二、降りしきる桜

若菜上

光源氏に憧れ続けた男 柏木
二、降りしきる桜

 

 源氏の君が四十を迎えたその新春、早々に行われた玉鬘主催の賀のすぐ後で、いよいよ女三宮が六条院に降嫁しました。それでも柏木はあきらめきれずに、密かに源氏の出家を願って、もし、その時は自分が・・・と夢見たりしていました。源氏のものになったということが、三宮にさらなる付加価値を与えているのです。
 女三宮降嫁の翌年の春のある日、光源氏の六条院春の舘での蹴鞠に柏木は夕霧とともに参加しました。美しい春の庭で繰り広げられる若者たちの蹴鞠遊びの場面原文で読みましょう。大将が夕霧、督の君が柏木です。

  大将(夕霧)も督の君(柏木)も、皆おりたまひて、えならぬ花の蔭にさまよひたまふ夕ばえ、いときよげなり。をさをささまよく静かならぬ乱れごとなめれど、所から人からなりけり。ゆゑある庭の木立いたく霞みこめたるに、色々紐ときわたる花の木ども、わずかなる萌黄の蔭に、かくはかなきことなれど、よきあしきけぢめあるをいどみつつ、われも劣らじと思ひ顔なるなかに、衛門の督のかりそめに立ちまじりたまへる足もとに並ぶ人なかりけり。容貌いときよげに、なまめきたるさましたる人の、用意いたくして、さすがに乱りがはしき、をかしく見ゆ。

 「色々紐ときわたる花の木ども」なんてなんと素敵な表現でしょう。よく手入れされたお庭の桜の木々が花開き、新芽の緑も見える、そんななかで繰り広げられる蹴鞠。競技に興じる若者たちの中で、蹴鞠の腕前で柏木の右に出るものはなかったとあります。しかもその姿もきわだって美しいのです。こういう時、女たちは必ず建物の中からのぞき見をしています。垣間見は男のするもののように思われがちですが、なんのなんの、女のほうは団体でのぞき見してああだこうだと男たちを品評するのです。この時も、勿論同じです。そして、こちらの御殿の寝殿には女三宮が住んでいますから夕霧も柏木もそれを意識しています。蹴鞠に疲れた二人は寝殿の階、階段に腰かけて休憩、かたわらの桜の木から花びらがはらはらと散りかかる階段です。すぐ後ろは女三宮の住まいです。それとなくそちらを振り向いて見ると、御簾の下から女房達のはなやかな衣裳の端の色々がこぼれでているのが見えます。そして・・・・・。原文で読みましょう。

  (夕霧は)花の雪のやうに降りかかれば、うち見上げて、しをれたる枝すこし押し折りて、御階の中のしなのほどにゐたまひぬ。督の君続きて「花、乱りがはしく散るめりや。桜は避きてこそ」などのたまひつつ、宮の御前のかたを後目に見れば、例の、ことにをさまらぬけはひどもして、色々こぼれ出でたる御簾のつま、透影など、春の手向けの幣袋にやとおぼゆ。
御几帳などもしどけなく引きやりつつ、人気近く世づきてぞ見ゆるに、唐猫のいと小さくをかしげなるを、すこし大きなる猫追ひ続きて、にはかに御簾のつまより走り出づるに、人々おびえ騒ぎて、そよそよと身じろきさまよふけはひども、衣の音なひ、耳かしかましきここちす。猫は、まだよく人にもなつかぬにや、綱いと長く付きたりけるを、ものにひきかけまつはれにけるを、逃げむとひこしろふほどに、御簾のそばいとあらはに引きあげられたるを、とみにひき直す人もなし。

 二人がそちらをちらちらと見て居ると突然小さい猫が飛び出してきてそれを追いかけて大きな猫が出てきたのです。そして、猫が紐で結ばれていたために御簾がすっかりめくれあがってしまったのでした。ずらりと御簾の蔭でのぞき見していた女房たちは驚いてすぐには御簾を直す者もいなかったのでした。そのために二人は部屋の中をしっかり見てしまったのです。そして、そこには何と女三宮その人の姿があったのです。再び原文です。

  几帳の際すこし入りたるほどに、袿姿にて立ちたまへる人あり。階より西の二の間の東のそばなれば、まぎれどころもなくあらはに見入れらる。紅梅にやあらむ、濃き薄き、すぎすぎに、あまたかさなりたるけぢめはなやかに、草子のつまのやうに見えて、桜の織物の細長なるべし。御髪の末までけざやかに見ゆるは、糸をよりかけたるやうになびきて、末のふさやかにそがれたる、いとうつくしげにて、七八寸ばかりぞあまりたまへる。御衣の裾がちに、いと細くささやかにて、姿つき、髪のかかりたまへる側目、言ひ知らずあてにらうたげなり。夕影なれば、さやかならず、奥暗きここちするも、いと飽かずくちをし。(略)猫のいたく鳴けば、見返りたまへるおももち、もてなしなど、いとおいらかにて、若くうつくしの人やと、ふと見えたり。

