五、移りゆく世

通り過ぎた女たちその6 右大臣の娘朧月夜
五「移りゆく世」

 

 

 

 朱雀帝の譲位は32歳の時でその後10年近く平穏な日々が流れました。40歳を過ぎた頃からまた病気がちになり、出家を考えるようになったのでした。それについては、母親のない女三宮という娘のことが気がかりだったのですが、とりあえずその娘の裳着を行ってその三日後に出家します。朧月夜、ここでは尚侍とでてきますが、彼女はずっと院に寄り添って、お別れするのを悲しんでしょげかえっています。そんな彼女を慰めかねて院も心を乱すのですが、ついに出家を断行したのでした。そのあたりを原文で読みましょう。

  御ここちいと苦しきを念じつつ、おぼし起こして、この御いそぎ(女三宮の裳着)果てぬれば、三日過ぐして、つひに御髪おろしたまふ。よろしきほどの人の上にてだに、今はとてさま変るは悲しきわざなれば、ましていとあはれげに御方々もおぼしまどふ。尚侍の君は、つとさぶらひたまひて、いみじくおぼし入りたるを、こしらへかねたまひて、「子を思ふ道は限りありけり。かく思ひしみたまへる別れの堪へがたくもあるかな」とて、御心乱れぬべけれど、あながちに御脇息にかかりたまひて、山の座主よりはじめて、御忌むことの阿闍梨三人さぶらひて、法服などたてまつるほど、この世を別れたまふ御作法、いみじく悲し。

 こうして出家を遂げた朱雀院は院を出て、西山の御寺に移ったのでした。院のもとに集っていた女君たちは別れ別れにそれぞれの里に引き揚げました。朧月夜は自分も一緒に出家することを望んでいたのですが、院に「そんな慌ただしいことをするんじゃない」と諫められてとりあえずはあきらめ、亡き弘徽殿太后の住まいであった二条の宮に下がったのでした。原文です。

  今はとて、女御、更衣たちなど、おのがじし別れたまふも、あはれなることなむ多かりける。尚侍の君は、故后の宮のおはしましし二条の宮にぞ住みたまふ。姫宮の御ことをおきては、この御ことをなむかへりみがちに、帝もおぼしたりける。尼になりなむとおぼしたれど、かかるきほひに、したふやうに心あはたたしく、といさめたまひて、やうやう仏の御ことなどいそがせたまふ。

 朧月夜はすぐに出家することは思いとどまったけれど、少しずつ準備をおさせなさったとあります。さて、一方の源氏の君はというと、その後も朧月夜のことが忘れられず、もう一度逢いたいとずっと思い続けていましたが、世間の目もあり、朱雀院の元にある彼女に逢うことはさすがにできないままに時を過ごしてきました。ところが、こうして、院の出家により朧月夜が実家で過ごすようになったことから逢いたい気持ちに火がつきました。けれども急に今更色めいた振る舞いもできません。源氏ももう四十歳になっています。そこで恋文と言う風ではなく、一般の御挨拶という体でお手紙を繰り返し差し上げたのでした。そのあたり原文で読みましょう。

  六条の大殿は、あはれに飽かずのみおぼしてやみにし御あたりなれば、年ごろも忘れがたく、いかならむをりに対面あらむ、今一たびあひ見て、その世のことも聞こえまほしくのみおぼしわたるを、かたみに世の聞き耳も憚りたまふべき身のほどに、いとほしげなりし世の騒ぎなどもおぼし出でらるれば、よろづにつつみ過ぐしたまひけるを、かうのどやかになりたまひて、世の中を思ひしづまりたまふらむころほひの御ありさま、いよいよゆかしく心もとなければ、あるまじきこととはおぼしながら、おほかたの御とぶらひにことづけて、あはれなるさまに常に聞こえたまふ。

 朧月夜のほうもおとなの対応で、折々のお返事は差し上げたのでした。そんなお手紙を見るにつけても、以前よりもすっかり整った大人の女になられた彼女の様子がうかがわれて、源氏は次第に逢いたい思いを抑えきれなくなったのでした。そこで朧月夜のお傍に昔からおつかえする中納言という女房(これは以前朧月夜との間を取り持ってくれた人です)その彼女に熱い思いを切々と訴えたのでした。とりあえずは手引きしてくれる女房を自分の味方にするのは常套手段です。原文です。

  若々しかるべき御あはひならねば、御返りも時々につけて聞こえかはしたまふ。昔よりもこよなくうち具し、ととのひ果てにたる御けはひを見たまふにも、なほ忍びがたくて、昔の中納言の君のもとにも、心深きことどもを常にのたまふ。

