夕霧六、霧ふたがる里

夕霧

第3章 脇役の男たち 其の三「夕霧」
六、霧ふたがる里

 

 その日の夕暮、つまり手紙の届いた日の翌日、うたた寝していた夕霧はひぐらしの声に、「もう夕方になってしまったのか。」と驚いて「返事がこないままで、あちらはどれほど心を痛めておいでだろう」と、とにかく返事を書こうとします。その時ふと敷物の下に隠されていた御息所の手紙を発見。見つかったことのうれしさのあとに、内容の深刻さに気付いて衝撃がきましました。原文です。

  ひぐらしの声におどろきて、山の蔭いかに霧ふたがりぬらむ、あさましや、今日この御返りことをだにと、いとほしうて、ただ知らず顔に硯おしすりて、いかになしてしにかとりなさむと、ながめおはする。御座の奥のすこし上がりたる所を、こころみにひき上げたまへれば、これにさしはさみたまへるなりけりと、うれしうもをこがましうもおぼゆるに、うち笑みて見たまふに、かう心苦しきことなむありける。胸つぶれて、一夜のことを、心ありて聞きたまうけるとおぼすに、いとほしう心苦し。昨夜だに、いかに思ひ明かしたまうけむ、今日も今まで文をだにと、いはむかたなくおぼゆ。(略)やがて出で立ちたまはむとするを、心やすく対面もあらざらむものから、人もかくのたまふ、いかならむ、坎日にもありけるを、もしたまさかに思ひゆるしたまはば、あしからむ、なほよからむことをこそと、うるはしき心におぼして、まづこの御返りを聞こえたまふ。

 山荘で明かした一夜を御息所が結婚第一夜だと誤解しているのなら、昨晩第二夜に男君の訪れがなかったということは、女側にとっては大変な屈辱です。結婚は当時の風習では第三夜まで欠かさず通って初めて成立するものだったのですから、一夜だけであとの通いがなければ、遊ばれて捨てられたと思われてしまいます。しかも弁解の手紙さえ出していません。ここで夕霧は真っ青になったと思うのですが、すぐに山荘に駆け付けて弁解すればよいものを、「いやいやこうして御息所は結婚そのものは認めて下さっているのだから、縁起の悪い日に行って、まずいことになるよりは日を改めよう」と考えるのです。慌てたわりに、変に生真面目なのです。この日は陰陽道でいうところのカンニチ、凶の日だったのです。そこで、夕霧は丁重にご機嫌伺いのような手紙を出します。今か今かと夕霧の訪れを待っていた山荘では、手紙が来たという事から、本人の訪問はないとわかり困惑しています。そして三晩目の今夜もお出でがないとわかって、御息所は絶望のどん底に突き落とされて、何と、亡くなってしまったのでした。
 それを知った夕霧は、驚きも悲しみもしましたが、自分の行為が御息所を死においやったということには気づいていません。ともあれ、葬儀を全面的に仕切りました。そういう実務には長けています。そして落葉の宮には、やさしいなぐさめのことばをかけますが、宮が心をひらくはずもありません。原文です。


  山おろしいとはげしう、木の葉の隠ろへなくなりて、よろづのこといといみじきほどなれば、おほかたの空にもよほされて、干る間もなくおぼし嘆き、命さへ心にかなはずと、いとはしういみじうおぼす。さぶらふ人々も、よろづにもの悲しう思ひまどへり。大将殿は日々にとぶらひきこえたまふ。さびしげなる念仏の僧などなぐさむばかり、よろづのものをつかはしとぶらはせたまひ、宮の御前には、あはれに心深き言の葉を尽くして怨みきこえ、かつは、尽きもせぬ御とぶらひを聞こえたまへど、取りてだに御覧ぜず。

 落葉の宮にとっては、夕霧は恨めしく憎い人でしかありません。ただ、頼りない身となった彼女の周囲は皆夕霧に頼ろうとしています。お嬢様育ちの宮が一人抵抗しても、周囲は夕霧を婿としてむかえることとして動いてゆきます。
この夕霧の動きが父源氏の耳にも入り、ちょっと心配して、真面目な息子が自分の若いころの色恋沙汰の不名誉を挽回してくれると思っていたのに・・・・と紫の上に語っています。
 御息所の四十九日の法要も、夕霧が万事取り仕切って、立派にすませました。
 その後夕霧は落葉の宮の一条邸を新婚夫婦が住む家として美しく整えて、落葉宮をこちらに移す算段をしました。三条殿つまり夕霧の家では女房達が「いつの間にあちらの方と結婚なさったのかしら。」と首を傾げたのでした。原文です。

  殿は、東の対の南面を、わが御方、仮にしつらひて、住みつき顔におはす。三条殿には、人々、「にはかにあさましうもなりたまひぬるかな。いつのほどにありきことぞ」と、おどろきけり。なよらかにをかしばめることを、このましからずおぼす人は、かくゆくりかなることぞうちまじりたまうける。されど、年経にけることを、音もなくけしきも漏らさで過ぐしたまうけるなり、とのみ思いなして、かく、女の御心ゆるいたまはぬと、思ひ寄る人もなし。とてもかうても宮の御ためにぞいとほしげなる。

