一、童女(わらはべ)

若紫

童女

 源氏物語のヒロイン紫の上が初めて物語に姿を見せるのは、教科書にもよく載っているあの印象的な場面、そう、彼女は泣きながら走ってくる可愛らしい女の子として登場しています。光源氏18歳の時のことです。源氏の君はわらわ病みという病気にかかり、北山に住む聖の元に加持を受けに行き、治療の終わった後で付近を散歩していて、ある僧坊、女気の無いはずの場所に女童や若い女性がいるのを発見します。夕暮れの霞に紛れて、源氏と側近の惟光の二人は垣根の所に立ってその僧坊の庭をのぞき見、いわゆる垣間見をします。有名な場面ですが、原文を読みましょう。

  日もいと長きに、つれづれなれば、夕暮のいたう霞みたるにまぎれて、かの小柴垣のもとに立ち出でたまふ。人々は帰したまひて、惟光の朝臣とのぞきたまへば、ただこの西面にしも、持仏すゑたてまつりて行ふ尼なりけり。(略)きよげなるおとな二人ばかり、さては童女ぞ出で入り遊ぶ。中に十ばかりにやあらむとみえて、白き衣、山吹などのなれたる着て、走りきたる女ご、あまた見えつる子どもに似るべうもあらず、いみじく、おひさき見えて、美しげなるかたちなり。髪は扇をひろげたるやうに、ゆらゆらとして、顔はいと赤くすりなして立てり。「何事ぞや。童べと、はらだち給へるか」とて尼君のみあげたるに、すこし、おぼえたる所あれば、子なめりと見たまふ。「雀の子を犬君が逃がしつる、伏籠の中に籠めたりつるものを」とて、いと口惜しと思へり。(略)つらつき、いとらうたげにて、眉のわたり、うちけぶり、いはけなくかいやりたる額つき、髪ざし、いみじううつくし。ねびゆかむさまゆかしき人かなと目とまりたまふ。さるは、限りなう心を尽くしきこゆる人に、いとよう似たてまつれるが、まもらるるなりけり、と思ふにも涙ぞ落つる。

 覗き見している源氏の君の目の前に一人の女の子が走ってきました。豊かな髪に縁どられた顔は涙をこすったためか赤くなっています。女の子は尼君に向かって、雀の子を犬君という子が逃がしてしまったと訴えています。源氏の君は何人もいる少女たちの中で飛びぬけて美しいその子にひと目で惹きつけられ、この子が成長して行く様子がみたいものだと思います。そして、この子にこれほど惹きつけられるのは、この子が、恋い慕う藤壺女御によく似ているからなのだと気づいて、涙を流したとあります。この後源氏はその僧坊を訪問し、僧都から、そこに滞在している尼君や女の子のことをそれとなく聞き出します。
 尼君は僧都の妹で、女の子は尼君の孫であり、今たまたまこちらに滞在しているということ、そして、この孫娘の父親は兵部卿の宮であること、母親は亡くなり、祖母である尼君が育てていることなどを、僧都は縷々語ったのでした。
この子の父兵部卿の宮は藤壺女御の兄にあたる方ですから、女の子は藤壺の姪ということになります。女の子が藤壺の面影を宿しているのはそういう血のつながりがあったからなのでした。なんとかしてこの少女を手元で育てたいと思って、源氏は早速僧都に気持ちを訴え、尼君にも少女を引き取りたい旨を申し出たのですが、まだ幼いからということで断られたのでした。源氏としては妻としてではなく、娘としてひきとることを考えたのでしたが、一般にはそのような考え方は通用しません。一方で、その地で源氏の姿を見た少女は、その若く美しい姿に感動し、「父上よりも素敵。」と言って、女房(侍女)達が「では源氏の君の子供になりなさったら」と言うと、うなづいて「それはいいこと」と思ったとあります。後に起こる事を予言しているかのような場面です。原文でご紹介しましょう。少女は若君とよばれています。

