二、若草

末摘花 紅葉賀

若草

 少女時代の紫の上は若紫と呼ばれています。前回は原文通り若君としておりましたが、今回からは若紫という呼び名を使うことといたしましょう。
 前回の最後は、源氏の君が若紫を迎え取ったという話でしたが、それは冬の始めの頃、祖母尼君が亡くなったのは9月20日のことでしたから、それからまだ一か月くらいしかたたない頃でした。
 源氏の君が北山で初めてその子を見つけた時にまず思ったのは「さてもいとうつくしかりつる児かな、何人ならむ、かの人の御かはりに、あけくれのなぐさめにも見ばや」ということで、源氏にとって、その少女は、恋しくて恋しくてたまらない藤壺の代わり、あくまでも藤壺の形代だったのでした。そこで、手元に引き取ってからは、この藤壺の面影を宿す少女を、藤壺と似た性格の、藤壺と似た振舞をする女性に育てあげようと源氏の君は心を尽くしたのでした。
 若紫本人はそんなことは夢にも思わず、なぜ自分が父ではなくこの人にひき取られたのかと悩むこともなく、源氏の君を年若い父のように思って、慕い甘えています。12月末には尼君の喪が明け、若紫は喪服を脱ぎ二条院での新春を迎えました。当時は新年を迎えると同時にひとつ齢を取ることになっていましたから、若紫も11歳になったことになります。その元旦の朝の様子を原文で読みましょう。男君が源氏、姫君が若紫です。

  をとこ君は朝拝(元旦の式)に参り給ふとてさしのぞきたまへり。「今日よりはおとなしくなりたまへりや」とて、うちゑみたまへり。いつしか、雛をしすゑて、そそきゐたまへる。三尺の御厨子一具に、品品しつらひすゑて、また、小さき屋ども作り集めて、たてまつりたまへるを、所せきまで、遊びひろげたまへり。「儺やらふとて犬君がこれをこぼち侍りにければ、つくろひ侍るぞ」とて、いと大事とおぼいたり。「げに、いと心なきしわざにも侍るかな。今つくろはせ侍らん。今日は事いみして、な泣き給ひそ」とて、いでたまふ気色、所せきを、人々端に出て見たてまつれば、ひめ君もたち出て見たてまつりたまひて、雛の中の源氏の君つくろひたてて内裏に参らせなどしたまふ。

 源氏の君が「一つ年を取って大人になったかな」と言いながら若紫の部屋を覗いてみると、なんと彼女は大人になったどころか、人形とそのお道具を部屋中に広げて遊びに夢中です。そして、あの、雀を逃がしてしまった犬君という女の子がここでも不始末をしでかしています。大晦日の鬼やらいで走り回ってお道具を踏みつぶしてしまったようです。泣き泣きそれを訴える若紫を「新年早々泣くんじゃない、すぐに直してあげるから」と慰めて、宮中に出かけて行く源氏を女房達と見送ってから、若紫はお人形の中の源氏の君と名付けた人形にその真似をさせています。相変わらず本当に子供っぽくて可愛らしい少女の姿が描かれています。乳母は心配して「10歳を過ぎた人はもうお人形遊びなどなさるものではありません。お婿さんをお迎えになったのですから、奥様らしくなさいませ」などと説教しています。乳母も二人の間が夫婦でないことは知っているのですが、わざとこんなことを言って、若紫を大人っぽく振舞わせようとしているのです。
 同じ年の二月、藤壺は密通の結果の源氏の子を産みます。源氏は四月になって、宮中で、そのわが子と呼ぶことは決してできないわが子と対面。嬉しくも苦しくもあり悩ましい気持ちの源氏の君が、その心を慰める手立ては若紫の元へ行ってその相手をすることでした。秘密の子を守るために厳しく源氏を遠ざけようとする藤壺への募る思いも、この子と過ごす一時に紛れるのでした。若紫はここでは女君と呼ばれています。ちょっと拗ねて見せたりして、数か月の間に大分女らしく成長しています。