 ほっそりした小柄な立ち姿がはっきり見えました。他の女たちとはあきらかに違う高貴な雰囲気を漂わせた、たいそう愛らしいお方でした。猫の鳴き声にこちらを振り向かれたので、薄暗くてはっきりとは見えませんでしたが、お顔も見えました。二人とも宮を見てしまったという衝撃に呆然とします。殊に格別な思いを寄せている柏木は魄を奪われたようになってしまいました。そして、逃げだしてきた子猫を抱き寄せて、まるでその猫が女三宮であるかのような気持ちになってうっとりしていたのでした。夕霧は柏木が女三宮に思いを寄せていることを知っていますから、このことが柏木にどう影響するだろうかと心配しています。原文です。

  ましてさばかり心をしめたる衛門の督は、胸つとふたがりて、誰ばかりにかはあらむ、ここらの中にしるき袿姿よりも、人にまぎるべくもあらざりつる御けはひなど、心にかかりておぼゆ。さらぬ顔にもてなしたれど、まさに目とどめじやと、大将はいとほしくおぼさる。わりなきここちのなぐさめに、猫を招き寄せてかき抱きたれば、いとかうばしくて、らうたげにうち鳴くも、なつかしく思ひよそへらるるぞ、すきずきしや。

 この後、原文では夕霧と柏木のそれぞれのこの出来事についての感想が書かれています。夕霧は、端近な所に立っていた宮を「思慮が足りず心配だ。こんな風だから源氏の君の愛情も薄いのだろう」と思い、柏木のほうは、宮の態度を軽々しいものとは全く感じず、自分の思いが通じてお姿を見ることが出来たのだろうかと感激しているのでした。
 こうして女三宮の姿をはっきり見てしまったことが彼の人生を狂わせました。猫が彼の人生を狂わせたとも言えます。普通に考えてみれば、あきらめきれないとは言っても、源氏の君の妻となっている方に近づこうなどという大それたことは考えられません。ところが、「見る」ということに当時の人は独特の信仰を持っていました。女君の姿は基本的に隠されていて、よほどのことがない限り、夫以外の男は、たとえ実の兄弟であっても、なんの隔てもなくその姿や顔をみることはできません。ということは、たまたま、ある女君のお姿をはっきり見ることがあれば、その方と自分の間には何か特別なつながりが約束されているのではないかと思ってしまいがちだったのでしょう。そんなわけで、この時から柏木の中に妄想が入り込み、宮への思いは募るばかりです。当時柏木はまだ独身でした。寂しくないことは無いが、そこらの平凡な貴族の娘とは結婚したくないと思っていました。その辺りの彼の思いを原文で読みましょう。これまでと同じく督の君が柏木です。

  督の君は、なほ大殿の東の対に、独住みにてぞものしたまひける。思ふ心ありて、年ごろかかる住まひをするに、人やりならずさうざうしく心細きをりをりあれど、わが身かばかりにて、などか思ふことかなはざらむとのみ、心おごりをするに、この夕より屈しいたく、もの思はしくて、いかならむをりに、またさばかりにてもほのかなる御ありさまをだに見む、ともかくもかきまぎれたる際の人こそ、かりそめにもたはやすき物忌、方違へのうつろひも軽々しきに、おのづからとかくものの隙をうかがひつくるやうもあれ、など思ひやるかたなく、深き窓のうちに、何ばかりのことにつけてか、かく深き心ありけりとだに知らせたてまつるべき、と胸痛くいぶせければ、小侍従がり、例の、文やりたまふ。

 何とかして自分のこの思いを宮に伝えたい、もう一度、ちらりとでもお姿を拝見したい。そこで頼ったのが小侍従でした。小侍従という女房は、女三宮の乳母の娘で、宮にとってはいわゆる乳兄弟。そして、宮の乳母と柏木の乳母は姉妹でしたから、柏木にとってはじぶんの乳母の姪にあたるわけで、親しい間柄でした。その小侍従を通して宮にお手紙を届けています。その手紙の中で自分の宮に対する思いを訴え、お姿を見たということをも仄めかします。宮はその手紙にぎょっとしますが、不用意にも自分の姿を男に見られてしまったということを反省することはなく、源氏の君に知られたらどうしようとそのことを心配するだけでした。柏木の方は、小侍従から、手の届かないお方に思いを寄せるなんて馬鹿げていますときつく叱責され、自分でもその通りだと思う一方で、宮を恋こがれる思いは募るばかり。さあ、どうなることでしょうか。この後の展開は次回に譲るといたしましょう。










文:岸本久美子
【引用】新潮日本古典集成より


次回第三話「猫を抱く」  2023年3月2日配信
YouTube動画中の「源氏物語手鑑」につきまして。和泉市久保惣記念美術館デジタルミュージアム許可のもと引用しています🔗