂き名さへ漏り出でなむ、大后のあるまじきことにのたまふなる位をも去りなむと、やうやうおぼしなる。院のおぼしのたまはせしさまのなのめならざりしをおぼしいづるにも、よろづのこと、ありしにもあらず変わりゆく世にこそあめれ、戚夫人の見けむ目のやうにはあらずとも、かならず人笑へなることはありぬべき身にこそあめれ、など、世のうとましく過ぐしがたうおぼさるれば、背きなむことをおぼし取るに、春宮見たてまつらで面がはりせむこと、あはれにおぼさるれば、忍びやかにて参りたまへり。
この出家の決意については誰にも漏らさず密かに準備をおすすめになりました。それでも、尼姿になる前に春宮に会ってそれとなく決意を伝えておきたいと考えて、ひさしぶりで密かに参内なさいました。春宮は6歳になっています。しばらく顔を見ていなかった母上に会って喜ぶ春宮を見ると出家の決意も揺らぐのですが、その愛らしく美しい顔がますます源氏に似てきているのを見ると、そら恐ろしい気持ちになり、やはり出家するしかないと思ったのでした。
やがて、桐壺院の一周忌がやってきました「院の御果てのこと」とあるのがそれです。藤壺はその法要に引き続いて法華八講の準備に余念がありません。そんな中、桐壺院の命日には源氏から歌が送られてきました。雪が激しく降る日です。今回は藤壺も返歌を送っています。そのあたり原文で読みましょう。大将殿とあるのが源氏です。
中宮は院の御果てのことにうち続き、御八講のいそぎを、さまざまに心づかひせさせたまひけり。霜月の朔日ごろ、御国忌なるに、雪いたう降りたり。大将殿より宮に聞こえたまふ。
別れにしけふは来れども見し人に
ゆきあふほどをいつとたのまむ
いづこにも、今日はもの悲しうおぼさるるほどにて、御返りあり。
ながらふるほどは憂けれどゆきめぐり
今日はその世に逢ふここちして
ことにつくろひてもあらぬ御書きざまなれど、あてに気高きは思ひなしなるべし。筋かはり今めかしうはあらねど、人にはことに書かせたまへり。
二人の歌にはどちらも、この日の「雪」が「行く来る」の「行き」の掛詞として詠み込まれています。源氏の歌では「死に別れた院に巡り合う」と言う意味を掛けており、藤壺の方は「時が巡ってくる」と言う意味を掛けています。源氏は、藤壺の筆跡を見て、やはりこの方はこういう何気ない歌の書きざまひとつをとっても他の方とは全く違う高貴な雰囲気をまとっておいでだと心を動かされて涙を流したのでした。
ところで、法華八講というのは法華経八巻を、一日を朝座夕座にわけて、僧たちが一日に二巻ずつ四日間にわたって、読み上げる大掛かりな法要です。主催する側は法師への依頼などは勿論のこと、あれこれと手配する必要があります。藤壺のことですから抜け目なくすべては完璧に整えられて、お経の装丁から経机の敷物、花かごなど、どれをとっても目を奪われるような素晴らしい物が揃えられていました。招聘された僧たちも高僧ばかりです。参座した方々は、まるで極楽に来たようだと思ったのでした。そして最後の第四日目、藤壺は、事前には誰にも知らせず突然自分のための祈願を依頼し、出家してしまったのでした。兄上の兵部卿などが慌てて止めようとなさったのですが、藤壺の宮の決意は固かったのです。原文で読みましょう。
十二月十余日ばかり、中宮の御八講なり。いみじう尊し。(略)果ての日、わが御ことを結願にて、世を背きたまふよし、仏に申させたまふに、皆人々おどろきたまひぬ。兵部卿の宮、大将の御心も動きて、あさましとおぼす。親王は、なかばのほどに立ちて入りたまひぬ。心強うおぼしたつさまをのたまひて、果つるほどに、山の座主召して、忌むこと受けたまふべきよしのたまはす。御をぢの横川の僧都近う参りたまひて、御髪おろしたまふほどに、宮の内ゆすりて、ゆゆしう泣きみちたり。
