二一、明け暗れ

若菜下

明け暗れ

 源氏の君ももう四十六歳になっています。女三宮の降嫁から六年余りの歳月が流れました。宮の父朱雀院が、死ぬまでに一度会いたいとおっしゃっているという事を聞いた源氏は、この際、院の五十の賀をしようと計画しました。一大イベントであった住吉参詣の済んだ頃のことです。今度はその賀の催しのために、様々な準備が始まりました。お祝いに贈る品々、宴会のお料理、出し物の舞楽を担当する舞人、楽人。そして童舞いをさせる子供たちの選定。さらには、音楽好きな院が宮の琴を聞きたいとおっしゃっているという話も耳に入ったことから、それにも備えることとしました。自分が女三宮を大切にしていることの証しにもなると考えたのです。そこで院に喜んで頂けるようにと、源氏は宮の手をとって、毎晩琴を教え込んだのでした。琴は源氏の君の得意とする琴の琴です。少し原文を読みましょう。対とあるのは紫の上のことです。

  調べことなる手二つ三つ、おもしろき大曲どもの、四季につけて変わるべき響き、空の寒さぬるさをととのへ出でて、やむごとなかるべき手の限りを、取り立てて教へきこえたまふに、心もとなくおはするやうなれど、やうやう心得たまふままに、いとよくなりたまふ。「昼はいと人しげく、なほ一度もゆし按ずるいとまも、心あわたたしければ、夜々なむ、静かにことの心もしめたてまつるべき」とて、対にも、そのころは御暇聞こえたまひて、明け暮れ教へきこえたまふ。

 そうした特訓の甲斐あって宮の琴の腕が上がってきたことから、他の女君たちと女楽の夕べを催そうと源氏の君は考えます。宮にそのことを話している場面を原文でご紹介しましょう。紫の上が宮の琴を聞きたがっていること、六条院の女君たちがそれぞれに優れた腕を持っているということ、宮の琴の腕前も今や相当なものだということなどを語っています。

  「この対に常にゆかしくする御琴の音、いかでかの人々の、筝、琵琶の音も合はせて、女楽こころみさせむ。ただ今のものの上手どもこそ、さらにこのわたりの人々の御心しらひどもにまさらね。(略)琴はた、まして、さらにまねぶ人なくなりにたりとか。この御琴の音ばかりだに伝へたる人、をさをさあらじ」とのたまへば、何心なくうち笑みて、うれしく、かくゆるしたまふほどになりにける、とおぼす。二十一二ばかりになりたまへど、なほいといみじく片なりに、きびはなるここちして、細くあえかにうつくしくのみ見えたまふ。

 宮が相変わらず幼いということも書かれていますね。上達を褒められると単純に喜んでいて子供っぽい感じです。さて、朱雀院の賀は二月十余日と決まり、女楽の夕べは一月二十日ごろに催すことになりました。今の暦でいえば、二月末、早春です。
明石君が琵琶を、紫の上 和琴、明石の女御 筝の琴、女三宮は琴の琴で、春の御殿の寝殿に皆集合しての華やかな催しです。調弦役に、息子夕霧が呼ばれ、その子供たちや玉鬘の子供までも呼ばれて笛を吹きます。美しく装って並んだ妻や娘たちが弾くそれぞれの音色も美しい。春の夕べ、子供たちや孫も揃って、それぞれに楽器を奏で、源氏と夕霧は唄います。なんと晴れやかな、素晴らしい催しでしょう。
この華やかに美しく明るい雰囲気に満ちた女楽の夕べはそのあと暗転してゆく世界を描くための明るさです。
女楽の夜、源氏の君は紫の上の元に泊まり、翌日これまでの人生を振り返って色々な思い出をしみじみと語りました。源氏の心には紫の上賛美の思いがふくらみ、これほど万事に優れた人は短命なのではないかと心配になったほどでした。一方、将来への不安を抱えている紫の上はこの夜、また出家への希望を口にしますが、源氏は紫の上無しでやっていくことはできないのです。言葉をつくして慰めたとありますが、どれほど紫の上の心を理解していたでしょうか。その夜、源氏が女三宮のもとへ去った後、突然紫の上は発病したのです。それを聞き知った源氏の君は慌てて帰って来て、手を尽くしますが、重篤な病状が続きます。二月が過ぎても病状は回復せず、朱雀院の賀は飛んでしまいました。場所を変えれば少しでも良くなるかと、源氏の君は紫の上を六条院から二条院に移し、ずっと付き添ったのでした。
そうして人少なになった六条院に、チャンス到来とばかりに忍び込んだのが柏木でした。小侍従という女房の手引きでした。若い小侍従は柏木の熱心さに、ことの重大さを認識せず、ついつい引き受けてしまったのですね。柏木は蹴鞠の夕べに宮の姿を見てから、後、三宮の腹違いの姉二ノ宮と結婚もしていますが、七年たってもまだ三宮に執着していたのです。頃は四月の半ば、紫の上が倒れてから三ヶ月ほどの時間が過ぎています。すこし長いですが、山場ですから本文を読みましょう。

