十三、松風

松風、薄雲

松風

 前回は須磨・明石の不遇時代を経て政界に復帰した源氏が旧に増す力を手にしたことをお話しました。今や光源氏も三十代に入り、堂々たる権勢家です。恰幅もよくなりました。
 絵合わせのあった同じ年、源氏の君は、自宅二条院に東の院という別棟の立派な建物を造営しました。明石で育っている姫と明石君を上京させるためです。前にもお話したように、将来は入内をと考えている大切な娘を明石のような田舎に置いておくわけにはゆきません。
姫が三歳になる年、明石の君は、源氏の君の説得に応じてようやく上京してきました。ただ、他の女君たちと同じ二条院へ住むことは拒み、入道家の領地のあった嵯峨、大堰川の辺に住むことになります。
 明石の君の上京を知った源氏の君は親しい臣下を派遣して歓迎の宴は用意したものの、自身が出かけてゆくことは中々できませんでした。日々多忙な上に共に暮らす紫の上への遠慮もありました。それでもしはらくしてから、何とか口実を設けて、大堰の山荘を訪れたのでした。三年ぶりの再会でした。原文で読みましょう。

  忍びやかに、御前疎きはまぜで、御心づかひしてわたりたまひぬ。たそかれ時におはし着きたり。狩の御衣にやつれたまへりしだに世に知らぬここちせしを、ましてさる御心してひきつくろひたまへる御直衣姿、世になくなまめかしうまばゆきここちすれば、思ひむせべる心の闇も晴るるやうなり。めづらしうあはれにて、若君を見たまふも、いかが浅くおぼされむ。今まで隔てける年月だにあさましく悔しきまで思ほす。(略)うち笑みたる顔の何心なきが、愛敬づき、にほひたるを、いみじうらうたしとおぼす。

 久々にお逢いする源氏の君のお姿はまばゆいほどで、明石の君の、寂しく過ごしてきた日々の辛さも吹き飛んだのでした。そして、源氏は、初めて見る姫の、あまりの可愛らしさに、今日まで逢わずに過ごしたことが悔やまれるのでした。将来はどれほど美しい女になるだろうかと思ったわけです。翌日もう一泊するのですが、明石の君への思いは募り、姫への愛着も増して、別れがたい気持ちです。

  こよなうねびまさりにける容貌けはひ、え思ほし捨つまじう、若君はた、尽きもせずまもられたまふ。いかにせまし、隠ろへたるさまにて生ひ出でむが心苦しうくちをしきを、二条の院にわたして、心のゆく限りもてなさば、後のおぼえも罪まぬかれなむかしと思ほせど、また、思はむこといとほしくて、えうち出でたまはで、涙ぐみて見たまふ。幼きここちにすこしはぢらひたりしが、やうやううちとけて、もの言ひ笑ひなどしてむつれたまふを見るままに、にほひまさりてうつくし。抱きておはするさま、見るかひありて、宿世こよなしと見えたり。

 はじめは人見知りしていた姫も、父である源氏に馴れて、抱っこされています。このまま二条院に連れて帰りたい、と源氏は思いますが、明石君の気持ちを考えるとそう簡単に言い出すことはできません。
二条院に帰ると紫の上がすねています。源氏も結構紫の上には気を遣います。須磨明石の流謫生活の間一人で留守宅を守り抜いた彼女に対して、現地で新たな妻をもうけたことの後ろめたさもあります。
 ところで、紫の上は大の子ども好きなのですが、子どもがありません。源氏の君の中では前から温めていた一つの案がありました。明石の君の産んだ姫を紫の上の養女としてこちらで育てさせようというものです。それによって、姫の身分の問題も解決でき、また紫の上の明石の君への嫉妬心も抑えることができるだろうと言う目論見でした。ただ、明石の君にどう言いだすかという点については悩まずにはいられませんでした。
 やがて季節は移り冬が来て、嵯峨野あたりはいっそう物寂しくなりました。源氏は訪問の度に、明石の君に二条院への移転を勧めますが、彼女はなかなか承諾しません。そこで、せめて姫だけでもと言いつつ、姫を紫の上の養女にする話を切り出します。明石の君は、ある程度予想はしていたのですが、いざとなるとやはり決心をしかねるのでした。この子を手放せば、源氏の君のお通いも途絶えるのではないだろうか、という不安もありました。けれども、母尼君に子どもの出世は母親の身分次第と説得されて、結局は手放す決心をします。それを受けて、冬のある日源氏が姫を迎えに来ました。原文です。
   
