五、ふみの色

若菜下

光源氏に憧れ続けた男 柏木
五、ふみの色

 

 柏木が、初めて女三宮のもとに忍んだのは四月ごろのことでしたが、それ以来、宮は源氏の君にどれほど叱られるかと恐れてふさぎ込んで、お食事も進みません。それを聴いて心配した源氏は宮を見舞います。源氏は自分が紫の上の看病にかまけて宮を長くひとりにしておいたので、そのことを怨みもし、またさびしがりもしているのだろうと思って、慰めるのでした。宮はそれもつらくて泣いてばかりいます。ところが、そうして宮の元にとどまっている間に紫の上が危篤状態となり、源氏は慌てて二条院に戻り、またしばらくは紫の上の看病にあけくれたのでした。夏、六月になって、紫の上は小康状態となり、一方の女三宮はますます体調が悪くなっているということで、心配した源氏が六条院にやってきます。実はこの女三宮の体調不良は、柏木の子を宿したことによるものだったのですが。

  かくなやみたまふと聞こしめしてぞわたりたまふ。(略)宮は御心の鬼に、見えたてまつらむもはづかしうつつましくおぼすに、ものなど聞こえたまふ御いらへも聞こえたまはねば、日ごろの積りを、さすがにさりげなくてつらしとおぼしけると、心苦しければ、とかくこしらへきこえたまふ。大人びたる人召して、御ここちのさまなど問ひたまふ。「例のさまならぬ御ここちになむ」と、わづらひたまふ御ありさまを聞こゆ。「あやしくほど経てめづらしき御ことにも」とばかりのたまひて、御心のうちには、年ごろ経ぬる人々だにもさることなきを、不定なる御ことにもやとおぼせば、ことにともかくものたまひあへしらひたまはで、ただ、うちなやみたまへるさまのいとらうたげなるを、あはれと見たてまつりたまふ。

 年配の女房からどうやらご懐妊のようですと聞いた源氏はそんなはずはないなと思いつつ敢えて否定もせず、ただ、宮の蒼ざめた弱々しげな様子をいたわしくかわいそうにと思って、あれこれと慰めるのでした。そして、久々の訪問でもあり、すぐに帰るのも気がとがめて、今回はニ三日六条院にとどまったのでした。
 柏木は、ずっとお通いのなかった源氏の君が、久々に女三宮の元を訪れて滞在していると聞くと、嫉妬にさいなまれ、わざわざ女三宮に文を届けさせるのです。勿論小侍従経由です。しかも、内容はあからさまに自分と三宮との関係がはっきりとよみとれるようなものだったのです。あまりにも迂闊・無謀な行為ではありませんか。原文を読みましょう。かの人とあるのが柏木、院が源氏です。

  かの人も、(源氏の君が)かくわたりたまへりと聞くに、おほけなく心あやまりして、いみじきことどもを書き続けて、おこせたまへり。対にあからさまにわたりたまへるほどに、人間なりければ、忍びて見せたてまつる。「むつかしきもの見するこそいと心憂けれ。ここちのいとどあしきに」とて臥したまへれば、「なほただこの端書きの、いとほしげにはべるぞや」とて広げたれば、人の参るに、いと苦しくて、御几帳引き寄せて去りぬ。いとど胸つぶるるに、院入りたまへば、えよくも隠したまはで、御茵の下にさしはさみたまひつ。

 源氏がちょっと離れた隙に小侍従はこっそり柏木の手紙を見せます。宮はそんなもの見たくないと言うのですが、「ちょっと読んでお上げなさい」とその手紙を宮に押し付けて立ち去ったところに源氏が戻ってきます。慌てた宮はその手紙を茵、座布団ですね、その下に取り敢えず突っ込んだのです。
 この日の夕方、源氏の君は紫の上のことが気がかりなので、二条院に帰ろうとしたのですが、女三宮が、本当は早く帰ってもらいたくてたまらないのに「月待ちてとも言うなるものを」つまり「お急ぎにならず月が出るのを待ってお帰りになってはいかが」などと言って引き留めてしまったのです。源氏は帰りづらくなって、結局泊まるのです。この時なぜ宮は心にもあらず源氏を引き留めたのか。妙なことではありますが、時々私たちはこういうことをしてしまうのではないでしょうか。そして、そうやってひきとめてしまったために、柏木の手紙を見つけられてしまうことになったのです。原文です。

  まだ朝涼みのほどにわたりたまはむとて、とく起きたまふ。「昨夜のかはほりを落として、これは風ぬるくこそありけれ」とて、御扇置きたまひて、昨日うたたねしたまへりし御座のあたりを、立ちとまりて見たまふに、御茵のすこしまよひたるつまより、浅緑の薄様なる文の押し巻きたる端見ゆるを、何心もなく引き出でて御覧ずるに、男の手なり。紙の香などいと艶に、ことさらめきたる書きざまなり。二重にこまごまと書きたるを見たまふに、まぎるべきかたなくその人の手なりけりと見たまひつ。御鏡などあけて参らする人は、見たまふ文にこそはと、心も知らぬに、小侍従見つけて、昨日の文の色と見るにいといみじく、胸つぶつぶとなるここちす。
  御粥など参るかたに目も見やらず、いで、さりとも、それにはあらじ、いといみじく、さることはありなむや、隠いたまひてけむ、と思ひなす。

