一、五月雨の宵

帚木、若紫

光源氏にはなれなかった男 頭中将
一、五月雨の宵

 頭中将は源氏物語の冒頭の桐壺の巻でまず登場し、本編最後の御法の巻までずっと見え隠れしながら光源氏の生涯につきあった人物です。父親は当時帝に重く用いられていた左大臣。母親は帝の妹で皇族。申し分ない出自です。元服した後には右大臣家の四の君と結婚し、右大臣家の婿でもありました。
 頭中将と光源氏は従兄弟同士の間柄、物語には書かれていませんが、当然子供の頃から行き来はあったでしょうね。そして、源氏が12歳の時、頭中将の姉妹葵上と結婚し、左大臣家の婿となってからは、更に親しい間柄となりました。一般には、頭中将は、葵上の兄ということになっていますが、私は葵上の弟というふうに考えたいと思います。葵上は源氏より4歳年上ですから、その兄ということになると、源氏より少なくとも5、6歳年長ということになり、どうもしっくりこない気がするのです。十代のころの5、6歳の違いは相当大きいですから。ほぼ源氏と同い年と考えたほうがしっくりくる。そこで、仮に源氏より一つ年上ということにしてみました。
 さて、この人は名前がありません。姓は藤原でしょうが。位が変わる度に次々に呼称が変わっていてわかりにくいのでお話の中では彼の呼び名を「頭中」で統一しておきます。原文引用部分では頭中将のように囲んで示すことにしました。
 まずふたりの青春時代・親友であった時代を見ましょう。
 良く知られている雨夜の品定めからです。左大臣は、婿である源氏が娘の元に通わず、宮中にばかり泊まっていることが気掛かりで、衣服を整えて届けさせたり、息子たちをお相手役に送り込んだりしたとあります。原文です。
 大殿とあるのが左大臣、宮腹の中将とあるのが頭中です。

  なが雨晴れまなきころ、内裏の御物忌さし続きて、いとど長居さぶらひたまふを、大殿には、おぼつかなくうらめしくおぼしたれど、よろづの御よそひ、何くれとめづらしきさまに調じいでたまひつつ、御子息の君達、ただこの御宿直所の宮仕へをつとめたまふ。宮腹の中将は、なかに親しく馴れきこえたまひて、遊びたはぶれをも、人よりは心やすく、なれなれしくふるまひたり。右の大臣のいたはりかしづきたまふ住処は、この君もいと物憂くして、すきがましきあだ人なり。里にても、わがかたのしつらひまばゆくして、君の出で入りしたまふに、うちつれきこえたまひつつ、夜昼、学問をも遊びをももろともにして、をさをさ立ちおくれず、いづくにてもまつはれきこえたまふほどに、おのづからかしこまりもえおかず、心のうちに思ふことをも隠しあへずなむ、むつれきこえたまひける。


 頭中は先ほど申しましたように右大臣家の婿なのですが、源氏が左大臣家を窮屈に感じるのと同じように右大臣家を居づらく感じていて、宮中での宿直を気楽なものとして好み、源氏と行動を共にしていたのでした。夜昼学問をも遊びをも共にする遠慮のない間柄だったとあります。
 ある夜、集まった若者たちの間で女性論が始まります。恋人としてはどういう女性が
いいか、生涯の伴侶としてはどういう女性がいいか、という話からそれぞれの体験談になりました。失敗譚を披露して笑いを取るような雰囲気です。源氏はあまり話さず聞き役に徹しています。源氏の恋の対象は父の妻である藤壺でしたから、口にするわけには行かないのでした。頭中は、愛人としてずっと面倒をみるつもりであった人に、しばらく途絶えを置いてしまったために姿を消されてしまったという話をします。可愛い女の子まで生まれていたのに惜しい事をした、と。原文です。

  中将、「なにがしは、痴者の物語をせむ」とて「いと忍びて見そめたりし人の、さても見つべかりしけはひなりしかばながらふべきものとも思うたまへざりしかど、馴れゆくままに、あはれとおぼえしかば、たえだえ忘れぬものに思うたまへしをさばかりになればうち頼めるけしきも見えき。」(略)心やすくてまたとだえ置きはべりしほどに、あともなくこそかき消ちて失せにしか。まだ世にあらば、はかなき世にぞさすらふらむ。あはれと思ひしほどに、わづらはしげに思ひまとはすけしき見えましかば、かくもあくがらさざらまし。こよなきとだえ置かず、さるものにしなして、長く見るやうもはべりなまし。かの撫子のらうたくはべりしかば、いかで尋ねむと思ひたまふるを、今にえこそ聞きつけはべらね」 

