六、胸つぶれて

若菜下

光源氏に憧れ続けた男 柏木
六、胸つぶれて

 

 怖れと不安に苛まれる柏木はずっと引きこもったまま日々を過ごしています。源氏の君も、さすがに、これまでのようにわだかまりなく彼に声をかけることはできなくなってしまいました。これまでは、柏木は六条院での催しには必ず呼ばれて音楽のことは勿論それ以外のあれこれも源氏から相談を受けるのが常だったのです。また、源氏を慕っている柏木は、親友夕霧が居ることもあって、お呼びがなくともしょっちゅう六条院に出入りしていました。それがぱったり姿をみせなくなったことで、世間の人はどう思っていることかと源氏はちょっと気にしていました。朱雀院の賀が十二月十余日と決まり、その試楽、リハーサルが六条院で行われることになり、さすがに柏木を呼ばないわけには行かぬと判断した源氏は声をかけました。原文で読みましょう。

  衛門の督をかかることのをりにもまじらはせざらむは、いと栄なくさうざうしかるべきうちに、人あやしとかたぶきぬべきことなれば、参りたまふべきよしありけるを、重くわづらふよし申して参らず。さるは、そこはかと苦しげなる病にもあらざなるを、思ふ心のあるにやと、心苦しくおぼして、取り分きて御消息つかはす。父大臣も「などか返さひ申されける。ひがひがしきやうに、院にも聞こしめさむを、おどろおどろしき病にもあらず、助けて参りたまへ」とそそのかしたまふに、かく重ねてのたまへれば、苦しと思ふ思ふ参りぬ。
 
 初めは病気を口実に断ったのですが、源氏からは重ねての要請があり、父大臣にもたいした病気でもないのだから、無理してでも行きなさいと言われて、柏木は怯える心を励まして、久々に六条院に参上したのでした。源氏の君に合わせる顔がない、どんなお咎めがあろうかと怯えながら行った柏木でしたが、源氏の君はなんのこだわりもない風で、ごく普通に話しかけて来られます。けれど、どうお返事したらよいものか柏木はやはり顔をあげて源氏と目をあわせることはできないのでした。原文で読みましょう。

  まだ上達部などもつどひたまはぬほどなりけり。例の気近き御簾のうちに入れたまひて、母屋の御簾おろしておはします。(略)さりげなく、いとなつかしく、「そのこととなくて、対面もいと久しくなりにけり(略)拍子ととのへむこと、また誰にかはと思ひめぐらしかねてなむ、月ごろとぶらひものしたまはぬ恨みも捨ててける」とのたまふ御けしきの、うらなきやうなるものから、いとはづかしきに、顔の色違ふらむとおぼえて、御いらへもとみに聞こえず。

 源氏は、柏木のすっかり痩せて青白くなって一層高貴な雰囲気をただよわせている姿を見て、複雑な思いですが、さりげなく話しかけます。「このところ御無沙汰だったね。でも今日の試楽の音合わせにはどうしても君に来てもらいたくてね。それから、子供たちの舞の指導を夕霧と一緒にやってほしいのだ」と。柏木は、しばらく間をおいてから、病気のためしばらく無沙汰をしてしまったこと、今回は院の御賀の試楽ということなので、病をおして参上したというようなことをお答えしたのでした。やがて人々が集まり、試楽が始まりました。楽人もそろい、賑やかに子どもも大人も舞っています。そうこうするうちに日がおち、やがて酒宴が始まります。宴席で源氏は柏木にこんなことを言ったのです。原文です。

  主人の院「過ぐる齢に添へては、酔い泣きこそとどめがたきわざなりけれ。衛門の督心とどめてほほゑまるる、いと心はづかしや。さりとも今しばしならむ、さかさまに行かぬ年月よ。老いはえのがれぬわざなり」とてうち見やりたまふに、人よりけにまめだち屈じて、まことにここちもいとなやましければ、いみじきことも目もとまらぬここちする人をしも、さしわきて、空酔いをしつつかくのたまふ。たはぶれのやうなれど、いとど胸つぶれて、盃のめぐり来るも頭いたくおぼゆれば、けしきばかりにてまぎらはすを、御覧じとがめて、持たせながらたびたび強ひたまへば、はしたなくて、もてわづらふさま、なべての人に似ずをかし。

