二、暁月夜

通り過ぎた女たちその6 右大臣の娘朧月夜
二「暁月夜」

 

 

 

 光源氏と朧月夜の偶然の出会いは源氏20歳の春の出来事でした。その春の一夜で朧月夜はすっかり源氏に心を奪われてしまいました。一方の源氏の方はその身辺に大きな出来事が続いて起こります。
 21歳の時に父桐壺帝の譲位があり、右大臣家の弘徽殿女御を母とする朱雀帝の時代となりました。それに伴って藤壺の産んだ、実は源氏の子である冷泉が春宮となり、源氏はその後見役になります。またその翌年、源氏22歳の時には正妻葵上が夕霧を出産、その直後に亡くなっています。その喪が明けるのを待って、手元で育てていた紫の上と結婚するというようなこともありました。朧月夜の君の春宮への入内は見送られ、御匣殿という形で宮中にお仕えしています。そして相変わらず源氏に心を寄せているのです。父右大臣はそんな娘の気持ちを知って、源氏の正妻の座が空いたこの機会に源氏の元へ送り込んだらどうかと考えるのですが、弘徽殿女御はやはり朱雀の元へと考えており、当の源氏も今は紫の上と結婚したばかりで、他の女性を妻として迎える気は無いのでした。その辺り原文で読みましょう。御匣殿とあるのが朧月夜です。

  今后は、御匣殿、なほこの大将にのみ心つけたまへるを、「げにはた、かくやむごとなかりつる方も失せたまひぬめるを、さてもあらむになどかくちをしからむ」など大臣のたまふに、いと憎しと思ひきこえたまひて、「宮仕へも、をさをさしくだになしたまへらば、などかあしからむ」と、参らせたてまつらむことをおぼしはげむ。君も、おしなべてのさまにはおぼえざりしを、くちをしとはおぼせど、ただ今は異様に分くる御心もなくて、何かは、かばかり短かめる世に、かくて思ひ定まりなむ、人の怨みも負ふまじかりけりと、いとどあやふく思ほし懲りにたり。

 やがて桐壺院が亡くなり、世は完全に右大臣とその娘弘徽殿太后のものになりました。帝朱雀は祖父や母に対抗するだけの力がありません。源氏24歳の春、朧月夜は尚侍となり、弘徽殿に住むようになりました。元は姉の弘徽殿太后が居た所です。帝の寵愛は深く、時めいて華やいだ日々を送るのですが、それでも源氏の君のことが忘れられず、相変わらず手紙のやりとりをしています。またの逢瀬を密かに願っているのです。原文です。

  御匣殿は、二月に尚侍になりたまひぬ。院の御思いに、(前尚侍が)やがて尼になりたまへるかはりなりけり。やむごとなくもてなして、人がらもいとよくおはすれば、あまた参り集りたまふなかにも、すぐれて時めきたまふ。后は、里がちにおはしまいて、参りたまふ時の御局には梅壺をしたれば、弘徽殿には尚侍の君住みたまふ。登花殿の埋れたりつるに、晴れ晴れしうなりて、女房なども数知らずつどひ参りて、今めかしう花やぎたまへど、御心のうちは、思ひのほかなりしことどもを忘れがたく嘆きたまふ。いと忍びて通はしたまふことは、なほ同じさまなるべし。ものの聞こえもあらば  いかならむとおぼしながら、例の御癖なれば、今しも御心ざしまさるべかめり。

 源氏の方は、右大臣の世となって、政界での活躍の場を奪われたことによる逼塞感もあって、自分を守ってくれるもののないこの時代に、こんなことをしていれば危険であるということは百も承知しながら、火遊びをせずにはいられないのです。そんなわけで彼女への恋心をいっそう募らせているのでした。そしてある夜、帝が祈祷の行事で精進しておいでの隙をねらって、二人が初めて逢った弘徽殿の細殿で密会したのでした。大胆なそして危険な逢引です。その辺り原文で読みましょう。

