五「野々宮の別れ」
その頃、世間では、葵上が亡くなったあと空席となった正妻の座に六条御息所がお着きになると言う噂が流れていました。御息所の周囲も「もしや」と期待したのですが、それどころか、源氏の君の訪れはばったり途絶えたのでした。御息所は源氏の君の心が離れたことをはっきりと悟り、迷っていた伊勢下向の決意を固めたのでした。嵯峨野の野々宮で一年間の潔斎に入った娘に従って彼女も野々宮に居を移します。御息所の決心を漏れ聞いた源氏はあのような素晴らしい方が京を離れてしまわれるのは寂しいことだとは思いますが、怨霊の件は忘れることができず、今さら引き留めようとは思えないのでした。それでも知らぬ顔はできず、伊勢へ立たれる日も近い秋のある日野々宮を訪ねたのでした。近づいてみると京のはずれの嵯峨野にある野々宮は季節柄もあって雅な雰囲気に包まれています。風に乗って琴の音が聞こえてきます。原文で読みましょう。
遥けき野辺を分け入りたまふより、いとものあはれなり。秋の花みなおとろへつつ、浅茅が原もかれがれなる虫の音に、松風すごく吹き合わせて、そのこととも聞き分かれぬほどに、ものの音ども絶え絶え聞こえたる、いと艶なり。(略)火焼屋かすかに光りて、人気すくなく、しめじめとして、ここにもの思はしき人の、月日を隔てたまへらむほどをおぼしやるに、いといみじうあはれに心苦し。北の対のさるべき所に立ち隠れたまひて、御消息聞こえたまふに、遊びはみなやめて、心にくきけはひあまた聞こゆ。
源氏の君の訪れを告げられ、始めは直接逢うことを拒んだ御息所ですが、周囲の者にも説得され、結局源氏と一夜を共にしたのでした。逢ってみれば御息所は他の女君とは比べられない特別な方、源氏は、今になって自分がつれない態度を取ってきたことを後悔します。けれどももう取り返しがつかないのでした。涙を流して引き留める源氏に御息所も心を動かされ、気強く振舞おうと思いつつ泣いてしまいます。そして、「やっとこの方と別れる決心を固めた今になって・・・」と悲しむのでした。原文です。
心のうちに、いかにぞや、疵ありて思ひきこえたまひにしのちはた、あはれもさめつつ、かく御仲も隔たりぬるを、めづらしき御対面の昔おぼえたるに、あはれとおぼし乱るること限りなし。来し方行く先おぼし続けられて、心弱く泣きたまひぬ。女はさしも見えじとおぼしつつむめれど、え忍びたまはぬ御けしきを、いよいよ心苦しう、なほおぼしとまるべきさまにぞ聞こえたまふめる。月も入りぬるにや、あはれなる空をながめつつ、怨みきこえたまふに、ここら思ひ集めたまへるつらさも消えぬべし。やうやう今はと思ひ離れたまへるに、さればよと、なかなか心動きておぼし乱る。
そしてしだいに空は白んで別れの時がやってきます。二人とも未練で一杯なのですが、今さらどうすることもできません。とてもドラマチックな場面です。ここも原文で読みましょう。
やうやう明けゆく空のけしき、ことさらにつくりいでたらむやうなり。
暁の別れはいつも露けきを
こは世にしらぬ秋の空かな
出でがてに、御手をとらへてやすらひたまへる、いみじうなつかし。風いと冷ややかに吹きて、松虫の鳴きからしたる声も、をり知り顔なるを、さして思ふことなきだに、聞き過ぐしがたげなるに、ましてわりなき御心まどひどもに、なかなかこともゆかぬにや。
おほかたの秋の別れもかなしきに
鳴く音な添へそ野辺の松虫
くやしきこと多かれど、かひなければ、明けゆく空もはしたなうて出でたまふ。道のほどいと露けし。女もえ心強からず、名残あはれにて、ながめたまふ。
