夕霧八、あなめでたや

匂兵部卿、宿木、蜻蛉

第3章 脇役の男たち 其の三「夕霧」
八、あなめでたや

 

 

 父源氏の亡き後、夕霧は、残された女君たちを、それぞれ、終の棲家に移られる手配をするなどして、心を込めてお世話します。そして、女君たちが去られたあと、六条院を荒れた状態にすることは絶対に避けようと心に誓っています。一つの対策として、すっかり人少なになった邸に、落葉の宮を移して、三条の邸の雲居の雁の所と半々に律儀に通ったとあります。真面目人間夕霧の面目躍如といったところでしょうか。落葉の宮は一条の宮と呼ばれています。原文です。

  院のうちさびしく、人少なになりにけるを、右の大臣、(略)丑寅の町に、かの一条の宮をわたしたてまつりたまひてなむ、三条殿と、夜ごとに十五日づつうるはしう通ひ住みたまひける。(略)大殿は、いづかたの御ことをも、昔の御心おきてのままに、あらため変ることなく、あまねき親心につかうまつりたまふにも、対の上のかやうにてとまりたまへらましかば、いかばかり心を尽くしてつかうまつり見えたてまつらまし、つひに、いささかも取り分きて、わが心寄せと見知りたまふべきふしもなくて過ぎたまひにしことを、くちをしう、飽かず悲しう思ひ出できこえたまふ。

 亡き父に代わって女君たちのお世話をするにつけても夕霧の心に浮かぶのは紫の上のことです。あの方にこうして尽くすことができたらどれほど嬉しかったことだろうと、亡くなってしまったことが残念で、悲しくてたまらないのでした。
 ところで、今や夕霧は右大臣となっており、その威勢をしのぐ者など見当たらない権力者です。また、夕霧は、正妻雲居の雁と第二夫人藤の典侍との子を合わせると男の子六人女の子も六人、計一二人もの子供に恵まれています。父源氏とは違って子福者なのです。そしてその長女はすでに春宮に入内していて、寵を誇ってあり、春宮の弟の親王の元には次女が嫁いでいます。この方は次の春宮と目されている方なのです。更に、そのまた次の弟、兵部卿の宮には六の君が縁づくのであろうと世間では噂されていました。ただし兵部卿本人は余りその気はなかったとあります。因みに兵部卿は匂宮と呼ばれる方です。そのあたりをちょっと原文で読みましょう。大殿が夕霧です。

  大殿の御娘は、いとあまたものしたまふ。大姫君は、春宮に参りたまひて、またきしろふろふ人なきさまにてさぶらひたまふ。その次々、なほ皆ついでのままにこそはと、世の人も思ひきこえ、后の宮ものたまはすれど、この兵部卿の宮は、さしもおぼしたらず、わが御心より起こらざらむことなどは、すさまじくおぼしぬべき御けしきなめり。

 さて、先ほどお話した兵部卿、匂宮の北の方候補と噂されている六の君は雲居の雁ではなく、典侍の子です。この子は6人もいる女の子の中でも特に優れた容姿だったらしく、夕霧は大切にしていました。母親の身分が低い事から、源氏が明石姫を紫の上に預けたように、夕霧もその娘を六条院にうつした落葉宮に預けました。落葉の宮は皇女ですから、母親の身分として問題がないというわけです。それに宮には子どもがありませんから、寂しさを慰めるためにもちょうどよいだろうと考えたわけです。原文です。

  やむごとなきよりも、典侍腹の六の君とか、いとすぐれてをかしげに、心ばへなどもたらひて生ひ出でたまふを、世のおぼえのおとしめざまなるべきしも、かくあたらしきを、心苦しうおぼして、一条の宮の、さるあつかひぐさ持たまへらでさうざうしきに、迎へとりてたてまつりたまへり。

 夕霧の秘蔵っ子だという噂を聞いて六の君に恋文を送り、求婚してくる貴公子は大勢いました。けれども、夕霧はこの子を一般人と結婚させる気はありません。匂宮本人は、この頃、宇治の姫君に通い始めていてあまり乗り気ではないのですが、夕霧も、宮の周囲もこの結婚を進めようとしています。ところが、そのタイミングで匂宮は宇治の姫君を自宅に妻として迎えたのです。それを知った夕霧はかなり気分を害したのですが、話を進めるしかありません。予定通りに裳着の儀式をしたのでした。匂宮は夕霧が怒っていると聞いて、少し申し訳なく思って、時折六の君にお便りをしたとあります。原文です。

  右の大殿は、六の君を宮にたてまつりたまはむこと、この月にとおぼし定めたりけるに、かく思ひのほかの人を、このほどよりさきにとおぼし顔にかしづきすゑたまひて、離れおはすれば、いとものしげにおぼしたり、と聞きたまふもいとほしければ、御文は時々たてまつりたまふ。御裳着のこと、世に響きていそぎたまへるを、延べたまはむも人笑へなるべければ、二十日あまりに着せたてまつりたまふ。

