三、猫を抱く

若菜下

光源氏に憧れ続けた男 柏木
三、猫を抱く

 

 蹴鞠の日からほどない頃、六条院で弓の競射の催しがありました。この日も柏木と夕霧は一緒です。
 この二人の関係はそれぞれの親、頭中と源氏の関係と形は全く同じです。つまり、いとこであり、義理の兄弟でもあるという形です。源氏は頭中の姉を妻としており、夕霧は柏木の妹を妻としていますから。ただ二人の関係の中身は親たちとは随分違っていることに皆さんもお気づきでしょう。彼らには親たちにあったようなライバル意識は全くないように見えます。いわゆる親友という感じ、二人とも性格は親とは全く似ていませんね。次に紹介する場面では、物思いに沈む柏木を見て夕霧は親身になって心配しています。源氏ならここで相手をからかうか、あるいは、自分が相手の意中の女を先にものにしてやろうというふうに思ったかもしれませんが夕霧は違います。屈託した思いを抱く友に同情しながらも、何か厄介なことが起こらねば良いが・・・とただただ心配しています。原文を少し読みましょう。
   
  衛門の督、人よりけにながめをしつつものしたまへば、かの片端心知れる御目には、見つけつつ、なほいとけしき異なり、わづらはしきこと出で来べき世にやあらむと、われさへ思ひつきぬるここちす。この君たち、御仲いとよし。さる仲らひといふなかにも、心かはしてねむごろなれば、はかなきことにても、もの思はしくうちまぎるることあらむを、いとほしくおぼえたまふ。

 ふたりは「御仲いとよし」たいそう仲が良かったとあります。そして相手に悩みがあれば自分のことのように心を痛めるといった間柄であったとあります。ですからこの友の解決しようのない邪な恋に夕霧も悩んでいます。
柏木自身も夕霧から心配され、小侍従に忠告されるまでもなくこの恋心がどうにも持って行き場のないものであることは頭ではわかってはいるのです。少しその辺りを原文で読みましょう。大殿とあるのが源氏の君です。

  みづからも、大殿を見たてまつるに、気恐ろしくまばゆく、かかる心はあるべきものか、なのめならむにてだに、けしからず、人に点つかるべきふるまひはせじと思ふものを、ましておほけなきことと思ひわびては、かのありし猫をだに得てしがな、思ふことかたらふべくはあらねど、かたはらさびしきなぐさめにもなつけむ、と思ふに、もの狂ほしく、いかでかは盗み出でむと、それさへぞ難きことなりける。

 源氏の君を見るにつけても、自分の宮に対するあまりにも大それた畏れ多い恋心に気がとがめて、こんな心を抱いてはならないと自らに言い聞かせています。そして、人から非難されるようなことは決してしてはならないとも思うのです。それでも切ない恋心は燃え上がるばかり、せめてあの女三宮の猫を手に入れて宮の代わりに愛撫しようと思いたったのでした。どうかして盗み出したいがそれさえも難しいと原文にありますが、結局は東宮を通じてその猫を手に入れることに成功したのでした。東宮は女三宮の腹違いの兄、柏木は東宮の琴の師でもあり、親しい間柄だったのです。東宮も猫好きだったことから、「女三宮様の所にこちらの猫とはちょっと違う、特別可愛い唐猫がいますよ」ともったいぶって教えるとすぐに乗り気になって、妹に頼み込んでその子猫を自分のものにしました。その後柏木が東宮の所にやってきてそれを横取りしたのでした。
 その後のことを原文で読みましょう。

  つひにこれを尋ね取りて、夜もあたり近く臥せたまふ。明け立てば、猫のかしづきをして、撫で養ひたまふ。人気遠かりし心も、いとよく馴れて、ともすれば衣の裾にまつはれ、寄り臥しむつるるを、まめやかにうつくしと思ふ。いといたくながめて、端近く寄り臥したまへるに、来て、ねうねう、といとらうたげに鳴けば、かき撫でて、うたても進むかなと、ほほゑまる。
「恋ひわぶる人のかたみと手ならせば
    なれよ何とて鳴く音なるらむ
これも昔の契りにや」と、顔を見つつのたまへば、いよいよらうたげに鳴くを、懐に入れてながめゐたまへり。御達などは、「あやしくにはかなる猫のときめくかな。かやうなるもの見入れたまはぬ御心に」ととがめけり。宮より召すにも参らせず、取りこめてこれをかたらひたまふ。

