夕霧三、夢かとおぼえて

藤の裏葉、若菜下、柏木

第3章 脇役の男たち 其の三「夕霧」
三、夢かとおぼえて

 

 

 そして年月は過ぎ、夕霧が十八歳になったころに、長年心に祈っていたことの験があらわれたのか、雲居の雁の父大臣が折れてきました。初夏の夕暮れ、自宅の藤の花の宴に招待する手紙が届けられます。夕霧を招いて娘との結婚を許すためでした。原文です。頭の中将とあるのは雲居の雁の兄、柏木です。

  ここらの年ごろの思ひのしるしにや、かの大臣も、名残なくおぼし弱りて、はかなきついでの、わざとはなく、さすがにつきづきしからむをおぼすに、四月朔日ごろ、御前の藤の花、いとおもしろう咲き乱れて、世の常の色ならず、ただに見過ぐさむこと惜しき盛りなるに、遊びなどしたまひて、暮れゆくほどのいとど色まされるに、頭の中将(柏木)して、御消息あり。「一日の花の蔭の対面の、飽かずおぼえはべりしを、御暇あらば、立ち寄りたまひなむや」とあり。

 夕霧が父に相談すると、「それは意味のあるお招きだから盛装して行きなさい」と素晴らしく見事な衣裳を用意して息子を送り出したのでした。内大臣邸に着くと息子たちが揃って出迎え、見事な藤の花の元で華やかな宴が繰り広げられたのでした。そして、夜も更けた頃、「すっかり酔ってしまって帰れそうもありません。今夜は泊まらせてください」という夕霧を、柏木が雲居の雁の部屋に導いたのでした。原文で読みましょう。

  やうやう夜ふけゆくほどに、いたうそらなやみして「みだりごこちいと堪へがたうて、まかでむ空もほとほとしうこそはべりぬべけれ。宿直所ゆづりたまひてむや」と、中将(柏木)に愁へたまふ。(略)中将は、心のうちに、ねたのわざやと思ふところあれど、人ざまの思ふさまにめでたきに、かうもあり果てなむと、心寄せわたることなれば、うしろやすく導きつ。男君は、夢かとおぼえたまふにも、わが身いとどいつかしうぞおぼえたまひけむかし。女はいとはづかしと思ひしみてものしたまふも、ねびまされる御ありさま、いとど飽かぬところなくめやすし。

 こうして六年ぶりに二人は逢ったのでした。すっかりおとなびて美しくなった雲居の雁の姿に夕霧は感激、逢えなかった長い時間は一瞬のうちに消えて二人は一夜を過ごしたのでした。こうして、夕霧は大臣邸に婿として通うようになりました。位も中納言となり、大臣も立派な婿として満足しています。
 始めは大臣邸への通い婚でしたが、やがて二人の家を構えることになりました。二人の新居は彼らの育った祖父母の邸三条殿です。すでに祖父母は亡くなっていますが、二人にとっては思い出深い邸宅です。昔小さかった木も今では大きな枝を伸ばしています。お庭の荒れていたところなどは手入れしてすっかり綺麗になりました。秋のある日の夕暮れ、二人が庭を見ながら、幼かったころの思い出話をしたりしている所に父大臣、おとど、がやって来ます。原文です。

  御勢まさりて、かかる御住まひも所狭ければ、三条殿にわたりたまひぬ。すこし荒れにたるをいとめでたく修理しなして、宮のおはしまししかたを改めしつらひて住みたまふ。昔おぼえて、あはれに思ふさまなる御住ひなり。前栽どもなど、小さき木どもなりしも、いとしげき蔭となり、一叢薄も心にまかせて乱れたりける、つくろはせたまふ。遣水の水草も掻きあらためて、いと心ゆきたるけしきなり。をかしき夕暮のほどを、二所ながめたまひて、あさましかりし世の御をさなさの物語などしたまふに、恋しきことも多く、人の思ひけむこともはづかしう、女君はおぼし出づ。(略)大臣、内裏よりまかでたまひけるを、紅葉の色におどろかされてわたりたまへり。
 昔おはさひし御ありさまにも、をさをさ変わることなく、あたりあたりおとなしくて住まひたまへるさま、はなやかなるを見たまふにつけても、いとものあはれにおぼさる。

 大臣は昔自分の両親がお過ごしになっていたころと変わらぬ邸に、今は娘夫婦が幸せそうに暮らしている姿を見てしみじみした思いです。
ここで夫婦は幸せな新家庭を営みます。次々と子宝にも恵まれ、夕霧の昇進も順調で、二十五歳ころには大納言と左大将を兼ねるまでになっています。彼の能力にもよるのでしょうが、准太上天皇という高い地位に昇った父の威光もあったことでしょう。
 その頃のある夜、父が開催した女楽の夕べに、夕霧も呼ばれて、子どもたちもひきつれて参加しました。夕霧は琴の調弦、子どもたちは笛で合奏したりする役割をおおせつかったのです。紫の上はじめ、源氏の女君たち、この時は紫の上・女三宮・明石君・明石姫(女御)の四人がそれぞれに琴や琵琶を演奏することになっていました。御簾の向こうの彼女たちの姿は主の源氏以外は見ることができませんが、御簾の内側から、夕霧たちの姿は女君たちに見られます。ですから、夕霧のこの時の気合のいれようは並々ではありません。何しろ紫の上様が自分の姿を御覧になるのかもしれないのですから。緊張して、精一杯に着飾ってやってきました。原文です。大将が夕霧です。

