葵、須磨、少女
第3章 脇役の男たち 其の三「夕霧」
二、雲居の雁もわがごとや
夕霧と雲居の雁は、十歳になった頃から別々の、離れた部屋で暮らすようになりはしたものの、何かにつけて一緒に遊んでいました。そんな中で二人の間には恋心が芽生えていました。周りの女房達はそれに気づいていましたが、特に問題だとは思っていなかったようです。元服後、夕霧は父の邸に離れ住むようになり、二人は滅多に逢うことができなくなったことでかえって恋心は育ったのでした。原文です。冠者の君とあるのが夕霧です。
冠者の君、ひとつにて生ひ出でたまひしかど、おのおの十にあまりたまひてのちは、御方異にて、むつましき人なれど、男子にはうちとくまじきものなりと父大臣聞こえたまひて、けどほくなりにたるを、幼ごこちに思ふことなきにしもあらねば、はかなき花紅葉につけても、雛遊びの追従をも、ねむごろにまつはれありきて、心ざしを見えきこえたまへば、いみじう思ひかはして、けざやかには今も恥ぢきこえたまはず。御後見どもも、何かは、若き御心どちなれば、年ごろ見ならひたまへる御あはひを、にはかにもいかがはもて離れはしたなめきこえむと見るに、女君こそ何心なく幼くおはすれど、男は、さこそものげなきほどと見きこゆれ、おほけなく、いかなる御仲らひにかありけむ。よそよそになりては、これをぞ静心なく思ふべき。
夕霧の父源氏は勿論全くそんなことは知りもせず、関心もありません。雲居の雁の父大臣(元の頭中将です)は、これまで、娘の養育をずっと自分の母に任せていたのですが、冷泉帝に入内した長女の弘徽殿女御が、源氏の後見する女御に負けて、皇后の位に着けなかったことから、次の娘雲居の雁の価値が彼の中で急上昇、春宮の后がねと考えるようになっていたのでした。
ここで、皇后、あるいは中宮と言ってもおなじなのですが、なぜその位に当時の貴族がこだわったかという事について、少しコメントしておきたいと思います。
入内した女君の位は父親の身分によって女御、更衣となりますが、その女御の中から皇后(中宮)が選ばれます。女御更衣は臣下ですが、皇后は天皇と同列の位となり、その待遇も権力も格段に異なるものとなります。皇后には受領などの地方官にも推薦権があったということで、一門から皇后が出ることは非常に大きな意味があったわけです。ですから、源氏側の女御にその位を奪われた頭中将側は何とか次の代で挽回しようとしていました。そのための駒として雲居の雁が浮上してきたわけです。
その大切な娘が、すでに夕霧と恋仲であることを、女房の立ち話から知った大臣は激怒し、母大宮の監督不行き届きをなじります。
大宮は、ちょうど、雲居の雁に逢うためにやって来た夕霧にそのことを話し、距離をおくようにと諭します。その夜夕霧は大宮の所に泊まりました。襖を隔てた隣の部屋に雲居の雁がいるわけですが、こうなっては逢うことができません。手紙を出すことさえ容易ではないと思うと夕霧は食事も喉を通らず、夜が更けてから隣の部屋との境の障子(襖のことです)を開けようとするのですが、鍵が掛っていてあけることはできないのでした。原文です。
いとど文なども通はむことのかたきなめりと思ふに、いとなげかし。もの参りなどしたまへど、さらに参らで、寝たまひぬるやうなれど、心も空にて、人静まるほどに、中障子を引けど、例はことに鎖し固めなどもせぬを、つと鎖して、人の音もせず。いと心細くおぼえて、障子に寄りかかりてゐたまへるに、女君も目をさまして、風の音の、竹に待ちとられてうちそよめくに、雁の鳴きわたる声のほのかに聞こゆるに、幼きここちにも、とかくおぼし乱るるにや、「雲居の雁もわがごとや」とひとりごちたまふけはひ、若うらうたげなり。
眠れぬままに襖に寄りかかっていると雲居の雁が「空飛ぶ雁も私のように悲しいのかしら」と歌の一節をつぶやくのが聞こえてきました。夕霧はもうたまらなくなって襖を揺さぶって開けてくれと言うのですが、誰も開けてくれる者はありませんでした。因みにこの時の歌から彼女は雲居の雁と呼ばれるようになります。
やがて雲居の雁は祖母の元から引き離されて父の元に引き取られることになり、ちょうど大臣が娘を迎えに来た日に夕霧がやって来ます。祖母大宮の部屋で雲居の雁が別れを惜しんでいるところを夕霧は屏風のうしろからのぞいて、様子をうかがっていたのですが、見かねた雲居の雁の乳母がこっそり二人を会わせます。原文です。
