六、寝覚めがちにて

少女、玉鬘、常夏、蛍

光源氏にはなれなかった男 頭中将6
六、寝覚めがちにて

 

 頭中の母大宮の元では、雲居の雁とともに源氏の長男夕霧も育てられていました。大宮にとって、雲居の雁は息子の子ども、夕霧は亡き娘の子どもです。二人の孫はほぼ同じ年頃、幼いふたりは一緒に遊びながら育ったのでした。十代になってからはお部屋も別々になり、共に過ごすことはできなくなったのですが、互いを恋しく思って手紙を書きかわしたり、夕霧が元服して二条院に移ってからも、こっそり会ったりしていたのでした。父頭中は勿論そんなこととは露知らず、大宮はまだまだ二人は子どもだとしか思っていません。けれども身の回りのお世話をする女房たちは二人が恋仲であることに気づいて居ました。そして、雲居の雁の入内を考える父、頭中が急に雲居の雁のガードを固くしたことで幼い恋はどうなることかと気を揉んでいます。女房達は二人の仲を自然なことと受け止めているのです。そんな女房たちの立ち話を、大宮の元を訪れた頭中が、偶然耳にします。

  かかるささめき言をするに、あやしうなりたまひて、御耳とどめたまへば、わが御うへをぞ言ふ。「かしこがりたまへど、人の親よ。おのづからおれたることこそ出で来べかめれ。子を知るはといふは、虚言なめり」などぞ、つきしろふ。あさましくもあるかな、さればよ、思ひ寄らぬことにはあらねど、いはけなきほどにうちたゆみて、世は憂きものにもありけるかなと、けしきをつぶつぶと心得たまへど、音もせで出でたまひぬ。

 自分のことを話しているらしいと聞き耳をたてると「殿もえらそうにしていらっしゃるけど、子どもの事は全然わかっていらっしゃらないのね。子を知るは親にしかずなんていうけど嘘ね。今におかしなことが起こるわよ」などと言っているのです。自分の、雲居の雁への対応についてひそひそ話しているのだという事はすぐにわかりました。そしてはっと思い当たったのです。夕霧と雲居の雁はずっと一緒に育って来たという現実です。ショックを受けた頭中は帰る道々頭を悩ませます。色々考えれば考えるほど腹が立ってきます。原文で読みましょう。

  殿は道すがらおぼすに、いとくちをしくあしきことにはあらねど、めづらしげなきあはひに世人も思ひ言ふべきこと、大臣の、しひて女御をおし沈めたまふもつらきに、わくらばに、人にまさることもやとこそ思ひつれ、ねたくもあるかな、とおぼす。殿の御仲の、おほかたには昔も今も、いとよくおはしながら、かやうのかたにては、いどみきこえたまひし名残もおぼし出でて、心憂ければ、寝覚めがちにて明かしたまふ。大宮もさやうのけしきは御覧ずらむものを、世になくかなしうしたまふ御孫にて、まかせて見たまふならむ、と、人々の言ひしけしきを、めざましうねたしとおぼすに、御心動きて、すこし男々しくあざやぎたる御心には、しづめがたし。

 長女の弘徽殿女御が中宮になれなかったことだけでも源氏が恨めしいが、あわよくば挽回できるかもと望みを掛けた次の娘までも源氏の為に可能性の芽を摘まれたのか・・・・・。何と腹立たしいことだ。大宮も大宮だ、気づかないはずはないのに、可愛い孫のこととて好きにさせなさったのだろう。と色々思えば思うほど腹が立って、家に帰って床に就いてからも眠ることが出来ないのでした。そして早速二日後には大宮を訪れ、喜んで出迎えた母に向かって非難の言葉を投げつけたのでした。「母上を信頼して娘を預けていたのに、あの子は夕霧と恋仲になっていると女房達の間では周知の事実らしいではないですか。どうしてくれるんですか。」と。驚いた大宮はそんなことはないと否定するのですが、頭中は譲りません。娘を大宮の元から引き離して自宅に連れ帰ったのでした。この時点では、源氏は、息子夕霧と雲居の雁の幼い恋については知りません。けれども頭中にしてみれば、またも源氏にしてやられたという思いでした。二人の仲を引き裂きはしたものの、すでに噂になっていたことを考えるとこの娘を入内させるのは難しい。そこで頭中は次の駒を探します。もう一人娘がいたはずだ、と。長らく忘れていた、愛人と共に行方不明になった娘を探し始めたのでした。けれども実はその娘、夕顔の娘はすでに源氏が探し出して、手元に引き取っていたのでした。玉鬘と呼ばれる女性です。その話は頭中も耳にしていました。源氏がどこか他で育っていた娘、たいそう美しい娘を見つけて引き取ったらしいという噂です。頭中はまさかそれが自分の探している娘その人だとは夢にも思いません。自分も負けじとばかりに手をつくしてあちこち探したのでした。原文です。