  大将、いといたく心懸想して御前のことことしく、うるはしき御こころみあらむよりも、今日の心づかひは、ことにまさりておぼえたまへば、あざやかなる御直衣、香にしみたる御衣ども、袖いたくたきしめて、引きつくろひて参りたまふほど、暮れはてにけり。

 この後、華やかな女楽の夕べが繰り広げられ、夕霧はそれぞれの女君の奏でる楽の音に耳を傾けつつお姿を想像します。父源氏の君とも語り合ったりして、夜ふけて帰途につきました。それぞれに美しい音色であったけれども・・・夕霧の耳には紫の上の弾いた和琴と筝の琴の音色が残っています。
 華やかで優雅な催し、生活感のしない六条院の美の世界に浸っての帰り道、我が家のことを思います。妻雲居の雁は子どもたちの世話で音楽どころではない、そもそも、大宮と早くに引き離されたので、きちんと習ったこともないのかもしれない、夕霧の前で琴を弾いたことなどないのでした。原文です。

  大将殿(夕霧)は、君達を御車に乗せて、月の澄めるにまかでたまふ。道すがら、筝の琴のかはりていみじかりつる音も、耳につきて恋しくおぼえたまふ。わが北の方は、故大宮の教へきこえたまひしかど、心にもしめたまはざりしほどに、別れたてまつりたひにしかば、ゆるるかにも弾き取りたまはで、男君の御前にては、恥ぢてさらに弾きたまはず、何ごともただおいらかに、うちおほどきたるさまして、子どもあつかひを、暇なく次々したまへば、をかしきところもなくおぼゆ。さすがに腹あしくて、もの妬みうちしたる、愛敬づきて、うつくしき人ざまにぞものしたまふめる。

 雅な世界とは程遠い妻ではあるけれど、おおらかでおっとりしていて、そのくせ時々焼きもちを焼いたりするところなんかは可愛いなあなどと思っています。
 さて、この女楽の夕べの後、紫の上は病の床に倒れ、源氏はその看病に明け暮れることとなります。その隙に柏木が源氏の幼な妻女三宮と密通するという事件が起こりました。夕霧は勿論そのことは知りません。ただ、そのことが原因で柏木は倒れます。
 夕霧と柏木はいとこ同士で親友、父光源氏と頭中将の間柄と同じ、その妹を妻としている点も同じです。ただ、柏木の巻でもお話したように、父たちのような対抗心、競争心はこの二人にはありません。夕霧は柏木の病気にずっと心を痛めています。そして、重態の柏木を見舞った時、夕霧は柏木から二つの事を頼まれます。一つは光源氏の自分に対する怒りがとけるようにとりなしてくれということ、もう一つは幸せにすることの出来なかった妻、女二宮を支えてやって欲しいということでした。原文です。

  大将の君、常にいと深う思ひ嘆き、とぶらひきこえたまふ。(略)「ことのついではべらば、御耳とどめて、よろしうあきらめ申させたまへ。亡からむうしろにも、この勘事許されたらむなむ、御徳にはべるべき」(略)「このことはさらに御心より漏らしたまふまじ。さるべきついではべらむをりには、御用意加えたまへとて、聞こえおくになむ。一条にものしたまふ宮、ことに触れてとぶらひきこえたまへ。心苦しきさまにて院(朱雀院)などにも聞こしめしたまはむを、つくろひたまへ」などのたまふ。言はまほしきことは多かるべけれど、ここちせむかたなくなりにければ、「出でさせたまひね」と、手かききこえたまふ。加持参る僧ども近う参り、上、大臣などおはし集まりて、人人も立ち騒げば、泣く泣く出でたまひぬ。

 こうして柏木は亡くなってしまいました。律儀な夕霧のことですから、柏木亡きあとでは、彼の言い残した二つの事を実行に移します。父には折を見て、それとなく柏木の言葉を伝えました。そして、宮が母御息所と寂しく暮らす一条の邸には、まめに足を運んで二人を慰めます。夕霧の心遣いに感謝して、相手をするのは主に母の御息所です。
 静かで雅な雰囲気の未亡人の邸に足を運ぶ回数を重ねるうちに、夕霧は次第に未亡人女二宮に興味を持ち始めたのでした。さあこの後の展開は次回に譲りましょう。
















文:岸本久美子
【引用】新潮日本古典集成より


次回2023年7月27日(木)夕霧四「想夫恋を弾きたまふ」をお送りします。 
YouTube動画中の「源氏物語手鑑」につきまして。和泉市久保惣記念美術館デジタルミュージアム許可のもと引用しています🔗