冠者の君(夕霧)、もののうしろに入りゐて見たまふに、人のとがめむも、よろしき時こそ苦しかりけれ、いと心細くて、涙おしのごひつつおはするけしきを、御乳母、いと心苦しう見て、宮にとかく聞こえたばかりて、夕まぐれの人のまよひに、対面せさせたまへり。かたみにものはづかしく胸つぶれて、ものも言はで泣きたまふ。「大臣の御心のいとつらければ、さはれ思ひやみなむと思へど、恋しうおはせむこそわりなかるべけれ。などて、すこし隙ありぬべかりつる日ごろ、よそに隔てつらむ」とのたまふさまも、いと若うあはれげなれば、「まろも、さこそはあらめ」とのたまふ。「恋しとはおぼしなむや」とのたまへば、すこしうなづきたまふさまも、幼げなり。
二人のやりとりの可愛らしい事。二人とも泣いています。泣きながら、夕霧が「御父上のなさりかたがひどいので、あなたのことは忘れてしまいたいと思うけれど、やはり恋しくてたまらないでしょう」というと雲居の雁の方も「きっと私も同じ」と答えています。こうして幼い恋は引き裂かれ、この後ずっと六年間も、たまにこっそり手紙のやりとりがあるのみで、二人は逢うことなく、心の奥の恋を守り続けたのでした。
その間、夕霧は、五節の舞姫として源氏の所から差し出された惟光の娘を垣間見て、恋文を送り、後に愛人としています。藤の典侍と呼ばれる人です。そんなこともありながら、やはり学問に精出して、試験にも合格して位も上がりました。ただ雲居の雁とはずっと会えないままです。原文です。
かくて大学の君、その日文うつくしう作りたまひて、進士になりたまひぬ。年積れるかしこき者どもを選らせたまひしかど、及第の人わづかに三人になむありける。秋の司召にかうぶり得て、侍従になりたまひぬ。かの人の御こと、忘るる世なけれど、大臣の切にまもりきこえたまふもつらければ、わりなくてなども対面したまはず。御消息ばかり、さりぬべきたよりに聞こえたまひて、かたみに心苦しき御仲なり。
この頃夕霧は新しく造営された六条院の夏の館に住む花散里の元に預けられて、彼女を母替わりとしています。(二条院西の対に住んでいた時分から)初めて彼女の容貌を見た時は衝撃を受けて「容貌まほならずもおはしけるかな。」と思ったと書かれています。
さて二年ほどたって、ある野分、台風の日のことです。父の元に風見舞いに訪れた夕霧は、偶然、紫の上の姿を見てしまいます。台風に備えて屏風などの視線を遮るものが片付けられていたためでした。咲き乱れる桜のような美しいお姿に夕霧は魂を奪われ、そのお姿はくっきり目に焼き付けられたのでした。夕霧は十五歳になっています。原文で読みましょう。中将の君が夕霧です。
大臣は、姫君の御方におはしますほどに、中将の君(夕霧)参りたまひて、東の渡殿の小障子の上より妻戸のあきたる隙を、何心もなく見入れたまへるに、女房のあまた見ゆれば、立ちとまりて、音もせで見る。御屏風も、風のいたく吹きにければ、押し畳み寄せたるに、見通しあらはなる廂の御座にゐたまへる人、ものにまぎるべくもあらず、気高くきよらに、さとにほふここちして、春の曙の霞の間より、おもしろき樺桜の咲き乱れたるを見るここちす。(略)中将、夜もすがら荒き風の音にもすずろにものあはれなり。心にかけて恋しと思ふ人のことはさしおかれて、ありつる御面影の忘られぬをこはいかにおぼゆる心ぞ、あるまじき思ひもこそ添へ、いと恐ろしきことと、みづから思ひまぎらはし、異事に思ひ移れど、なほふとおぼえつつ、(略)人柄のいとまめやかなれば、似げなさを思ひ寄らねど、さやうならむ人をこそ、同じくは見て明かし暮らさめ、限りあらむ命のほども、今すこしはかならず延びなむかしと思ひ続けらる。
この時、夕霧は父親が自分を紫の上から厳しく遠ざけて来た理由、自分を花散里に預けたわけをはっきりと知ったのでした。この日の夜は、雲居の雁のことはどこかに行ってしまって、ただただ紫の上の面影が目の前に浮かんで消えないのでした。このようなお方を日々見て暮らすことが出来たなら寿命も延びるだろうなどと思っています。
光源氏はかつて自分の父桐壺帝の妻であった藤壺に心を奪われ、その義理の母への恋心を抑えることができずに、契りをかわし、不義の子までなしました。そのことがある故に息子を警戒していたわけですが、実際、紫の上の姿を垣間見た夕霧は紫の上の美しさに感動し、憧れの人として、心にずっとその面影を抱き続けます。けれども父と違ってあくまでも真面目で常識的な人間である彼にとっては、父親の妻を恋の対象とするなどあまりに畏れ多い事であり、ましてその思いを実行に移すなど夢にもありえないことでした。
文:岸本久美子
【引用】新潮日本古典集成より
次回2023年7月13日(木)夕霧「夢かとおぼえて」をお送りします。
YouTube動画中の「源氏物語手鑑」につきまして。和泉市久保惣記念美術館デジタルミュージアム許可のもと引用しています🔗