二十三、柏木

柏木、横笛、鈴虫、夕霧

柏木

 強く請われて参上した試楽の日の宴の席上で、源氏の言葉と視線に胸をつらぬかれて寝付いてしまった柏木は、回復の兆しを見ぬままに年が変わりました。源氏の方は実はそれほど柏木を憎んではいないのです。柏木の病状重しと聞いて心配してさえいます。けれども、柏木の方は源氏の君の心情を害してはこの社会で生きてゆくことはできないと思い詰めています。死ぬことによる他には、源氏の君に許していただける術はないとまで思っています。
そして、この今にも最期を迎えようとする命と入れ替わるように生まれてくる命がありました。柏木の子です。原文で読みましょう。

  宮は、この暮れつかたよりなやましうしたまひけるを、その御けしきと見たてまつり知りたる人々騒ぎみちて、大殿にも聞こえたりければ、おどろきてわたりたまへり。御心のうちは、あなくちをしや、思いまずるかたなくて見たてまつらましかば、めづらしくうれしからまし、とおぼせど、人にはけしき漏らさじとおぼせば、験者など召し、御修法はいつとなく不断にせらるれば、僧どものなかに験ある限り皆参りて、加持参り騒ぐ。夜一夜なやみ明かさせたまひて、日さし上がるほどに生まれたまひぬ。男君と聞きたまふに、かく忍びたることの、あやにくにいちじるき顔にてさし出でたまへらむこそ苦しかるべけれ、女こそ、何となくまぎれ、あまたの人の見るものならねばやすけれ、とおぼすに、(略)さてもあやしや、わが世とともに恐ろしと思ひしことの報いなめり、この世にて、かく思ひかけぬことにむかはりぬれば、後の世の罪も、すこし軽みなむや、とおぼす。

 源氏の君には子供があまりありません。正妻葵上の夕霧と明石君の明石姫それからもう一人、藤壺の産んだ秘密の子冷泉帝(今は院)がありますが、こちらは世間では桐壺帝の子ということになっていますから、公には子供は二人だけです。ですから、この晩年になって、身分高き妻 女三宮が自分の子を産んでくれたのだったらどれほど嬉しかっただろうにと思う訳ですが、それは誰にも言えません。あくまでも父親として振舞わねばなりません。男の子と聞いて、柏木に顔が似るのでは、など、さまざまに心配し、自らの過去に対する報いか、と思い、現世でこういう報いをうけたからには来世の罪は軽くなったかもしれないと思ったりもしています。赤子を抱く気にもならず、嬉しそうな顔もうまく作れません。その冷たい態度を宮の周囲は非難します。「こんなに可愛らしい御子をなぜ慈しんで下さらないのかしら」と。それを聞く女三宮は針の筵に座っているような気持ちです。このまま死んでしまいたいとも思い、それもかなわぬなら尼になってしまおうと心に決めたのでした。
 それを聞いた源氏は、口では「とんでもないこと」、ととめつつ内心では、そうなればお世話もしやすくなる、とひそかに思ったりもするのですが、その一方で、改めて見ると、宮のいかにもはかなげで、頼りなげな様子はどんなあやまちも許したくなる愛らしさで、やはり尼にするのはもったいないと思ったりもするのでした。そんな状態の所に、宮が衰弱しておいでと聞いて心配した父朱雀院が、我慢できなくなって、突然やってきたのです。そして、尼にしてくれという宮の涙ながらの訴えを受け入れたのでした。源氏は慌てて止めようとしましたが、あれほど弱々しかった宮がここでは自分の意思を貫いたのでした。その場面少しだけ原文を読みましょう。

  大殿の君、憂しとおぼすかたも忘れてこはいかなるべきことぞと悲しくくちをしければ、え堪へたまはず、内に入りて、「などか、いくばくもはべるまじき身をふり捨てて、かうはおぼしなりにける。なほしばし心をしづめたまひて、御湯参り、ものなどをもきこしめせ。(略)」と聞こえたまへど、頭ふりて、いとつらうのたまふとおぼしたり。つれなくて、うらめしとおぼすこともありけるにやと見たてまつりたまふに、いとほしうあはれなり。とかく聞こえかへさひ、おぼしやすらふほどに、夜明けがたになりぬ。帰り入らむに、道も昼ははしたなかるべしと急がせたまひて、御祈りにさぶらふなかに、やむごとなう尊き限り召し入れて、御髪おろさせたまふ。いと盛りにきよらなる御髪を削ぎ捨てて、忌むこと受けたまふ作法、悲しうくちをしければ、大殿はえ忍びあへたまはず、いみじう泣いたまふ。

