受領の妻空蝉 二、帚木

二「帚木」

 

 返事を持って来なかった小君に向かって「今の御主人より前に私と姉君は付き合っていたのに私が若すぎるからとお姉さんは私を見捨てたんだよ」と嘘をついて源氏は再び手紙を託します。両親を亡くしている小君は源氏の君を主人であると同時に父親とも兄とも慕い、源氏の意のままに動くのでした。空蝉は弟を叱ったりたしなめたりしながらも、何度も届くお手紙に時々は簡単なお返事をしたのでした。ただ、源氏の君のようなお方に自分はふさわしくない、受領の妻という身分でどういう関係が結べるというのかと自問自答し、情の籠ったお返事などとてもできないのでした。一方、源氏の方は空蝉のことが忘れられず何とかしてもう一度逢いたいと機会を伺っていたのでした。そして、再び方違えを利用して紀伊の守の屋敷を訪れたのでした。原文です。

  紀伊の守おどろきて、遣水の面目とかしこまりよろこぶ。小君には、昼より、かくなむ思ひよれると、のたまひ契れり。明け暮れまつはし馴らしたまひければ、今宵もまづ召し出でたり。女も、さる御消息ありけるに、おぼしたばかりつらむほどは、浅くしも思ひなされねど、さりとて、うちとけ、ひとげなきありさまを見えたてまつりても、あぢきなく、夢のやうにて過ぎにし嘆きをまたや加へむ、と思ひ乱れて、なほさて待ちつけきこえさせむことのまばゆければ、小君が出でていぬるほどに、「いとけぢかければ、かたはらいたし。なやましければ、忍びてうちたたかせなどせむに、ほど離れてを」とて渡殿に、中将といひしが局したる隠れにうつろひぬ。

 何も知らない紀伊の守は突然の来訪に驚きながらも自邸が源氏の君のお気に召したことを喜んで、一行を迎えます。源氏は前もって小君に今夜の手はずを伝え、空蝉にも手紙で逢いに行くことを知らせたのでした。その手紙を読んだ空蝉は、源氏の君の浅からぬお心に感激しながらも、このままお待ちするわけにはゆかぬと考えて、近くお仕えする女房に「体調も悪いし、お客様の近くは恐れ多いので」と口実を設けてその女房の部屋に避難したのでした。そんなこととは知らない小君は、いつもの部屋に居ない姉の行方を探し求めてさまよい歩きます。そしてようやく見つけた姉には「子供がそんな取持ちをするなんてとんでもないこと。お前がこんな所をうろうろしてたらみんなおかしいと思うでしょ」と厳しく𠮟りつけられて、すごすごと源氏の元に戻ったのでした。小君を追い返しはしたものの、その後、空蝉は切ない思いに胸を焦がします。こんな身分、受領の妻なんかになる前、親の元にあった時、たまにでも源氏の君のおいでを待つようなことができていたら、どんなに素敵だったかしら・・・・と夢想してみたりもするのですが、いやいやそんなことは思うまい、もうどうしようもないことだから、あくまで情の強い女だと思われて終わろうと自分に言い聞かせるのでした。
 期待して待っていた源氏は、むなしく戻ってきた小君から結果を聞いて、なんと気の強い女だろうとあきれ、「もうわが身が恥ずかしいよ」とすっかり気落ちしながら、もう一度歌を届けさせます。寝ることもできずにいた空蝉は小君がうろうろしていることで何かあやしまれるのではないかと心配しながらも、さすがにすぐに歌を返しています。その部分原文で読みましょう。
 
  君はいかにたばかりなさむ、とまだ幼きをうしろめたく、待ち臥したまへるに、不用なるよしを聞こゆれば、あさましくめづらかなりける心のほどを、「身もいとはづかしくこそなりぬれ」といといとほしき御けしきなり。とばかりものものたまはず、いたくうめきて、憂しとおぼしたり。
「帚木の心を知らでそのはらの道にあやなくまどひぬるかな
聞こえむかたこそなけれ」とのたまへり。女もさすがにまどろまざりければ、
  数ならぬふせ屋におふる名の憂さにあるにもあらず消ゆる帚木
と聞こえたり。