この場面での源氏と御息所の贈答には心を打たれます。この日からまもなく御息所は娘の斎宮と共に伊勢に去ってゆきました。その三年後には源氏も京を離れ、須磨に流謫の身となります。御息所は伊勢でそのことを知り、わざわざ伊勢から見舞いの使者を遣わしています。御息所からの手紙は感動的なものでした。源氏は、葵上に乗り移った御息所を見てしまったばかりに、彼女に対して嫌悪を感じて遠ざけてきたことをまた改めて悔いたのでした。二年半ほどで源氏は召還され、旧に倍する力をもつようになりました。その後の帝の退位により、斎宮は交代し、御息所も斎宮と共に京に戻ってきました。六年ぶりのことでした。御息所は36歳くらいになっています。京に戻ってから、源氏とは手紙のやりとりはしていましたが、逢うことはありませんでした。そのうちに御息所はにわかに重い病を得て髪をおろしてしまわれました。そのことを知った源氏は驚いて六条の屋敷を訪れました。原文で読みましょう。大臣とあるのが源氏の君です。もう恋人同士というわけではないけれども風雅の道では気持ちを通じ合うことのできる大切な女性だったのにと残念に思っています。
大臣聞きたまひて、かけかけしき筋にはあらねど、なほさるかたのものをも聞こえあはせ人に思ひきこえつるを、かくおぼしなりにけるがくちをしうおぼえたまへば、おどろきながらわたりたまへり。飽かずあはれなる御とぶらひ聞こえたまふ。近き御枕上に御座よそひて、脇息におしかかりて、御返りなど聞こえたまふも、いたう弱りたまへるけはひなれば、絶えぬ心ざしのほどは、え見えたてまつらでやと、くちをしうて、いみじう泣いたまふ。かくまでもおぼしとどめたりけるを、女もよろづにあはれにおぼして、斎宮の御ことをぞ聞こえたまふ。
源氏の君の心を込めたお見舞いの言葉に几帳ごしにお返事なさる御息所はいかにも弱々しい様子です。こんなに重く患っておられたのかと源氏は衝撃をうけ、自分の、御息所に対する思いをお分かりいただけないままになってしまうのかと涙をこらえることができません。まあ源氏もよく泣きますね。そんな源氏に御息所は娘のことを頼みます。誰も頼る人はないので、娘の父親がわりとして後見をしてもらいたいこと、間違っても愛人にはしないでもらいたいということでした。この後、夕闇が迫り、次第に暗くなってゆく中、ほのかなあかりで几帳の隙間から源氏は尼姿の御息所とその向こうに居る斎宮の姿を覗き見したのでした。少しだけ原文を読みましょう。御息所の尼姿に「絵のようだ」と感動し、悲し気な様子の娘斎宮に対しては、「なんと可愛らしい娘だ」と気持ちが動くけれど御息所に釘を挿されているのだから色めいた気持ちにはなるまいぞと自分に言い聞かせています。
もしやとおぼして、やをら御几帳のほころびより見たまへば、心もとなきほどの火影に、御髪いとをかしげにはなやかにそぎて、寄りゐたまへる、絵にかきたらむさまして、いみじうあはれなり。帳の東面に添ひ臥したまへるぞ、宮ならむかし。御几帳のしどけなく引きやられたるより、御目とどめて見通したまへれば、頬杖つきていともの悲しとおぼいたるさまなり。はつかなれど、いとうつくしげならむと見ゆ。
この後7,8日で御息所は亡くなってしまいます。葬儀その他のことはすべて源氏が采配し、斎宮を見舞い慰め、あれこれお世話をし、御息所との約束を果たすべく、斎宮を自分の養女格として時の帝冷泉帝に入内させたのでした。娘は斎宮女御と呼ばれ後には中宮となり秋好中宮とよばれるようになります。帝よりかなり年上だったのですが、寵愛を得てしあわせそうにお過ごしの姿に、御息所に対して少しは償いができたかなと源氏は思ったのでした。
この後数年してから、源氏は、六条の御息所の屋敷の敷地を四倍に広げて、六条院と呼ばれる大邸宅を造営したのでした。
さて、六条御息所はこうして舞台から去ったように見えるのですが、源氏の元から完全に姿を消したわけではありませんでした。その話は次回といたしましょう。
文:岸本久美子
【引用】新潮日本古典集成より
第四章 通り過ぎた女君たち 其の二 皇太子の未亡人六条御息所 第六話「天翔けりても」は2025年1月23日配信いたします
YouTube動画中の「源氏物語手鑑」につきまして。和泉市久保惣記念美術館デジタルミュージアム許可のもと引用しています🔗