 そしてしばらくたって、匂宮も母中宮に説得されてしぶしぶながら六の君との結婚を了承したのでした。約束の日、夕霧は六の君の住む六条院東の御殿で待ち構えるのですが、宮はなかなかやって来ません。自宅二条院に妻を置いて出てゆくのが可哀そうでぐずぐずしているのです。次第に夜は更け、夕霧は気が気ではありません。しびれを切らせて、息子を匂宮の所へやります。原文です。

  右の大殿には、六条の院の東の御殿磨きしつらひて、限りなくよろづをととのへて待ちきこえたまふに、十六日の月やうやうさしあがるまで心もとなければ、いとしも御心に入らぬことにて、いかならむと、やすからず思ほして、案内したまへば、「この夕つかた、内裏より出でたまひて、二条の院になむおはしますなる」と人申す。おぼす人持たまへればと、心やましけれど、今宵過ぎむも人笑へなるべければ、御子の頭の中将して聞こえたまへり。
       大空の月だにやどるわが宿に
          待つ宵過ぎて見えぬ君かな


 夕霧からの「大空の月さえわが宿を訪れているのにあなたはお見えにならないのですね。お待ちしていますよ」といった内容の歌が届けられて、さすがに行かないわけには行かず、宮は服装を整えて出かけたのでした。そして実際に六の君に逢ってみると、予想以上に魅力的な女性だったのです。匂宮はすっかりこの新妻が気に入って、自宅二条院には帰らない日が続いたのでした。夕霧はようやく安心したのですが、翌年になると、匂宮は時折通いが途絶えるようになりました。そうすると心配になって、夕霧は様子を見に二条院に立ち寄ったりするのです。娘のことが心配で仕方がないのです。匂宮は鬱陶しくてたまらないのですが、無視することもできません。
 子供たちや部下の貴族たちを引き連れてやって来た夕霧の姿をのぞき見て女房たちは「なんて若々しくてお美しくていらっしゃるのでしょう」などと賞賛しています。夕霧は五十歳を超えているのですが。原文です。

  三四日籠りおはして、御物忌などことづけたまふを、かの殿にはうらめしくおぼして、大臣、内裏より出でたまひけるままに、ここに参りたまへれば、宮、「ことことしげなるさまして、何しにいましつるぞとよ」とむつかりたまへど、あなたにわたりたまひて対面したまふ。「ことなることなきほどは、この院を見で久しくなりはべるもあはれにこそ」など昔の御物語どもすこし聞こえたまひて、やがて引き連れきこえたまひて出でたまひぬ。(略)人々のぞきて見たてまつりて、「さもきよらにおはしける大臣かな。さばかりいづれとなく、若く盛りにてきよげにおはさうずる御子どもの、似たまふべきもなかりけり。あなめでたや」と言ふもあり。

 右大臣夕霧は、こうして良き父良き夫として、また、一族の長として年をとっても衰えることなく、采配を振るったのでした。六条院を立派に守り、源氏没後二十年経って、昔以上に六条院は賑わっていたとあります。夕霧の力です。少し原文を引用します。

 (中宮が)この院(六条院)におはしますをば、内裏よりも広くおもしろく住みよきものにして、常にしもさぶらはぬ人どもも、皆うちとけ住みつつ、はるばると多かる対ども、廊、渡殿に満ちたり。右の大殿、昔の御けはひにも劣らず、すべて限りもなく営みつかうまつりたまふ。いかめしくなりにたる御族なれば、なかなかいにしへよりも、今めかしきことはまさりてさへなむありける。

 一族は昔よりかえって華やかな存在になっているとあります。その後の夕霧について物語は語っていません。けれどもこの先三代までの帝予定者の元に娘を縁付けているわけですから、おそらくは権力を握り続け、悠々と過ごしたことと思われます。

  夕霧の物語は今回で終わりになります。こうして見て来ると、夕霧が父光源氏に、顔は似ていても、それ以外は似ていないということがはっきりわかります。夕霧は危ない橋は渡らない、自分の破滅を賭けるような恋はしない。彼は失敗をしない。不幸にもならないのです。光源氏が輝いて見えるのは、彼が翳の領域を併せ持っているからなのであって、夕霧にはそのような翳がありません。父親が人に言えない秘密を抱えた翳のある男だったのと比べると夕霧はまったく蔭のない男、秘密のない男です。面白味のない男とも言えるでしょう。夕霧は物語の主人公にはなれません。彼の姿は私たちに光源氏の魅力をあらためて教えてくれたのではないでしょうか。



















文:岸本久美子
【引用】新潮日本古典集成より


第3章 脇役の男たち 其の三「夕霧」完結。 
YouTube動画中の「源氏物語手鑑」につきまして。和泉市久保惣記念美術館デジタルミュージアム許可のもと引用しています🔗