 さらにその女房の兄の和泉の前の守(さきの、つまり、元和泉の守だったけれど今は失職中)も味方に引き入れて何とかひそかに朧月夜に接近しようとしたのでした。「窮屈な身分なのでとにかく密かに逢えるように取り計らってくれ。お前にとっても良い話だぞ」と失業中の男に守への復帰を匂わせるようなことを言って頼んでいます。このあたりの源氏、ちょっと嫌な奴です。
朧月夜は源氏の意向を受けた和泉の前の守に説得されるのですが「今更そんなことを言われても・・・・誰も知らないことであったとしてもわが心に対して恥ずかしい。絶対むりです」と厳しく拒絶しています。原文で読みましょう。

  かの人の兄なる和泉の前の守を召し寄せて、若々しく、いにしへに返りてかたらひたまふ。「人伝ならで、物越に聞こえ知らすべきことなむある。さりぬべく聞こえなびかして、いみじく忍びて参らむ。今はさやうのありきも所狭き身のほどに、おぼろけならず忍ぶれば、そこにもまた人には漏らしたまはじと思ふに、かたみにうしろやすくなむ」とのたまふ。
尚侍の君、いでや、世の中を思ひ知るにつけても、昔よりつらき御心を、ここら思ひつめつる年ごろの果てに、あはれに悲しき御ことをさし置きて、いかなる昔語りをか聞こえむ、げに人は漏り聞かぬやうありとも、心の問はむこそいとはづかしかるべけれ、とうち嘆きたまひつつ、なほさらにあるまじきよしをのみ聞こゆ。
 
 ところが源氏はそういう朧月夜の返事を受けても、あっさり引き下がるはずはありません。出家なさった院に対しては不実をはたらくことにはなるけれど、今更清廉潔白を装っても過去の行為は取り消せまいと勝手に考えて、そのさきの和泉守を案内役にして昔のように粗末な車でひそかに彼女の元に忍んだのでした。源氏の君の来訪を告げられた朧月夜は「なぜそんなことになるの」と大層驚き、機嫌を悪くするのですが、「このままお帰しするなどということはできません」と中納言は言い、こっそり源氏を中に導いたのでした。多分兄と妹が連携して源氏を朧月夜の近くまで行かせたのでしょうね。原文です。「信田の森」は和泉の歌枕で、ここでは和泉の守のことを指しています。

  いにしへ、わりなかりし世にだに、心を交はしたまはぬことにもあらざりしを。げに、背きたまひぬる御ためうしろめたきやうにはあれど、あらざりしことにもあらねば、今しもけざやかにきよまはりて、立ちにしわが名、今さらに取り返したまふべきにや、とおぼし起こして、この信田の森を道のしるべにて参でたまふ。(略)宵過ぐして、むつましき人の限り四五人ばかり、網代車の、昔おぼえてやつれたるにて出でたまふ。和泉の守して御消息聞こえたまふ。かくわたりおはしましたるよし、ささめき聞こゆれば、おどろきたまひて、「あやしく、いかやうに聞こえたるにか」とむつかりたまへど、「をかしやかにて帰したてまつらむに、いと便なうはべらむ」とて、あながちに思ひめぐらして入れたてまつる。

 源氏が導かれて座ったのは、朧月夜の居る部屋の外側の廂の間、廊下みたいなところですね。ここでは直接彼女に逢ったわけではありません。彼女は部屋の奥に引っ込んでしまっています。ところが源氏が久闊を叙す挨拶のことばを述べた後で、「昔のような不埒な心はもう持っていませんから、もう少しこちらに近いところまでお出ましになって下さい」と懇願すると彼女は嘆きながらも隔ての襖の側までいざりよってきたのでした。そこで源氏はやはり相変わらず腰が軽いなと思ったとあります。この後が気になることろですが、その部分を原文で読んで続きは次回といたしましょう。

  御とぶらひなど聞こえたまひて、「ただここもとに、物越にても。さらに昔のあるまじき心などは、残らずなりにけるを」と、わりなく聞こえたまへば、いたく嘆く嘆くゐざり出でたまへり。さればよ、なほ気近さはと、かつおぼさる。











文:岸本久美子
【引用】新潮日本古典集成より


次回、第四章 通り過ぎた女君たち シリーズ最終話 其の六 右大臣家の娘朧月夜 六「宿の藤波」 2026年3月26日配信です。
YouTube動画中の「源氏物語手鑑」につきまして。和泉市久保惣記念美術館デジタルミュージアム許可のもと引用しています🔗