そして、本当に、横川の僧都の手で髪をおろしてしまわれたのでした。予想もしなかった出来事に周囲は衝撃を受けて三条の宮は大騒ぎになり、屋敷は泣き声に溢れかえったとあります。法会に参加していた人々は皆袖を濡らして帰ってゆき、後に残った女房たちもあちこちにかたまって、みんなしくしく泣いています。藤壺のこの突発的に見える行動の裏にあるものが、源氏はわかります。表向きは亡くなった院を供養するためのように見えますが、そうではない、これは自分への意思表示です。強い衝撃と悲しみが源氏を襲いました。それでもこのまま立ち去る気にはなれず、他の人たちが帰るのを待って藤壺と会話を交わしたのでした。とは言え直接にではありません。御簾を隔てて命婦を間に立てての会話でした。源氏は「私も後を追って出家したい気持ちですが、春宮のことを思えばそうも行きません」と言い、それ以上は悲しみを伝えることは出来ませんでした。
やがて年が明けて新年を迎えましたが、春の官職任命の時が来ると、源氏や藤壺の周囲は皆冷遇され、今やこちらへ新年の挨拶に訪れるものもほとんどないのでした。そんな中で失意の源氏は右大臣家の娘で帝の妻である朧月夜の内侍と密会を繰り返します。危険なことを敢えてして火傷するのが若い頃の源氏です。この時はその密会の場を朧月夜の乳である右大臣に見つかってしまい、島流しも免れないような状況に陥ってしまいました。そこで源氏は、そういう裁断を待たずに、自ら須磨に退去して謹慎することにしました。春宮の後見役がそのようなことになり、藤壺は二重に辛く悲しく涙をいくら流しても足りないのでした。いよいよ京を離れるという前に源氏は父院のお墓に参るのですが、その前に藤壺の元を訪問しました。もう女房を挟むことなく直接お話しています。原文で読みましょう。藤壺は出家しているので、入道の宮となっています。
暁かけて月出づるころなれば、まづ入道の宮にまうでたまふ。近き御簾の前に御座参りて、御みづから聞こえさせたまふ。春宮の御ことをいみじううしろめたきものに思ひきこえたまふ。かたみに心深きどちの御物語は、よろづあはれまさりけむかし。なつかしうめでたき御けはひの昔にかはらぬに、つらかりし御心ばへもかすめきこえまほしけれど、今さらにうたてとおぼさるべし、わが御心にも、なかなか今ひときは乱れまさりぬべければ、念じ返して、ただ、「かく思ひかけぬ罪にあたりはべるも、思うたまへあはすることの一節になむ、空も恐ろしうはべる。惜しげなき身はなきになしても、宮の御世だに、ことなくおはしまさば」とのみ聞こえたまふぞことわりなるや。
源氏が、「こんな目に遭うことになったのもあなたとの関係を空がおとがめになったのではないかと思います。わたしはどうなっても構いませんが、ただただ春宮さえ安泰でいらしたらとそれだけが願いです」などと言うものですから、藤壺のほうは言葉もありません。あれこれと様々な思いが胸をかすめて泣き臥すばかりでした。このあと二人は歌を詠み交わして別れます。藤壺が
見しはなくあるは悲しき世の果てを
そむきしかひもなくなくぞ経る
つまり、「連れ添った院はすでに世に亡く生きておいでのあなたは悲しい身の上になられて、私は世を捨てたはずなのにその甲斐もなく苦悩に沈んで涙に暮れています」というような意味で、それに対して源氏は
別れしに悲しきことは尽きにしを
またぞこの世の憂さはまされる
「父院に別れた時に悲しみの全てを味わったと思いましたのに、またもこうしてあなたとお別れするという辛い目に遭うとはますますこの世がいやになります」と返しました。
こうして源氏は須磨明石での流浪の日々を送ることになったのでした。
文:岸本久美子
【引用】新潮日本古典集成より
第四章 通り過ぎた女君たち 其の四 義理の母藤壺の宮 第六最終話「燈などの消えいるやうに」は2025年8月28日配信
YouTube動画中の「源氏物語手鑑」につきまして。和泉市久保惣記念美術館デジタルミュージアム許可のもと引用しています🔗