二十四、幻(最終回)

御法、幻

 女楽の夕べの翌日病に倒れた紫の上は重篤な状態が続いた後、いったんは回復しましたが、完全に健康を取り戻すことはありませんでした。源氏の君は次第に弱々しくなってゆく紫の上のことが心配でなりません。紫の上も四十三歳になっています。原文を読みましょう。

  紫の上、いたうわづらひたまひし御ここちののち、いとあつしくなりたまひて、そこはかとなくなやみわたりたまふこと久しくなりぬ。いとおどろおどろしうはあらねど、年月重なれば、たのもしげなく、いとどあえかになりまさりたまへるを、院の思ほし嘆くこと限りなし。しばしにても後れきこえたまはむことをば、いみじかるべくおぼし、みづからの御ここちには、この世に飽かぬことなく、うしろめたきほだしだにまじらぬ御身なれば、あながちにかけとどめまほしき御命ともおぼされぬを、年ごろの御契りかけ離れ、思ひ嘆かせたてまつらむことのみぞ、人知れぬ御心のうちにも、ものあはれにおぼされける。

 最期の近いことを知る紫の上の心を占めていたのは、自分が死んだ後の源氏の君のことでした。自分の命が尽きることには未練はありませんでしたが、源氏の君がどれほどお嘆きになるかと思うと辛くて仕方がないのでした。夏の苦手な紫の上はこの年の暑さにすっかり弱ってしまい、心配した明石中宮は退出して、お側に付き添っています。その夏をなんとかやり過ごし、秋風の立つ頃には紫の上も少し元気を取り戻しました。中宮と語り合っている所に源氏の君がやってきました。その場面原文を読みましょう。院とあるのが源氏です。

  風すごく吹き出でたる夕暮に、前栽見たまふとて、脇息によりゐたまへるを、院わたりて見たてまつりたまひて、「今日は、いとよく起きゐたまふめるは。この御前にては、こよなく御心もはればれしげなめりかし」と聞こえたまふ。かばかりの隙あるも、いとうれしと思ひきこえたまへる御けしきを見たまふも、心苦しく、つひにいかにおぼし騒がむ、と思ふに、あはれなれば 
おくと見るほどぞはかなきともすれば
風に乱るる萩のうは露 

 「今日は起きているのか」とお喜びになる源氏の君の姿に、紫の上は心を痛め、「自分の今の状態はまやかしで、私の命は今起きているからといって、いつ消えるかわからない儚い露のようなものなのですよ」と歌を詠みかけています。それに対して源氏と中宮も歌を詠み、三人で唱和したすぐ後で紫の上は具合が悪くなり意識が無くなってしまいます。そしてそのまま源氏の君と明石中宮に見守られて息を引き取ったのでした。悲しみに暮れ惑う源氏でしたが、気力を振り絞って葬送の手はずを整えるしかないのでした。原文です。

  つかうまつり馴れたる女房などの、ものおぼゆるもなければ、院ぞ、何ごともおぼしわかれずおぼさるる御ここちを、あながちにしづめたまひて、限りの御ことどもしたまふ。いにしへも、悲しとおぼすことあまた見たまひし御身なれど、いとかうおり立ちてはまだ知りたまはざりけることを、すべて来し方行く先、たぐひなきここちしたまふ。

 これまでも、悲しい目に何度もあって来たけれど、これほどの悲しみはこれまでに経験したことがなかったと書かれています。亡き骸となっても変わらず美しい紫の上をそのままにしておきたいけれど、そうも行かず、荼毘に付す日を迎えます。葬儀の場面を原文で少しだけ読みましょう。

  はるばると広き野の、所もなく立ち込みて、限りなくいかめしき作法なれど、いとはかなき煙にて、はかなくのぼりたまひぬるも、例のことなれどあへなくいみじ。(源氏の君は)空を歩むここちして、人にかかりてぞおはしましけるを、見たてまつる人も、さばかりいつかしき御身をと、ものの心知らぬ下衆さへ、泣かぬなかりけり。

