朱雀院五、もの心細く

藤の裏葉、若菜上

第3章 脇役に徹した男朱雀院 其の五「もの心細く」

 

  

 この朱雀院御幸の翌年、源氏がかねてから造営中だった六条院が完成しました。誰しもあこがれるような、四季の庭を備えた広大かつ豪勢な邸宅です。光源氏の勢力の証ともいえるこの邸宅のことは京でもおそらく大変な評判だったことと思われ、当然朱雀院の耳にも入ったことでしょう。その六条院完成の四年後のことです。朱雀院、冷泉帝おふたりそろっての六条院への行幸がありました。院と帝がおそろいでの行幸など滅多にあることではありません。世の人も驚きまた、お迎えする源氏のほうも大層名誉なこととして、有り余る財力と権力にものを言わせて最高のおもてなしをしたのでした。原文で読みましょう。

  神無月の二十日あまりのほどに、六条院に行幸あり。紅葉の盛りにて、興あるべきたびの行幸なるに、朱雀院にも御消息ありて、院さへわたりおはしますべければ、世にめづらしくありがたきことにて、世人も心おどろかす。あるじの院がた(源氏)も、御心を尽くし、目もあやなる御心まうけをせさせたまふ。

 どんなふうなおもてなしだったかというと、例えば、通り道の渡り廊下には錦を敷き、通りすがりに見える池には鵜飼船を浮かべて鵜を放ち鵜飼の様子を御覧いただいたりしたのです。御馳走も大変なものだったでしょうね。調味料もあまりないし、まあ現代のようなわけにはいきませんが。お料理は詳しくは書かれていませんが、池の魚や嵯峨野で取ってきた鳥を調理して差し上げたとあります。もちろんお酒も出て、宴たけなわという頃合いでそれぞれの前に色々な琴などが運ばれ演奏が始まります。この頃の貴族はみな楽器をたしなみ、琵琶や琴、笛などを楽しんだのですね。ここでは演奏の合間に朱雀院と冷泉帝が歌を詠み交わしています。原文を読みましょう。宇多の法師とあるのは累代天皇家に伝わる和琴の名器です。

  ものの興切なるほどに、御前(ごぜん)に皆御琴ども参れり。宇多の法師のかはらぬ声も、朱雀院は、いとめづらしくあはれに聞こしめす。
   秋をへて時雨ふりぬる里人もかかる紅葉のをりをこそ見ね
  うらめしげにぞおぼしたるや。帝、
   世の常の紅葉と見るやいにしへのためしにひける庭の錦を
と聞こえ知らせたまふ。

 朱雀院の歌は「ふりぬる」が、「時雨が降る」と「自分が古くなる」の掛詞になっています。何年もの秋を経てすっかり年老いた里人の私もこのような見事な紅葉は見たことが有りません。私の時代にはこんな華やかな催しはありませんでした。といった意味合いで、この日の源氏のもてなしに謝意を表しつつちょっとうらやましさをのぞかせています。これに対して冷泉帝は慰めるように、いえいえ今日の紅葉は特別なのです。かつての桐壺帝の時代の紅葉の賀に倣ったものなのですからと歌を返しています。
 この六条院訪問で朱雀は源氏がどれほどの力をもっているかを見せつけられた思いでした。やはり、自分にはとても及びもつかない存在だった。これまでも、この義理の弟に勝てると思ったことはなかったけれど・・・・ずっとそばにいる朧月夜の心さえ完全にわがものとすることはできなかった・・・朱雀は例によって「しほたれた」のでした。そして自分では意識していなかったかもしれませんが、この訪問で彼は心のどこか深いところに傷を負い、やがてその傷は次第に体をもむしばんだのでした。そして彼は本気で出家を考えるようになりました。原文です。

  朱雀院の帝、ありし御幸ののち、そのころほひより、例ならずなやみわたらせたまふ。もとよりあつしくおはしますうちに、このたびはもの心細くおぼしめされて、年ごろ行ひの本意深きを、后の宮おはしましつるほどは、よろず憚りきこえさせたまひて、今までおぼしとどこほりつるを、なほそのかたにもよほすにやあらむ、世に久しかるまじきここちなむする、などのたまはせて、さるべき御心まうけなどせさせたまふ。