  わづらはしさのみまされど、尚侍の君は、人知れぬ御心し通へば、わりなくてもおぼつかなくはあらず。五壇の御修法のはじめにて、つつしみおはします隙をうかがひて、例の、夢のやうに聞こえたまふ。かの昔おぼえたる細殿の局に、中納言の君、まぎらはして入れたてまつる。人目もしげきころなれば、常よりも端近なる、そら恐ろしうおぼゆ。朝夕に見たてまつる人だに、飽かぬ御さまなれば、ましてめづらしきほどにのみある御対面の、いかでかはおろかならむ。女の御さまも、げにぞめでたき御さかりなる。重りかなるかたはいかがあらむ、をかしうなまめき若びたるここちして、見まほしき御けはひなり。

 屋外の通路に面した端近な所でいつ人にみつかってしまうかわからないスリリングな状況です。そんな危険な逢瀬ではありますが、二人共、相手が以前よりも一層魅力的になったとその素晴らしさに魂を奪われて時の経つのを忘れています。けれどもやがて夜明けが近づいてきます。寅一つとでてきますが、午前三時ごろですね。二人は未練を残しつつ歌のやりとりをして別れます。この時出て行く源氏の姿を見ていた者がありました。その結果すぐに噂が立ったというようなことは書かれていませんが、どこからともなく源氏の君の不埒な行動についての噂は広がったのではないでしょうか。原文です。

  ほどなく明けゆくにやとおぼゆるに、(略)「寅一つ」と申すなり。女君
   心からかたがた袖をぬらすかな
    あくとをしふる声につけても
  とのたまふさま、はかなだちて、いとをかし。
   嘆きつつわが世はかくて過ぐせとや
    胸のあくべき時ぞともなく
静心なくて出でたまひぬ。夜深き暁月夜のえもいはず霧りわたれるに、いといたうやつれてふるまひなしたまへるしも、似るものなき御ありさまにて、承香殿の御兄の藤少将、藤壺より出て月の少し隈ある立蔀のもとに立てりけるを、知らで過ぎたまひけむこそいとほしけれ。

 さて、朱雀帝は朧月夜の心が今も源氏に傾いていること、ふたりが今も関係を持っていることに気づいていました。けれどもそれについて帝は咎めることはありませんでした。美しい二人は似合いの仲だと思っておいでなのでした。これは朱雀の源氏への愛の深さを物語るものだと思います。もし自分が女だったらどんなにしてでも光源氏と結婚しただろうと言っているくらいですから。
 ともあれ、帝は許していたとしても、周囲は許しません。もし朧月夜との密会が世に漏れれば大変なことになるということくらい源氏は承知しています。右大臣家の一族が采配を振るう世の中で、自分に不利な情報が流れれば、後見する春宮冷泉の位も揺らぎかねません。そこで、さすがの源氏も自粛して朧月夜に便りしたりすることもしばらく途絶えていました。この間には藤壺に強引に接近して厳しく拒まれ絶望的な気持ちになると言う出来事もあり、朧月夜の影は彼のなかでやや薄くなっていたということもあるでしょう。
やがて時雨する頃になって彼女の方から手紙が届きました。原文で読みましょう。尚侍の君とあるのが朧月夜です。

  御心の鬼に、世の中わづらはしうおぼえたまひて、尚侍の君にもおとづれきこえたまはで、久しうなりにけり。初時雨いつしかとけしきだつに、いかがおぼしけむ、かれより、
  木枯の吹くにつけつつ待ちし間に
   おぼつかなさのころも経にけり
と聞こえたまへり。をりもあはれに、忍び書きたまひつらむ御心ばへも憎からねば、御使とどめさせて、唐の紙ども入れさせたまへる御厨子あけさせたまひて、なべてならぬを選り出でつつ、筆なども心ことにひきつくろひたまへるけしき艶なるを、御前なる人々、誰ばかりならむとつきじろふ。

 彼女からの手紙には「木枯らしに乗ってお便りが届くかとお待ちしていましたが待ち
きれなくなりました」と言うような意味の歌が書かれていました。そのお返事を書くために源氏があれこれと紙や筆を選ぶのを見て周りの女房たちはどなたへのお便りかしらとつつき合ったとあります。この後の展開が気になる所です。次回をお楽しみに。











文:岸本久美子
【引用】新潮日本古典集成より


次回は、第四章 通り過ぎた女君たち シリーズ最終 其の六右大臣家の娘朧月夜 三「神鳴る夜」 2026年2月12日~配信です。
YouTube動画中の「源氏物語手鑑」につきまして。和泉市久保惣記念美術館デジタルミュージアム許可のもと引用しています🔗