  内の大臣は、(略)女はあまたもおはせぬを、女御も、かくおぼししことのとどこほりたまひ、姫君も、かくこと違ふさまにてものしたまへば、いとくちをしとおぼす。かの撫子を忘れたまはず、もののをりにも語り出でたまひしことなれば、いかになりにけむ、ものはかなかりける親の心に引かれて、らうたげなりし人を、行方知らずなりにたること、(略)とてもかくても聞こえ出で来ばと、あはれにおぼしわたる。(略)中ごろなどはさしもあらず、うち忘れたまひけるを、人(源氏など)の、さまざまにつけて、女子かしづきたまへるたぐひどもに、わが思ほすにしもかなはぬが、いと心憂く、本意なくおぼすなりけり。
 
 そうして見つかったのが近江の君と呼ばれる娘です。この娘は、引き取ってみると、教養もなくしつけもできていないとんでもない田舎者でした。源氏なら、その欠点だらけの娘の見苦しさを世間から隠して教育しなおす手立てを講じたかもしれません。けれども頭中はそういうことは苦手です。あっというまに、この娘のはしたない言動は世間の評判になってしまいました。近江の君が世間の笑いものになっていること、その娘の見苦しさをかばおうともしない頭中を源氏は陰で批判しています。それを伝え聞いた頭中は腹を立てます。源氏の元に引き取られた玉鬘は世の若公達の憧れの対象となっていて、自分の所に来た娘は馬鹿にされている、頭中の心は当然のことながら穏やかではありません。こちらはこちらで源氏の悪口を言うのでした。原文です。少将とあるのは頭中の息子、太政大臣が源氏です。

  内の大殿は、この今の御女のことを、殿の人も許さず軽み言ひ、世にもほきたることとそしりきこゆと聞きたまふに、少将のことのついでに、太政大臣の、さることやと問ひたまひしこと語りきこゆれば、「さかし。ここにこそは、年ごろ音にも聞こえぬ山がつの子迎へ取りて、ものめかしたつれ。をさをさ人の上もどきたまはぬ大臣の、このわたりのことは、耳とどめてぞおとしめたまふや。これぞおぼえあるここちしける」とのたまふ。少将の、「かの西の対にすゑたまへる人は、(略)おぼろけにはあらじとなむ、人々おしはかりはべめる」と申したまへば、「いで、それは、かの大臣の御女と思ふばかりのおぼえのいといみじきぞ。(略)その今姫君は、ようせずは、実の御子にもあらじかし。さすがにいとけしきあるところつきたまへる人にて、もてないたまふらむ」と、言ひおとしたまふ。

 あの大臣は他の人のことは悪く言わないくせに私のこととなると何かにつけていちゃもんをつけるんだ、あちらの娘の評判が良いと言ったってあの人のことだから、本当の娘かどうかわかったもんじゃないなどと言っています。玉鬘は実際源氏の娘ではなく頭中の娘なのですから、この発言はそうとは知らず、真実を言い当てているのでした。それにしてもこの娘をどうしたものかと頭中は頭を抱えずにはいられません。まともに歌も詠めず、場のわきまえもなくしゃべりちらし、その話し方も早口で下品なのです。しかも注意されても落ち込むどころか平気の平左。明るい性格です。どうしたものかと持て余しながらも、まさか送り返すわけにはいかず、しかも、顔を見るとまるで鏡を見るよう、自分そっくりなのです。原文で読みましょう。

  大臣、この北の対の今君を、いかにせむ、さかしらに迎へ率て来て、人かくそしるとて返し送らむもいと軽々しく、もの狂ほしきやうなり、(略)のぞきたまへば、簾高くおし張りて、五節の君とてされたる若人のあると、双六をぞ打ちたまふ。手をいと切におしもみて、「せうさい、せうさい」といふ声ぞ、いと舌疾きや。あなうたてとおぼして(略)なほ障子のあきあひたるを見入れたまふ。(略)容貌はひぢぢかに、愛敬つきたるさまして、髪うるはしく、罪軽げなるを、額のいと近やかなると、声のあはつけさとにそこなはれたるなめり。取り立ててよしとはなけれど、異人とあらがふべくもあらず、鏡に思ひあはせられたまふに、いと宿世心づきなし。

 結局弘徽殿女御に頼み込んで行儀見習いをさせることにしたのですが、教育のやり直しも世間の噂の解消もなかなか難しいことでした。こうして、頭中の、娘を中宮の位にという夢は儚くついえたのでした。







文:岸本久美子
【引用】新潮日本古典集成より


次回 第七話「藤の色濃きたそがれ」  2022年11月10日配信
YouTube動画中の「源氏物語手鑑」につきまして。和泉市久保惣記念美術館デジタルミュージアム許可のもと引用しています🔗