 二人の歌の贈答に出てくる帚木は箒を逆さまにしたような形の木で遠くからはみえるが近づくと見えなくなるという伝説上の木のことです。源氏の歌は「あなたが、近づけば消える帚木のような方とは知らず道に迷って途方に暮れています」というような意味で、空蝉のほうは、「いやしく貧しい家に生えた帚木のような私はわが身が恥ずかしくて消えてしまうしかないのです」というような意味でしょうか。
この後、源氏はあきらめきれずに小君に空蝉の隠れている所に連れて行けと言うのですが、なにしろ女房たちが立て込んでいるような場所なので、小君は申し訳なくてたまらないながらも「無理です」と断るしかありません。源氏の君はしかたなく空蝉の代わりに小君を傍らに寝せて一夜を過ごしたのでした。原文です。

  寝られたまはぬままには、「われは、かく人に憎まれてもならはぬを、今宵なむ初めて憂しと世を思ひ知りぬれば、はづかしくて、ながらふまじくこそ、思ひなりぬれ」などのたまへば、涙をさへこぼして臥したり。いとらうたしとおぼす。手さぐりの細く小さきほど、髪のいと長からざりしけはひの、さまかよひたるも、思ひなしにや、あはれなり。

 源氏が空蝉のかわりに小君をなでまわしているのがちょっと・・・・ですね。
さて、一方の空蝉もこの日からもの思いに沈んでいます。あれ以来源氏の君からのお手紙が全く来なくなったのです。こうしてキリがついてしまうならそれでいいじゃないかと思う一方で、なんと失礼な情の強い女かとあきれられて終わってしまうのは辛いと思ってしまうのです。まさに女心の未練というものでしょうか。そのあたりをすこしだけ原文でご紹介しましょう。

  女もなみなみならずかたはらいたしと思ふに、御消息も絶えてなし。おぼし懲りにけると思ふにも、やがてつれなくて止みたまひなましかば憂からまし、しひていとほしき御ふるまひの絶えざらむも、うたてあるべし、よきほどに、かくて閉じめてむ、と思ふものから、ただならず、ながめがちなり。

 源氏はひどい目にあったとは思うものの、やはりこのままひきさがるわけには行かないと意地になっています。小君に何とか姉君に逢えるようにチャンスを作りなさいとこの後ずっと言い続けたのでした。小君は困惑しながらも大切な源氏の君に喜んでもらいたくて、機会を探し続けたのでした。そしてしばらくして、主の紀伊の守が任国に下って留守になることを知り、今回は内密に源氏を屋敷に案内したのでした。小君の車に源氏の君をこっそり乗せて連れ込んだとあります。子供でも自分の牛車を持っているのですね原文です。

  君は心づきなしとおぼしながら、かくてはえ止むまじう御心にかかり、人わろくおもほしわびて、小君に、「いとつらうも、うれたうもおぼゆるに、しひて思ひかへせど、心にしも従はず苦しきを、さりぬべきをり見て、対面すべくたばかれ」とのたまひわたれば、わづらはしけれど、かかるかたにても、のたまひまつはすは、うれしうおぼえけり。をさなきここちに、いかならむをり、と待ちわたるに、紀伊の守、国に下りなどして、女どちのどやかなる夕闇の道たどたどしげなるまぎれに、わが車にて率てたてまつる。この子もをさなきを、いかならむ、とおぼせどさのみもえおぼしのどむまじければ、さりげなき姿にて、門などささぬさきにと、急ぎおはす。

さあこうして夕闇に紛れて紀伊の守の館に到着しました。
今回はここまでといたしましょう。









文:岸本久美子
【引用】新潮日本古典集成より


次回 第四章 通り過ぎた女君たち 受領の妻空蝉 第三話「垣間見」 は2024年9月12日に配信いたします。
YouTube動画中の「源氏物語手鑑」につきまして。和泉市久保惣記念美術館デジタルミュージアム許可のもと引用しています🔗