  いかにいかにと、日々に責められ極じて、さるべきをりうかがひつけて、消息しおこせたり。よろこびながら、いみじくやつれ忍びておはしぬ。まことに、わが心にもいとけしからぬことなれば、気近く、なかなか思ひ乱るることもまさるべきことまでは、思ひも寄らず、ただ、いとほのかに御衣のつまばかりを見たてまつりし春の夕の、飽かず世とともに思ひ出でられたまふ御ありさまを、すこし気近くて見たてまつり、思ふことをも聞こえ知らせては、一行の御返りなどもや見せたまふ、あはれとやおぼし知る、とぞ思ひける。

柏木は、大それたことは考えてはいなかったのです。ただ自分の思いを宮に知ってほしかっただけなのです。ところが、事態は思わぬ方向に展開してしまいました。


  宮は、何心もなく大殿籠りにけるを、近く男のけはひのすれば、院(源氏)のおはするとおぼしたるに、うちかしこまりたるけしき見せて、床の下に抱きおろしたてまつるに、ものにおそはるるかと、せめて見上げたまへれば、あらぬ人なりけり。あやしく聞きも知らぬことどもをぞ聞こゆるや。あさましくむくつけくなりて、人召せど、近くもさぶらはねば、聞きつけて参るもなし。わななきたまふさま、水のやうに汗も流れて、ものもおばえたまはぬけしき、いとあはれにらうたげなり。(略)ただかばかり思ひつめたる片端聞こえ知らせて、なかなかかけかけしきことはなくて止みなむ、と思ひしかど、いとさばかり気高うはづかしげにはあらで、なつかしくらうたげに、やはやはとのみ見えたまふ御けはひの、あてにいみじくおぼゆることぞ、人に似させたまはざりける。さかしく思ひしづむる心も失せて、いづちもいづちも率て隠したてまつりて、わが身も世に経るさまならず、跡絶えて止みなばや、とまで思ひ乱れぬ。

 これまで繰り返し語られてきた宮の幼さ用意のなさがここにきて、重大な事態を引き起こしました。柏木に対して一言も発することができない女三宮の、拒否することさえできない、何事に対してもただ受身であることしかしらない、手ごたえのなさが柏木を誘い込んだのです。
 宮は、こんなことなって源氏の君にどれほど叱られるかと恐ろしくてただ泣いています。明け方が近づいて柏木は一言も口を利かない宮を抱きかかえて表に近い所まで行き、明け方の光で宮の顔を見ようとします。「一言あわれと言って下さい」と柏木が言うと、やっと帰ってくれそうだとほっとして宮はようやく
「明けぐれの空に憂き身はきえななむ夢なりけりと見てもやむべく」
と消え入りそうな声で言ったのでした。明けぐれは夜明け近い、まだ暗い空のことです。夕暮れに対して明けぐれという言葉が使われていました。
 こうして、宮の元を去り、魂を抜かれたようになって帰ってきた柏木の心には長年の望みが叶ったという喜びはなく、源氏に対する畏怖の念だけが膨らみ、「いみじきあやまちしつる身かな」と慄いています。けれども、この後も柏木は宮との密通をやめることはできなかったのです。
 柏木とのことでふさぎこんでいる女三宮の様子を周囲が心配して、源氏の君に知らせたため、心配した源氏が六条院にやってきました。長い間訪れることなく紫の上の病気にかまけていたので、宮が寂しがったり恨んだりしているのだろうと思ったのでした。慰めの言葉を掛ける源氏の前で、宮は一層つらくなり涙ぐむばかりでした。
 この後の展開は次回に回しましょう。








文:岸本久美子
【引用】新潮日本古典集成より


次回「熾火」2021年12月17日配信

YouTube動画中の「源氏物語手鑑」につきまして。和泉市久保惣記念美術館デジタルミュージアム許可のもと引用しています🔗