 女三宮の猫を、宮の身代わりとして、毎日手元から離さず可愛がり、歌を詠みかけたりしています。猫が「ねうねう」と鳴けば「寝よう寝よう」と聞いて、笑って「そんなに急かすなよ」などと言っています。東宮から猫を返してくれと言われても知らん顔です。まわりの女房達は「おかしなこと。これまでは猫なんて見向きもなさらなかったのに」と不思議がったのでした。
この頃、時代の寵児柏木を婿にという話はひきもきらずあるのですが、相変わらず彼の心を占めているのは女三宮なのでした。そうして五年の歳月が流れました。位も上がり、いつまでも独身でいることはできません。そこで、同じ朱雀院の娘ならということで、院の求めに応じて女三宮とは腹違いの姉女二宮をもらい受けることになりました。
 原文です。

  まことや、衛門の督は、中納言になりにきかし。今の御世には、いと親しくおぼされて、いと時の人なり。身のおぼえまさるにつけても、思ふことのかなはぬ愁はしさを思ひわびて、この宮の御姉の二の宮をなむ得たてまつりてける。下臈の更衣腹におはしましければ、心やすきかたまじりて思ひきこえたまへり。人がらも、なべての人に思ひなずらふれば、けはひこよなくおはすれど、もとよりしみにしかたこそなほ深かりけれ、なぐさめがたき姨捨にて、人目にとがめらるまじきばかりに、もてなしきこえたまへり。*わが心なぐさめかねつ更科や姨捨山に照る月を見て

 女二宮は、その母親の身分が更衣ということもあって、あまり余計な気遣いもいらず、その一方で何と言っても帝の御子なので一般の人とは違って高貴な雰囲気のお方でした。妻として不満はないはずであるのに、柏木はその妻をひととおり大切にはしてもどうしても情愛が湧かないのです。思い込みは恐ろしいものです。女二宮を妻としてみて、改めて三宮でなければという妄執が強まったのです。この頃柏木はすでに三〇歳を超えています。
 同じころ、六条院では、源氏の君最愛の妻、紫の上が重い病に倒れるという出来事が起こっていました。病状がなかなか好転しないため、二条院という別宅に移って養生することになりました。源氏の君も付き添って、そちらに移ったため、女三宮のいる六条院はすっかり手薄になっていました。そのことを知った柏木は度々小侍従を邸に呼んで手引きせよと責め立てます。原文です。院が源氏の君です。

  かくて院も離れおはしますほど、人目少なくしめやかならむをおしはかりて、小侍従を迎へとりつつ、いみじうかたらふ。(略)「ただ一言、物越しにて聞こえ知らすばかりは何ばかりの御身のやつれにかはあらむ。神仏にも思ふこと申すは、罪あるわざかは」といみじき誓言をしつつのたまへば、しばしこそ、いとあるまじきことに言ひ返しけれ、もの深からぬ若人は、人のかく身にかへていみじく思ひのたまふを、え否び果てで、「もしさりぬべき隙あらば、たばかりはべらむ。院のおはしまさぬ夜は、御帳のめぐりに人多くさぶらひて、御座のほとりに、さるべき人かならずさぶらひたまへば、いかなるをりをかは、隙を見つけはべるべからむ」とわびつつ参りぬ。

 小侍従は、初めは、「とんでもないこと」と拒んでいたのですが、「物越しに思う事をお伝えするだけでいいのだから」という柏木のしつこい懇願に負けて「宮様のまわりには常に多くの人がはべってるので、そんな機会を見つけるのは難しいですよ」と言いつつも、「適当な機会があればなんとかしましょう。」と最後はしぶしぶ承諾してしまったのでした。この時、柏木は、ただただ積年の思いを宮に伝えたいだけだと小侍従に誓い、自分でもそう思っていたでしょう。ただし、自らも気づいていないけれども、その心の底には源氏のものを自分のものにしたいという願望も眠っていたのではないかと私は思います。この続きは次回に譲りましょう。











文:岸本久美子
【引用】新潮日本古典集成より


次回第四話「あけぐれの空」  2023年3月16日配信
YouTube動画中の「源氏物語手鑑」につきまして。和泉市久保惣記念美術館デジタルミュージアム許可のもと引用しています🔗