  この雪すこし解けてわたりたまへり。例は待ちきこゆるに、さならむとおぼゆることにより、胸うちつぶれて、人やりならずおぼゆ。わが心にこそあらめ、いなびきこえむをしひてやは、あぢきな、とおぼゆれど、軽々しきやうなりと、せめて思ひかへす。いとうつくしげにて、前にゐたまへるを見たまふに、おろかには思ひがたかりける人の宿世かなと思ほす。この春より生ほす御髪、尼そぎのほどにて、ゆらゆらとめでたく、つらつき、まみの薫れるほどなど、言へばさらなり。よそのものに思ひやらむほどの心の闇おしはかりたまふに、いと心苦しければ、うち返しのたまひ明かす。

 いつもならお出でが待たれるのですが、この日は姫を連れにこられるのだと思えば、胸もつぶれる思いの明石の君でした。やはりお断りしようかしらと最後まで迷っています。源氏も姫の愛くるしさを見ればみるほど、この可愛い盛りの娘を手放す明石君の辛さ悲しさを思って、一晩中明石君を慰めます。そして翌朝、姫を乗せて源氏は山荘を出たのでした。二条院へと向かう車の中でも、「とまりつる人の心苦しさを、いかに、罪や得らむ」と寂しく後に残された明石の君のことを思い、罪作りなことをしていると自分の行為を顧みて心を痛めています。源氏と言う人は非常に政治的に物事を判断し行動する人ですが、その反面、人の心の動きに敏感な所もあります。細やかな心配りをする優しい人でもあったのです。
 二条院に連れて来られた明石姫はすぐに紫の上に懐いて、元の母のことは忘れてしまったのでした。姫を抱きまわして一時も放そうとしない紫の上を見て、源氏は、この人の実の子であったらどんなに良かっただろう、世の中はうまく行かないものだと思ったりもしています。
 源氏は明石の君に申し訳ないという思いから、できるだけ頻繁に大堰の山荘を訪問しようとします。明石の君の元へと源氏の君がお出かけになるある日の場面をご紹介しましょう。

  山里のつれづれをも絶えずおぼしやれば、公私もの騒がしきほど過ぐしてわたりたまふとて、常よりことにうちけさうじたまひて、桜の御直衣に、えならぬ御衣ひき重ねて、たきしめ装束きたまひて、まかり申したまふさま、隈なき夕日に、いとどしくきよらに見えたまふを、女君ただならず見たてまつり送りたまふ。姫君は、いはけなく御指貫の裾にかかりてしたひきこえたまふほどに、外にも出でたまひぬべければ、立ちとまりて、いとあはれとおぼしたり。(略)何ごととも聞き分かでざれありきたまふ人を、上はうつくしと見たまへば、遠方人のめざましさも、こよなくおぼしゆるされにたり。

 念入りにおしゃれをして出かけて行く源氏の君を見送る紫の上はちょっと複雑な思いです。姫は父が実の母の元に出かけてゆくのだという事などもちろん知りません。源氏の君の指貫、袴みたいなものですが、その裾にまつわりついたりしてはしゃいでいます。その愛らしい姿を見れば、紫の上の明石君に対する嫉妬心も消えてゆくのでした。「こんな可愛い子を私に託してくれたのだから・・・・・」と。源氏の作戦は見事に成功したわけです。
 当時の読者は、紫の上が明石の君の娘を引き取っていじめるのではないかと密かに期待したのではないでしょうか。なにしろこの頃は継子いじめの物語がとても多かったものですから。そうではなかったことで、安堵しつつも物足りなく思った読者もいたのではないかと思ったりもします。
 さて、こうして紫の上の養女となった明石姫は、すくすくと美しく聡明な女性に育ってゆきます。




文:岸本久美子
【引用】新潮日本古典集成より


次回「薄墨桜」2021年8月20日配信


YouTube動画中の「源氏物語手鑑」につきまして。和泉市久保惣記念美術館デジタルミュージアム許可のもと引用しています🔗