 こうして落葉の宮の家に主人顔で居座り、当然二人は夫婦関係にあると周囲も世間も思っている訳ですが、実は宮はいまだに堅く夕霧を拒んでいるのでした。夕霧が無理に部屋に入ると、塗籠つまり鍵のかかる押入れのようなところに籠ってしまうという強硬手段に出て、夕霧を寄せ付けようともしないのでした。原文です。

  かく心ごはけれど、今はせかれたまふべきならねば、やがてこの人をひきたてて、おしはかりに入りたまふ。宮は、いと心憂く、情なくあはつけき人の心なりけりと、ねたくつらければ、若々しきやうには言ひ騒ぐとも、とおぼして、塗籠に御座ひとつ敷かせたまうて、うちより鎖して大殿籠りにけり。(略)男君はめざましうつらしと思ひきこえたまへど、かばかりにては、何のもて離るることかはと、のどかにおぼして、よろづに思ひ明かしたまふ。


 夕霧はかなり参っています。愛人には相手にされず、自宅に帰れば妻が怒り狂っている。気持ちの持って行き場がなくて、この時は帰りに六条院の花散里の所に寄ってくつろぎます。ここだけが心休まる場所なのでした。花散里は「落葉の宮様の御世話なさっていると聞きましたが、姫君が今まで安心してらしたのに、お気の毒ですわ」と雲居の雁に同情的なことを夕霧にいうのですが、夕霧は「なにが姫君ですか、そんな可愛いやつじゃありません、鬼のような奴です」と答えています。気を取り直して家に帰ってみると、子どもたちは走り寄って来て甘えるのですが、雲居の雁は、予想通り大変機嫌が悪い。ベッドから起きて来ようともしません。夕霧が側に行っても目を逸らしたままです。辛い思いをしているのだろうなとは思うのですが、「ごめんね」と謝る気にはなれません。原文です。

  日たけて、殿にはわたりたまへり。入りたまふより、若君たち、すぎすぎうつくしげにて、まつはれ遊びたまふ。女君は、帳のうちに臥したまへり。入りたまへれど、目も見合はせたまはず。つらきにこそはあめれ、と見たまふもことわりなれど、憚り顔にももてなしたまはず、御衣をひきやりたまへれば、「いづことておはしつるぞ。まろは早う死にき。常に鬼とのたまへば、同じくはなり果てなむとて」とのたまふ。

 この夫婦喧嘩の場面は何回読んでも笑えます。夕霧がふとんを引きはがすと、雲居の雁は「私はとっくに死んでいます。あなたが私のことを鬼とおっしゃるからもう本当に鬼になってしまおうと思って」などとかわいいことを言っています。そしてふたりは言い合うのですが、少し原文で読みましょうね。夕霧が「お前の鬼なんか怖くもないぞ」と言ったのに対して雲居の雁が言い返すところです。

 「何ごと言ふぞ。おいらかに死にたまひね。まろも死なむ。見れば憎し。聞けば愛敬なし。見捨てて死なむはうしろめたし」とのたまふに、いとをかしさのみまされば、(略)何くれとこしらへきこえなぐさめたまへば、いと若やかに心うつくしう、らうたき心はたおはする人なれば、なほざりごととは見たまひながら、おのづからなごみつつものしたまふを、いとあはれとおぼすものから、心は空にて、かれも、いとわが心をたてて、強うものものしき人のけはひには見えたまはねど、もしなほ本意ならぬことにて、尼になども思ひなりたまひなば、をこがましうもあべいかな、と思ふに、しばしはとだえ置くまじう、あわたたしきここちして、暮れゆくままに、今日も御返りだになきよ、とおぼして、心にかかりて、いみじうながめをしたまふ。

 雲居の雁の言葉がここもまた可愛らしいですよね。「さっさと死んでちょうだい。あなたが死んだら私もすぐ死ぬから。顔をみたら憎たらしいけど、後に残して死ぬのも心配なんだから。」なんて言ってますね。夕霧も流石にこの妻の様子になごんで、可愛い奴と思って、懸命になだめるのですが、その一方で、落葉の宮が思い詰めて出家でもしてしまったら、とんでもない恥をかくことになる、と気になって、この日も、日が落ちてから落葉の宮邸に出かけて行ったのでした。
 さあこの先どうなることかと気に掛かるところですが、続きは次回といたしましょう。


















文:岸本久美子
【引用】新潮日本古典集成より


次回2023年9月14日(木)夕霧七「中空なるこころ」をお送りします。 
YouTube動画中の「源氏物語手鑑」につきまして。和泉市久保惣記念美術館デジタルミュージアム許可のもと引用しています🔗