 母弘徽殿太后が御存命の間は遠慮して先延ばしにしてきた出家でしたが、母亡き今は一刻も早く思いを遂げたい。ところが、出家するにあたっては、もう一つ大きな障害がありました。鍾愛する娘女三宮のことでした。その、母親もすでに世になく、後見する有力者もない娘のことが気がかりで出家を決行することができないのでした。誰か安心してこの娘をゆだねられる男はいないか。乳母や息子の東宮にも相談し、あれこれと長い間悩み続けるのでした。原文です。

  その御腹の女三の宮を、あまたの御なかにすぐれてかなしきものに思ひかしづききこえたまふ。そのほど御年十三四ばかりおはす。今はと背き捨て、山籠りしなむ後の世にたちとまりて、誰を頼む蔭にてものしたまはむとすらむと、ただこの御ことをうしろめたくおぼし嘆く。

 一三四歳の娘は年齢以上に幼く、とても一人前の女とは言えないことを父親朱雀は知っています。年齢的には源氏の息子夕霧や、太政大臣家の長男柏木などが釣り合う。しかし、朱雀はそういう若い男に娘を託す気にはなれないのでした。夕霧は結婚したばかりで、ちょっと難しいかもしれないけれど、柏木の方は、身分高い妻を持ちたいという思いから、いまだに独身です。そこで、柏木は女三宮を強く希望し、叔母である朧月夜にも頼んで、朱雀院に思いを伝えたのです。柏木は勢いのある大臣家の長男で将来性のある青年です。ちょうど似合いの相手ではありませんか。
 しかし、それにも拘らず、院が堂々巡りの果てにたどり着くのはやはり源氏しか娘を託せる男はいないという結論でした。なにしろ彼はもし自分が女だったら、たとえ義理の兄弟であったとしても源氏と結婚したかったとかつてつぶやいていたくらいですから。しかし、そのことをどうやって源氏に伝えたらよかろうかと次は悩みます。
 ちょうどその頃、夕霧が源氏の代理で朱雀院を見舞います。院は、まず夕霧に向かって彼の父である源氏を称えます。自分が父桐壺院の遺言を守れず、一時期源氏を流謫の身としてしまったにもかかわらずそのことを恨むそぶりもお見せにならない。普通の人にはできないことだ、と。原文です。中納言とあるのが夕霧です。

  中納言の君(夕霧)参りたまへるを、御簾のうちに召し入れて、御物語こまやかなり。「故院の上の今はのきざみに、あまたの御遺言ありしなかに、この院(源氏)の御こと、今の内裏(冷泉帝)の御ことなむ、取り分きてのたまひ置きしを、おほやけとなりて、こと限りありければ、うちうちの心寄せは変はらずながら、はかなきことのあやまりに、心おかれたてまつることもありけむと思ふを、年ごろことに触れて、その恨み残したまへるけしきをなむ漏らしたまはぬ。」
 そして続けて色々昔の思い出話もしたいので是非直接お会いしたいと夕霧に伝言を言づけたのでした。原文です。

「この秋の行幸ののち、いにしへのこととり添へて、ゆかしくおぼつかなくなむおぼえたまふ。対面にきこゆべきことどもはべり。かならずみづからとぶらひものしたまふべきよし、もよほし申したまへ」など、うちしほたれつつのたまはす。

 またうちしほたれておいでなのでした。この伝言を聞いて源氏は朱雀院から娘女三宮のことを相談されるのだろうと予測したのでした。ただ自分が引き受けることになるとは思っていなかったのではないでしょうか。今回はここまでです。









文:岸本久美子
【引用】新潮日本古典集成より


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YouTube動画中の「源氏物語手鑑」につきまして。和泉市久保惣記念美術館デジタルミュージアム許可のもと引用しています🔗