  しどけなくうちふくだみたまへる鬢ぐき、あざれたる袿すがたにて、笛をなつかしう吹きすさびつつ、のぞきたまへれば、女君、ありつる花の露に濡れたるここちして、添ひ臥したまへるさま、うつくしうらうたげなり。愛敬こぼるるやうにて、おはしながらとくもわたりたまはぬ、なまうらめしかりければ、例ならずそむきたまへるなるべし、端のかたについゐて、「こちや」とのたまへどおどろかず、「入りぬる磯の」と口ずさみて、口おほひしたまへるさま、いみじうされてうつくし。「あな憎。かかること口馴れたまひにけりな。みるめに飽くはまさなきことぞよ」とて、人召して、御琴取り寄せて弾かせたてまつりたまふ。かきあはせばかり弾きて、さしやりたまへれば、え怨じ果てず、いとうつくしう弾きたまふ。ちひさき御ほどに、さしやりてゆしたまふ御手つき、いとうつくしければ、らうたしとおぼして、笛吹き鳴らしつつ教へたまふ。いとさとくて、かたき調子どもを、ただひとわたりに習ひとりたまふ。おほかたらうらうじうをかしき御心ばへを、思ひしことかなふとおぼす。

 源氏の君が、うちに戻ってきていながら、すぐには自分の部屋に来てくれなかったので若紫はちょっと拗ねて、源氏が声を掛けてもそっぽを向いたままです。そして「入りぬる磯の」という古歌の一部を口ずさみます。原歌は万葉集の坂上郎女の歌で、「あなたは潮が満ちると隠れてしまう磯の藻みたいな人、見ることは少なくて、恋しく思うことが多いわ」といった意味です。それを聞いた源氏は若紫のおませな対応に「おお、私の感情教育の成果が表れて来たな・・・・」と内心ほくそえんでいます。そして、「そんな憎らしいことをおっしゃるようになったのですね。あまりしょっちゅう逢うと飽きてしまいますよ」とか言って、そのあとでは笛を吹きながら、若紫に琴を教えたのでした。難しい曲もすぐに覚えてしまい、どの方面においても聡明さのきわだつ若紫に満足し、源氏は「思ひしことかなふ」つまり、予定通り理想の女性に育って来たなと満足するのでした。


 同じ頃、少女時代の若紫と青年光源氏の暮らしの一コマをもう少しご紹介しましょう。若紫は11歳、源氏は19歳の頃です。源氏の君は、夕方になっていつものように、出かけて行こうとします。どこかの女君の元へ行くわけですが、若紫はそんなことは知りません。ただ、お留守になると寂しいのです。この日は出かけて行こうとした源氏が若紫可愛さに外出を思いとどまったという場面です。原文です。

  大殿油参りて、絵どもご覧ずるに、「いでたまふべし」とありつれば、人々声づくり聞こえて、「雨ふり侍りぬべし」などいふに、姫君例の心細くて屈したまへり。絵も見さしてうつぶしておはすればいとらうたくて、御髪のいとめでたくこぼれかかりたるを、かきなでて、「ほかなる程は恋しくやはある」とのたまへば、うなづき給ふ。「我も、一日もみたてまつらぬは、いと苦しうこそ。されど、をさなくおはする程は、心やすく思い聞えて、まづ、くねくねしくうらむる人の心やぶらじ、と思ひて、むつかしければ、しばし、かくもありくぞ。おとなしく見なしては、ほかへも、更に行くまじ。『人のうらみ負はじ』など思ふも『世に長うありて、思ふさまに見えたてまつらむ』と思ふぞ」などこまごまと語らひきこえたまへば、さすがに恥づかしくて、ともかくも、いらへ聞こえたまはず。やがて、御膝によりかかりて、寝入りたまひぬれば、いと心苦しうて、「今宵はいでずなりぬ」とのたまへば、みな立ちて御膳などこなたに参らせたり。

 二人で絵を見ていたのですが、日が暮れて、源氏の御供の人たちが「そろそろ出かけないと雨が降りそうです」と促すのを聞いてしょんぼりした若紫を源氏は懸命に慰めています。「あなたがおおきくなったらどこにも行かないからね」とか色々言っていますが、若紫にはなんのことかわからず、源氏の君の膝の上で寝込んでしまします。源氏はこんなかわいい子を置いて出かけることは到底できない、とその夜の外出は思いとどまったのでした。まだまだいじらしい若紫、保護者めいた気持ちの源氏の君の姿がここにありました。
 この後三年あまり若紫は物語の表舞台から姿を消します。次に登場する時は一四歳になっています。さあ彼女はどんな姿を見せるのでしょうか。






文:岸本久美子
【引用】新潮日本古典集成より


新講座第三回 「海松ぶさ(みるぶさ)」 2022年3月3日配信
YouTube動画中の「源氏物語手鑑」につきまして。和泉市久保惣記念美術館デジタルミュージアム許可のもと引用しています🔗