八、葵

葵、賢木

 前回の最後は、源氏の君が久々に六条御息所を訪れたというところでした。斎院の禊行列の日に、葵上方が御息所方に無礼な仕打ちをしたということを聞き知った源氏は、そのことに対する申し訳なさもあり、思い立って見舞いに行ったのでした。そして、この時、久々に一夜を共にしたことは、御息所の煩悩をかえって増すことになりました。

 葵上は懐妊してからはずっと体調がすぐれず、出産間近となったこの頃では、命も危ぶまれるような状態でした。当時、人が病気になるのは、物の怪が取りついたためと思われていましたから、病気を治すためには、僧や験者を呼び、物の怪を霊媒(「寄りまし」といいますが、)その寄りましに移して、加持祈祷によって調伏します。誰なのか名乗らせることができれば、物の怪は去って行きます。葵上の場合も、物の怪の仕業という事で、霊験あらたかな験者たちが呼ばれて加持祈祷がさかんに行われ、様々な死霊生霊が姿を現しましたが、一つだけどうしても離れない怨霊がありました。実はそれは六条御息所の生霊だったのです。
源氏一人が几帳の内に入って、葵上の手を取った時のことでした。いつもなら恥じらい勝ちに目を伏せる葵上が、けだるい視線でじっと源氏をみつめて、涙をはらはらとこぼすのです。その場面を原文でご紹介しましょう。

  あまりいたう泣きたまへば、心苦しき親たちの御ことをおぼし、また、かく見たまふにつけて、くちをしうおぼえたまふにやとおぼして、(略)なぐさめたまふに、「いで、あらずや。身の上のいと苦しきを、しばしやすめたまへと聞こえむとてなむ。かく参り来むともさらに思  はぬを、もの思ふ人の魂は、げにあくがるるものになむありける」と、なつかしげに言ひて、
  嘆きわび空に乱るるわが魂を
  結びとどめよしたがひのつま
とのたまふ声、けはひ、その人にもあらず、かはりたまへり。いとあやしとおぼしめぐらすに、ただかの御息所なりけり。あさましう、人のとかく言ふを、よからぬ者どもの言ひ出づることと、聞きにくくおぼしてのたまひ消つを、目に見す見す、世にはかかることこそはありけれと、うとましうなりぬ。あな心憂とおぼされて、「かくのたまへど、誰とこそ知らね。たしかにのたまへ」とのたまへば、ただそれなる御ありさまに、あさましとは世の常なり。

 葵上の手をとって話しかけていたつもりだったのに、相手は御息所だったのです。みかけの姿は葵上でも、そのしぐさや声は御息所その人のものだったのです。そして、「嘆きのために宙に迷いだしてしまった私の魂をどうぞ結び留めてください」と歌を詠みかけてきたのでした。源氏は強い衝撃を受けました。これまで人々が御息所の物の怪が葵上に取りついていると噂するのを聞いたことはありましたが、良からぬ輩の言うことと否定してきました。けれども、この時まざまざとその事実をわが目で見てしまったのでした。
 物の怪は、正体を現してしまったために葵の上の身から離れ、ほどなく、赤子が元気な産声をあげました。長男夕霧の誕生です。周りは安堵し、源氏の君も思いがけずあさましい場面に遭遇した後だけに、ほっと胸をなでおろしたのでした。この後しばらくは出産を祝う宴会が引き続き、左大臣家は喜びに包まれました。それらが一段落し、葵上の体調も落ち着いていることから、源氏は久々に参内することにしました。出かける前に葵上の部屋を覗くと、妻は艶やかな黒髪の額縁に囲まれてあえかな姿で横たわっています。それを見て、源氏の胸はこの方への愛しさで一杯になりました。その場面を原文で読みましょう。

  いとをかしげなる人の、いたう弱りそこなはれて、あるかなきかの気色にて臥したまへるさま、いとらうたげに心苦しげなり。御髪の乱れたる筋もなく、はらはらとかかれる枕のほど、ありがたきまで見ゆれば、年ごろ何ごとを飽かぬことありと思ひつらむと、あやしきまでうちまもられたまふ。「院などに参りて、いととうまかでなむ。かやうにて、おぼつかなからず見たてまつらばうれしかるべきを、(略)」など聞こえおきたまひて、いときよげにうち装束きて出でたまふを、常よりは目とどめて見出して臥したまへり。

「これまでなぜこの人に不満を抱いたりしたのだろう。こんなに素敵な人なのに」とじっと見つめ、「すぐに帰ってくるから」と言い残して出てゆく源氏の君のお姿を、葵上も愛情のこもったまなざしで見送りました。しかし、その後、葵上は急に具合が悪くなって、あっという間に亡くなってしまいます。知らせを聞いて、源氏始め左大臣らが駆け付けたのはとうに息の絶えた後でした。この、亡くなる直前、源氏と葵の間に初めて夫婦らしいこころの通い合いがあったというのは本当に皮肉なことでした。