 葬送の場で、源氏の君が自分で歩くこともできず、人に支えられておいでなのを見て、あのご立派な方が、とその場のものはみな涙を流したとあります。源氏はもう何も心残りもなくいますぐにも出家したいと思いますが、このような悲しみに惑乱した状態では仏道の修行もままなるまいと思い、また、愛する人を失ったからという理由で出家したというのも女々しいことだとためらいます。
 季節は移り、秋から冬、春が来ても、春の光の明るさは春を愛した紫の上を思い出させるばかりで、源氏の悲しみは一層深まるのでした。息子夕霧や娘明石中宮も共に悲しみ、慰めてはくれるけれど、二人とも紫の上の血を分けた子ではない。自分の悲しみを本当に分け持ってくれる者はないという思いばかりが強まります。人前には一切出ず、年賀の客にあうこともしません。他の夫人たちの元を訪れる気にもなれず、かつては寵愛して、折々は枕を共にした女房たちとも今は距離を置き、数人をはべらせて、紫の上の思い出話などして過ごすのでした。今更ながら紫の上一人にこころを傾けているわけです。そんな中で後悔の念が次々に源氏の君を襲うのでした。原文でご紹介しましょう。

  つれづれなるままに、いにしへの物語などしたまふをりをりもあり。名残なき御聖心の深くなりゆくにつけても、さしもあり果つまじかりけることにつけつつ、中ごろものうらめしうおぼしたるけしきの、時々見えたまひしなどをおぼし出づるに、などて、たはぶれにても、またまめやかに心苦しきことにつけても、さやうなる心を見えたてまつりけむ、何ごとにもらうらうじくおはせし御心ばへなりしかば、人の深き心もいとよう見知りたまひながら、怨じ果てたまふことはなかりしかど、一わたりづつは、いかならむとすらむとおぼしたりしに、すこしにても心を乱りたまひけむことのいとほしくくやしうおぼえたまふさま、胸よりもあまるここちしたまふ。

 あの時も、そして、あの時もなぜ紫の上を悲しませるようなことをしたのだろうか。怨み言をいいつのるようなことはなかったけれど、心のうちでは恨んだり悲しんだり、不安に思ったりしていたのだろうと申し訳ない思いが胸に溢れるのでした。特に悔やまれるのは、晩年になって、女三宮と結婚したことでした。三日目の雪の朝、夜明け前に戻って来た源氏を涙に濡れた袖を隠して迎えた紫の上の姿が蘇ります。あの日の朝と同じように女房たちが「随分たくさん雪が積もったこと」と言うのが聞こえてくると、あの時に戻ったような気がするけれど、隣に紫の上はいないのです。原文を読みましょう。

   入道の宮わたり始めたまへりしほど、そのをりはしも、色にはさらに出だしたまはざりしかど、ことにふれつつ、あぢきなのわざやと、思ひたまへりしけしきのあはれなりしなかにも、雪降りたりし暁に立ちやすらひて、わが身も冷え入るやうにおぼえて、空のけしきはげしかりしに、いとなつかしうおいらかなるものから、袖のいたく泣き濡らしたまへりけるをひき隠して、せめてまぎらはしたまへりしほどの用意などを、夜もすがら、夢にても、またはいかならむ世にかとおぼし続けらる。曙にしも、曹司におるる女房なるべし、「いみじうも積もりにける雪かな」と言ふを聞きつけたまへる、ただそのをりのここちするに、御かたはらのさびしきもいふかたなく悲し。
    憂き世にはゆき消えなむと思ひつつ
思ひのほかになほぞほどふる
 
 寂しさが胸を衝き上げて、「自分ももう死んでしまいたいと思うけれど、思いのほかにこうして生きていることだ」と一人歌を口ずさむのでした。
 鶯・桜・霞・雁・衣更え・五月雨・時鳥・蛍・たなばた・菊・時雨・雪と自然の風物、人事は例年通りに移ろってゆきます。その中で源氏はただひしひしと紫の上の不在を感じるばかりでした。例年の行事、季節のめぐりが、例年と同じであればあるほど、共にあった人の不在をくっきり感じてしまうということを、紫式部も実感したことが何度かあったのでしょう。