 「さかさまに行かぬ年月よ。老いはえのがれぬわざなり。」・・・お前さんもいつかは年取るんだよ・・・とこう言って、柏木の顔をじっと見つめたのです。他の人にはわからなくても、この言葉が自分の犯した罪を責めていることが柏木にははっきりわかりました。「当然のことながら、やはり源氏の君は自分を許す気などおありではないのだ・・・・。」柏木は胸のつぶれる思い、とてもお酒など飲む気にはなれず、また実際気分も悪く、回ってくる盃をやり過ごしていたのですが、そんな柏木に、源氏は無理にお酒を飲ませるのでした。そのうちに柏木は次第に具合が悪くなって、宴半ばにして這うようにして退出したのでした。原文です。


ここちかき乱りて堪へがたければ、まだことも果てぬにまかでたまひぬるままに
いといたくまどひて、例のいとおどろおどろしき酔いにもあらぬを、いかなればかかるならむ、つつましとものを思ひつるに、気ののぼりぬるにや、いとさいふばかり臆すべき心弱さとはおぼえぬを言ふかひなくもありけるかな、とみづから思ひ知らる。しばしの酔ひのまどひにもあらざりけり。やがていといたくわづらひたまふ。

 そして、この後、そのまま寝付いてしまったのでした。柏木の病状は重く、両親は心配して、彼を妻、女二宮の元から引き離して、自分たちの家に連れ戻そうとします。悲しむ女二宮を前に、柏木は今さらながら、この人に対して申し訳ない、気の毒なことをしたと悔いています。「しがない身でありながら、皇女という特別な身分のあなたを妻とした以上、長く生きてそれなりの位について、すこしでもあなたの身分とつりあうようにしたいと思っていたのですがその願いもかなえることが出来なくなりました・・・」と泣き泣き話しかけています。この柏木の言葉から、彼がもう生きる望みを失っていること、このまま死ぬことを覚悟していることがわかります。原文です。

 「数ならぬ身にて、及びがたき御仲らひに、なまじひにゆるされたてまつりてさぶらふしるしには、長く世にはべりて、かひなき身のほども、すこし人とひとしくなるけぢめをもや御覧ぜらるる、とこそ思うたまへつれ、いといみじく、かくさへなりはべれば、深き心ざしをだに御覧じ果てられずやなりはべりなむと思うたまふるになむ、とまりがたきここちにも、え行きやるまじく思ひたまへらるる」など、かたみに泣きたまひて、(略)「今はと頼みなく聞かせたまはば、いと忍びてわたりたまひて御覧ぜよ。かならずまた対面賜はらむ。(略)」と泣く泣くわたりたまひぬ。

 こうして、妻とは再会を約束して実家に戻って療養することになったのでした。実家では病気平癒のための加持祈祷などが大掛かりに行われましたが、柏木の病状は次第に重くなるばかりでした。ずっとあまり食事も喉を通らない状態だったけれど、この頃となってはミカンさえ食べられなくなったとあります。世の人は、将来の嘱望されるすぐれた方が重い病気ということで、皆、心を痛め心配するのでした。原文です。大殿はここでは実家の太政大臣邸のこと、六条の院は源氏の君、大将は夕霧です。

  大殿に待ち受けきこえたまひて、よろづに騒ぎたまふ。さるは、たちまちにおどろおどろしき御ここちのさまにもあらず、月ごろものなどをさらに参らざりけるに、いとどはかなき柑子などをだに触れたまはず、ただ、やうやうものに引き入るるやうに見えたまふ。さる時の有職の、かくものしたまへば、世の中惜しみあたらしがりて、御とぶらひに参りたまはぬ人なし。(略)六条の院にも、いとくちをしきわざなりとおぼしおどろきて、御とぶらひに、たびたびねむごろに父大臣にも聞こえたまふ。大将は、まして、いとよき御仲なれば気近くものしたまひつつ、いみじく嘆きありきたまふ。

 源氏の君も驚いて、何度もお見舞いがあったとあります。自分の言葉が柏木を追いやったということに気付いていないのでしょうか。この点はずっと疑問に思っています。勘の鋭い源氏のことですから、薄々気づいていたと思うのですが。いずれにせよ、この見舞いは柏木の心には届かなかったようです。仲良しの夕霧は、しばしば病床を訪れ、病状を心配し、良くなる気色の無い事を嘆いていたとあります。死を覚悟したというよりは自ら死を望むかに見える柏木、彼は源氏の君に睨まれて厭われて生きることはできなかったのです。それならなぜ女三宮と密通などしたのだということになりますが、そこが人間の弱い処、人は往々にして理にかなわぬ行動をしてしまう。業というものでしょうか。今日はここまでです。













文:岸本久美子
【引用】新潮日本古典集成より


次回第七話「煙くらべに」  2023年5月4日配信
YouTube動画中の「源氏物語手鑑」につきまして。和泉市久保惣記念美術館デジタルミュージアム許可のもと引用しています🔗