 朝早く帰ろうと思って一人先に起きた源氏は座布団の下からはみ出ている手紙を見つけて引っ張り出して広げてみました。するとなんとそれは見覚えのある筆跡、かつての玉鬘への恋文で源氏は柏木の筆跡をはっきり知っていました。これが柏木からの手紙であることはひと目でわかったものの、女房たちの前でゆっくり読むこともできず、不審に思いながらとりあえず懐に入れて持ち帰ったのでした。源氏が手にしている手紙の紙の色が昨日の柏木からの手紙の色であることに気付いた小侍従ははっとして蒼ざめます。「胸つぶつぶとなるここちす」と書かれています。まさか、いくら何でもあのお手紙ではあるまい・・・・と小侍従は心臓が止まりそうになっています。源氏が帰って行ったあと、小侍従はすぐに宮の元へ忍び寄って「昨日のお手紙はどうなさいました。源氏の君がよく似た手紙を今朝御覧になっていましたよ」と詰問するのですが、宮は驚いて泣くばかりです。二人で、昨日宮が置いたという座布団の辺りを探しますが勿論手紙はもうありません。小侍従は大変なことになったと焦りますが、もうとりかえしがつきません。小侍従は宮を責めます。大体あなたが不用意にお姿を見られたり、簡単に身を許したりなさるからいけないのです。これからどうなることやら、お二人にとって大変なことになりました。と。原文です。

 「あないみじ。かの君も、いといたく懼じ憚りて、けしきにても漏り聞かせたまふことあらばと、かしこまりきこえたまひしものを、ほどだに経ず、かかる事の出でまうで来るよ。すべていはけなき御ありさまにて、人にも見えさせたまひければ、年ごろさばかり忘れがたく、恨み言ひわたりたまひしかど、かくまで思うたまへし御ことかは。誰が御ためにも、いとほしくはべるべきこと」と憚りもなく聞こゆ。

 小侍従は自分が手引きしたり、手紙の仲立ちをしたりした不始末は棚にあげて宮の至らなさを責めます。宮は一層激しく泣くばかり、お食事も全く喉を通らないような状態になってしまいました。
 一方、手紙を懐にして二条院に帰り、じっくり読んだ源氏はすべてを理解しました。
心当たりのない女三宮の妊娠についてもはっきりその事情を知ったのです。源氏にとってこれは大変なショックでした。事実関係が明確にわかるような文言を連ねる柏木の不用意さ、絶対に隠さねばならない手紙を放置するような宮の幼さ、若いふたりの至らなさを責める思いも湧きます。自分だったらこんな不始末はしでかさない。それにしても、今後、彼らそれぞれにどう対応したら良いものか、生まれて来るわが子でないわが子にどう対したらよいものか、源氏の君もあらたに苦悩を背負ったのでした。そしてことの経緯を小侍従に知らされた柏木は衝撃を受けて、もう宮中へ出仕することもできません。原文で読みましょう。
  
  小侍従も、わづらはしく思ひ嘆きて、「かかることなむありし」と告げてければ、いとあさましく、いつのほどにさること出で来けむ、かかることは、あり経れば、おのづからけしきにても漏り出づるやうもや、と思ひしだにいとつつましく、空に目つきたるやうにおぼえしを、ましてさばかり違ふべくもあらざりしことどもを見たまひてけむ、はづかしく、かたじけなく、かたはらいたきに、朝夕涼みもなきころなれど、身もしむるここちして、いはむかたなくおぼゆ。年ごろ、まめごとにもあだことにも、召しまつはし参り馴れつるものを、人よりはこまかに思しとどめたる御けしきの、あはれになつかしきを、あさましくおほけなきものに心おかれたてまつりては、いかでか目をも見合はせたてまつらむ、(略)ここちもいとなやましくて、内裏へも参らず。


 いつかは何となく気づかれてしまうかもしれないと想像しただけでも空に目がついているような気がして怯えていたのに、こうもはっきりと証拠をつかまれてしまったとは・・・・・と柏木は、真夏なのに身も凍るような気持ちになったのでした。そして、改めて、あれほど自分に目をかけて可愛がってくださった源氏の君を裏切ってしまったのだという事実を自ら噛みしめて、もう二度と顔を合わせることなどできないと絶望のどん底に突き落とされてしまったのでした。こうして柏木も寝込んでしまいました。悲劇はずんずん進んでいきます。続きは次回といたしましょう。













文:岸本久美子
【引用】新潮日本古典集成より


次回第六話「胸つぶれて」  2023年4月20日配信
YouTube動画中の「源氏物語手鑑」につきまして。和泉市久保惣記念美術館デジタルミュージアム許可のもと引用しています🔗