 老い先短い私を捨てて行くのかと源氏は泣き縋ったのですが、宮の意志は堅かったのです。父朱雀院も、幸せにしてくれると信じて託した源氏の君だったのにと残念で悲しくてたまらないのですが、迷いながらも結局は娘の願いを聞き届けるしかないと決心したのでした。
三宮の出家を聞いた柏木は完全に生きる意欲を失います。将来は重臣となるはずの優秀な青年柏木の重篤な病状に、両親や周囲の者のみならず、帝までもが心を痛め、昇進の勅を出しました。その祝いを述べに見舞った夕霧に、柏木は遺言のように、源氏との間に行き違いがあって勘気を被っているゆえ、謝って欲しいと言い残します。そして泡が消えるように世を去ったのでした。
一方、尼姿の三宮に源氏は今更のように情愛を感じています。尼そぎの髪も童女のようで魅力的なのでした。生まれた子供はすくすく育っています。原文です。

  弥生になれば、空のけしきもものうららかにて、この君、五十日のほどになりたまひて、いと白ううつくしう、ほどよりはおよすけて、物語などしたまふ。大殿わたりたまひて、「御ここちはさはやかになりたまひにたりや。いでや、いとかひなくもはべるかな。例の御ありさまにて、かく見なしたてまつらましかば、いかにうれしうはべらまし。心憂くおぼし捨てけること」と、涙ぐみて怨みきこえたまふ。日々にわたりたまひて、今しもやむごとなく限りなきさまにもてなしきこえたまふ。

 自分を捨てて出家してしまわれたことを恨み涙ぐむ源氏です。なぜ無理にも引き留めなかったのかと残念でたまらないのです。今になって、毎日、宮の元を訪れて大切にしているとあります。源氏の君はもう四十八歳になっています。生まれてきた子、孫よりも年下の幼子は、柏木亡き今となっては哀れを誘います。この子が光源氏亡き後の世界宇治十帖の主人公となる薫です。五十日の祝い(当時は生まれて五十日目にお祝いをする習慣がありました。五十日をいかと読みます)その祝いの日に薫を抱く源氏の君の姿を原文でご紹介しましょう。

  「あはれ、残り少なき世に生ひ出づべき人にこそ」とて、抱き取りたまへば、いと心やすくうち笑みて、つぶつぶと肥えて白ううつくし。(略)この君、いとあてなるに添へて、愛敬づき、まみのかをりて、笑がちなるをなどを、いとあはれと見たまふ。思ひなしにや、なほいとようおぼえたりかし。ただ今ながら、眼居ののどかにはづかしきさまも、やう離れて、かをりをかしき顔ざまなり。(略)あはれ、はかなかりける人の契りかな、と見たまふに、おほかたの世の定めなさもおぼし続けられて、涙のほろほろとこぼれぬるを、今日は言忌すべき日をとおしのごひ隠したまふ。

 まるまるこえて、色白で愛らしい幼子、抱き上げた源氏に向かってにこにこ笑いかけるその顔は柏木に似ているように思えます。あらためてはかなかった柏木の命を思えば、この世の無常が思われて、めでたい日に不吉な涙は禁物と思いながらも、源氏の君は、あふれる涙をこらえられないのでした。そしてまたあらためて柏木を悼む思いも湧くのでした。「人知れずはかなき形見ばかりをとどめ置きて、さばかり思ひあがり、およすけたりし身を、心もて失ひつるよと、あはれに惜しければ、めざましと思ふ心もひき返し、うち泣かれたまひぬ」とあります。あれほど高い望みを持った立派な男がこんな形見だけを残して、自ら身を滅ぼしたことよと、生意気な奴と腹がたったことも忘れて、柏木をあわれに思ったのでした。
 そして一年が過ぎ、柏木の一周忌を迎え、源氏の君は、柏木の子供の分という気持ちで黄金百両を供養として送り、そうとは知らない父(昔の頭の中将)を恐縮させ、また感動させます。子供、薫は一歳の可愛い盛りを迎え、源氏の君は、この子は自分にも似ているなどと思って可愛がっています。
 翌年の夏、女三宮の持仏の開眼供養が華やかに行われました。源氏の君の肝いりでそれはたいそう行き届いた荘厳なものとなりました。紫の上も準備を手伝ったとあります。
秋には尼宮のおいでになる寝殿の近くの庭に鈴虫をたくさん放って、十五夜の宵には、源氏が虫の音と合奏するように琴をひき、蛍兵部卿や夕霧、冷泉院などもやってきて、そこは風雅で楽しい宴の場となったのでした。
 源氏の君は五十歳になっています。
 今回お話したのは、女三宮と柏木の密会が露顕したことによって、宮は出家し、柏木は死を迎えてということでした。光源氏が光源氏であるならば、つまり、並外れた度量を備えた男であるならば、若い二人の過ちを赦すことができたはずです。「このことは無かったことにしよう、生まれて来る子供は自分の子として育てよう」と言わせることもできたのです。しかし、紫式部にはそんなハッピーエンドを用意するつもりはなかったのでした。源氏は、自分の振舞が結果的に宮の出家と柏木の死を招いたことを心のどこかで感じ、そのことを深く後悔しなければならないのです。
 今日はここまでといたしましょう。









文:岸本久美子
【引用】新潮日本古典集成より


次回最終回「幻」2022年1月21日配信

YouTube動画中の「源氏物語手鑑」につきまして。和泉市久保惣記念美術館デジタルミュージアム許可のもと引用しています🔗