 光源氏は後悔の多い人です、いや誰もみな悔いを重ねて生きているのかもしれません。葵上をなぜこれまで大切にしてこなかったのかと悔やんでも悔やみきれない思いで、源氏の君は左大臣家で喪に服し、遺された父左大臣と母大宮、お仕えしていた女房たちと悲しみの日々を共に過ごしたのでした。
 やがて四九日の服喪期間が終わり、源氏の君は若紫の待つ二条院へ戻ります。生まれた子夕霧はそのまま左大臣家の祖父母の元で育てられることになります。二条院に帰ってみると、久々に会う若紫は、おとなびて、ますます藤壺に似てきています。


  姫君、いとうつくしうひきつくろひておはす。「久かりつるほどに、いとこよなうこそ大人びたまひにけれ」とて、小さき御几帳ひきあげて見たてまつりたまへば、うちそばみてはぢらひたまへる御さま、飽かぬところなし。火影の御かたはらめ、頭つきなど、ただかの心尽くしきこゆる人に違うところなくもなりゆくかなと見たまふに、いとうれし。

 十歳の時に引き取られてきた若紫も、今はもう十四歳になっています。左大臣家から戻って来て間もないある夜、源氏は、もう頃合いだと考えて彼女と新枕を交わします。
若紫は源氏の君の娘から妻になったのです。
 これからは若紫と呼ばずに紫の上と呼びましょう。紫の上は、まだ、率直に感情を表現する翳りの無い少女です。豹変した源氏の君の態度にすっかり腹を立て、機嫌を損ねて話しかけられても返事もしません。そんな紫を、源氏は、ますます可愛いと思うのでした。源氏にとって、この女性だけは完全に自分のものと安心できる存在です。何から何まで紫のことは全てわかっている、という思いです。今、彼の掌中に納まっている彼女が、やがては彼を超えてゆくことを彼は知りません。そういう後のことはともかく、この新枕の後しばらくは、源氏の愛情は紫の上ひとりに注がれ、朧月夜のこと、六条御息所のことも気に懸かりつつ、他に分ける心はないという状態でした。
翌年、斎宮の伊勢下向の年を迎え、六条御息所はいよいよ娘とともに京をはなれることを決意しました。それを知った源氏は、さすがにこのまま御息所を去らせるのは余りに心苦しいと思って、下向の近づいた九月―秋の深まる頃です―嵯峨野の野々宮に滞在している彼女の元を訪れます。有名な名文を原文で読みましょう。

  遥けき野辺を分け入りたまふより、いとものあはれなり。秋の花みなおとろへつつ、浅茅が原もかれがれなる虫の音に、松風すごく吹きあはせて、そのこととも聞き分かれぬほどに、ものの音ども絶え絶え聞こえたる、いと艶なり。

 始めは拒んだ御息所ですが、結局は源氏の君の訪問を受け入れます。逢ってみれば二人は、他の誰よりも自分に近い感性と知性を持つ者同士でした。源氏は、今さらながらこの方に心の底では深く惹かれていたことに気づいたのでした。ここでも源氏は後悔しています。一度だけおぞましい姿を見たからと言って、なぜこの方を遠ざけたのかと。これが最後かと思えば名残はつきないけれど、非情の空はほの明るんできます。
再び原文です。




  やうやう明けゆく空のけしき、ことさらにつくりいでたらむやうなり。
(源氏)暁の別れはいつも露けきを
    こは世に知らぬ秋の空かな
出でがてに、御手をとらへてやすらひたまへる、いみじうなつかし。風いと冷やかに吹きて、松虫の鳴きからしたる声も、をり知り顔なるを、さして思ふことなきだに、聞き過ぐしがたげなるに、ましてわりなき御心まどひどもに、なかなか、こともゆかぬにや。
(御息所)おほかたの秋の別れもかなしきに
鳴く音な添へそ野辺の松虫
 くやしきこと多かれど、かひなければ、明けゆく空もはしたなうて出でたまふ。道のほどいと露けし。女もえ心強からず、名残あはれにて、ながめたまふ。

 明るさを増す空に急き立てられるようにふたりはなごりを惜しみつつも、歌を詠みかわして別れます。源氏は帰りの車で涙を流し、後に残った御息所は物思いに沈んでいます。源氏は半ば本気で御息所を引き留め、御息所の心も揺れます。けれども、未練を振り切って御息所はやがて伊勢へと去って行きました。
 今日お話したのは、源氏の君二十二歳から二十三歳にかけての出来事でした。いろいろ大きな出来事がありました。

 この辺りから彼は人生の曲がり角に近づいているのでした。


文:岸本久美子
【引用】新潮日本古典集成より