 どこをさすらっていることかと心配で消息を尋ねさせているけれどまだ見つからないと言う話でした。源氏はその話を興味深く聞いていたのですが、この夜からしばらくたったある日、偶然通うようになった女性が(この女性は夕顔とよばれていますが)、頭中の話していた行方不明の女性だと気づきます。勿論頭中にそのことは話しません。そして八月のある夜その女性夕顔を五条あたりにあった別荘のようなところに連れ出して一夜を過ごすのですが、そこに魔性のものが現れて夕顔は急死してしまいます。このことは一大スキャンダルになりかねないので、源氏はその死を極秘とし、夕顔に付き添っていた女房右近も家に帰さず、臣下惟光がすべてを処理しました。
 帰宅してショックのために寝込んでいる源氏を、頭中が見舞い、どうしたのだと尋ねますが、源氏は嘘をついてごまかします。「乳母が重い病気で見舞いに行ったのだが、その家の下働きの者が突然亡くなってしまって、死の穢れに触れてしまったので宮中には行けないのだ」と苦しい嘘です。当時は死と出産が穢れで、死の穢れに触れると30日間物忌みをしなければならなかったのです。二人のやり取りを原文で読みましょう。
 
 「その家なりける下人の病しけるが、にはかに出であへで亡くなりにけるを、(略)神業なるころ、いと不便なることと思うたまへかしこまりて、え参らぬなり。(略)」などのたまふ。中将、「さらば、さるよしをこそ奏しはべらめ。(略)」と聞こえたまひて、立ちかへり、「いかなる行触にかからせたまふぞや。述べやらせたまふことこそまことと思うたまへられね」と言ふに、胸つぶれたまひて、(略)

「嘘でしょう。どうせ女がらみでしょう」みたいなことをと頭中に言われてどきりとするのですが、さりげないふうをよそおいます。元頭中の愛人を死なせてしまったことを打ち明けるわけにはいきません。夕顔の死は誰にも知らされず、永久に封印されました。こうして源氏の方は誰にも言えない秘密を次々に抱え込んでいくのです。
夕顔の死後、長く病んで体力の落ちていた源氏はわらわ病みにかかり、北山の修行僧の所に加持を受けに行きます。そこで、藤壺の姪、若紫を見つけるのですが、このこともやはり秘密です。黙ってでかけてしまった源氏の行く先を聞き出して頭中らが迎えにやってきました。原文です。

  御車にたてまつるほど、大殿より、「何方ともなくておはしましにけること」とて、御迎への人々、君達などあまた参りたまへり。頭の中将、左中弁、さらぬ君達もしたひきこえて、「かうやうの御供は、つかうまつりはべらむと思ひたまふるを、あさましくおくらさせたまへること」と、うらみきこえて、「いといみじき花の蔭に、しばしもやすらはず、立ち帰りはべらむは、飽かぬわざかな」とのたまふ。岩隠れの苔の上に並み居て、土器参る。落ち来る水のさまなど、ゆゑある滝のもとなり。頭の中将、懐なりける笛取り出でて、吹きすましたり。弁の君、扇はかなううち鳴らして、「豊浦の寺の西なるや」と歌ふ。

 滝のもとで宴会が始まりました。北山の桜の元、若い貴公子たちが酒を酌み交わし笛を吹き、琴を弾き歌う明るい場面です。病み上がりの源氏の君も請われて琴を弾いたとあります。この後みなで引き連れて山を下り、左大臣家に戻ったのでした。
今回頭中将の第一回は二人の青春時代その一でした。ここでは頭中の愛人であった夕顔を源氏が死なせてしまったと言う出来事がやはり大きいと思います。頭中は隠し事のできない男ですが、源氏は秘密は秘密として隠し通す後ろ暗いところのある男です。
 今回はここまでといたしましょう。次回は二人の青春第二部です



文:岸本久美子
【引用】新潮日本古典集成より


次回 第二話「笛吹き合わせて」  2022年8月25日配信
YouTube動画中の「源氏物語手鑑」につきまして。和泉市久保惣記念美術館デジタルミュージアム許可のもと引用しています🔗