 源氏を気遣って見舞いに参上する方たちは多かったのですが、見苦しい姿は見せたくないという気持ちから、親しくない人には全く会おうともしないのでした。
 明石の君は紫の上についで心通う方だったのでしょう。さびしくてたまらないときは明石を訪ねたと書かれています。それでももう泊まって行かれることはないのでした。

 源氏が、空をわたりゆく雁、ここは秋ですから渡ってくる雁ですね。常世(不老不死)の国あるいはあの世からの使いともいわれた雁、をみて詠んだのはこんな歌です。
大空をかよふ幻夢にだに
見えこぬ魂の行方たづねよ
 幻とは幻術師つまり魔法使いみたいな人のことで、「夢にさえ現れないあの人の魂の行方を捜しておくれ」といった意味の歌ですが、この歌は、かつて、源氏の君の父桐壺帝が愛する更衣を失った時に詠んだ歌
尋ねゆく幻もがなつてにても
魂のありかをそこと知るべく
 と非常によく似ているのです。そしてこれは、どちらの歌も、長恨歌にある、玄宗皇帝が亡き楊貴妃の魂を幻術師に探させたという話を踏まえた歌なのです。
 源氏物語が長恨歌に出発し同じそこに幕を閉じるというのは明らかに紫式部の意識したことでしょう。
その年が暮れて、いよいよ源氏は具体的に出家の準備に入ります。大切に取っておいた紫の上からの、あるいは他の女君からの手紙など後に残したくないものを処分します。
 年末、これが最後と、御仏名という仏事を盛大に行いました。原文を読みましょう。

  その日ぞ出でゐたまへる。御容貌、昔の御光にもまた多く添ひて、ありがたくめでたく見えたまふを、この古りぬる齢の僧はあいなう涙もとどめざりけり。年暮れぬとおぼすも心細きに、若宮の、「儺やらはむに、音高かるべきこと、何わざをせむ」と、走りありきたまふも、をかしき御ありさまを見ざらむことと、よろづに忍びがたし。
もの思ふと過ぐる月日も知らぬまに
    年もわが世もけふや尽きぬる
ついたちのほどのこと、常よりことなるべくと、おきてさせたまふ。親王たち大臣の引出物、品々の禄どもなど、二なうおぼしまうけてとぞ。

 この日初めて源氏の君は御簾の外に出て、人々の前に姿を見せたのでした。そのかわらぬ美しさに招かれていた老僧、この人は源氏の君が近々出家なさることを知っています、だからこそ、その一層美しさを増した御姿に涙が止まらなかったのでした。源氏はこうして丁寧に新年を迎える準備を整えて、年明けには出家の本意を遂げるつもりです。六条院を去る決意の源氏の目に、可愛らしい孫が走り回る姿がうつり、この子とも逢えなくなるのかとそれだけは悲しいのでした。

 源氏の君はここで物語から姿を消します。次に源氏の君の名が物語に出てくるときはすでに亡き人として語られます。その後の消息としては、出家して嵯峨野に住みニ三年後に亡くなったということが宿木の巻で薫の回想として語られます。

 光源氏の誕生から死までを見てきました。
 昔物語の主人公の定石に従って、いったんは困難な状況のもとに地方を流離い、やがて、戻ってきて倍旧の力を手に入れる。若い頃の傲慢そのものであった彼。
 情熱に任せて行動することは出来なくなった中年の彼。
 そして若い妻を若者に奪われて老いを実感する彼。
 最後に最愛の人を亡くしてもはや生きてゆく気力も失う彼。

 あれほどの美貌と才知に恵まれた男でさえ老いによって生気を奪われ、死へと向かわざるを得なかったというこのことは、紫式部のもっていたニヒリスティックな人生観を感じさせますし、また大いなる真実でもあるのでしょう。光源氏の生涯は私たちに誰も避けることの出来ない「老いと悔い」を突きつけているように私には思えてなりません。

 24回にわたった講座もこれで終わりとなりました。一年に亘った講座をお聞き下さった皆様ありがとうございました。









文:岸本久美子
【引用】新潮日本古典集成より


講座「紫のゆかりを尋ねて」2022年2月3日より第1回配信

YouTube動画中の「源氏物語手鑑」につきまして。和泉市久保惣記念美術館デジタルミュージアム許可のもと引用しています🔗