  この若君幼心地にめでたき人かなと見たまひて、「宮(父,兵部卿)の御ありさまよりも、勝りたまへるかな」とのたまふ。(女房)「さらばかの人の御子になりておはしませよ」と聞こゆれば、うちうなづきて、「(御子になるは)いとようありなむ」とおぼしたり。雛遊びにも、絵書いたまふにも、「源氏の君」と作り出でて、清らなる衣着せ、かしづきたまふ。

 その後数か月して、尼君の病が重いと聞いて源氏はその家を訪ねます。尼君を見舞ったあと、少女と話したい旨申し入れたところ、女房達は若君はもうお休みになったと言って、会わせてくれません。ところがそこに奥から走ってくる足音がし、少女が愛らしい声で「おばあちゃまあ、源氏の君がお見えになっているそうよ!どうしてお会いにならないの」と大声で祖母に向かって叫ぶのが源氏の耳に入ったのでした。原文です。

  「かひなき心地のみしはべるを、かのいはけなうものしたまふ御一声、いかで」とのたまへば、(女房)「いでや、よろづもの思し知らぬさまに、大殿籠り入りて」など聞こゆるをりしも、あなたより来る音して、「上こそ。この寺にありし源氏の君こそおはしたなれ。など見たまはぬ」とのたまふを、人々いとかたはらいたしと思ひて、「あなかま」と聞こゆ。「いさ、見しかば心地のあしき慰みき、とのたまひしかばぞかし」と、かしこきこと聞こえたりと思してのたまふ。いとをかしと聞いたまへど、人々の苦しと思ひたれば、聞かぬやうにて、まめやかなる御とぶらひを聞こえおきたまひて帰りたまひぬ。げに言ふかひなのけはひや、さりとも、いとよう教えてむ、と思す。

 源氏の君は女房たちの困惑を思って聞こえないふりをして暇乞いをするのですが、若君の幼さに笑みがこぼれ「私がしっかりいろんなことを教えてやろう」と思いつつ帰途に就いたのでした。
その後しばらくして尼君は亡くなり、若君が一人邸に暮らすと聞いて源氏の君は屋敷を訪ねます。霰の降る風の強い夜でした。こんな荒れた夜に、若君を残して帰るわけには行かないとそのまま泊まってしまった源氏の君に女房たちは戸惑い、少女も初めは泣きそうになったのですが、やがて少し慣れて源氏の腕の中で一夜を過ごしたのでした。そうは言ってもさすがに一晩中眠ることはできなかったとあります。原文です。
 
  霰降り荒れて、すごき夜のさまなり。「いかでかう人少なに心細うて過ぐしたまふらむ」とうち泣いたまひて、いと見捨てがたきほどなれば、「御格子参りね。もの恐ろしき夜のさまなめるを、宿直人にてはべらむ。人々近うさぶらはれよかし」とて、いと馴れ顔に御帳のうちに入りたまへば、あやしう思ひのほかにもと、あきれて、誰も誰もゐたり。(略)若君は、いと恐ろしう、いかならむとわななかれて、いとうつくしき御肌つきも、そぞろ寒げにおぼしたるを、らうたくおぼえて、単ばかりを押しくくみて、わが御ここちも、かつはうたておぼえたまひしかど、あはれにうち語らひたまひて、「いざ、たまへよ。をかしき絵など多く、雛遊びなどする所に」と、心につくべきことのたまふけはひの、いとなつかしきを、をさなきここちにも、いといたうも怖ぢず、さすがにむつかしう、寝も入らずおぼえて、身じろぎ臥したまへり。

 この時、源氏の君は、若君に「私の家においでなさい。綺麗な絵やお人形もありますよ」
と誘いかけています。いずれは自分の元へ引き取ろうと思っていたのです。ところが、
この後、すぐに父親の兵部卿の宮が若君を引き取りに来るという情報が入り、慌ててその
前夜、夜更けに嵐のように突然若君の元を襲い我が家二条院に連れ去ったのでした。
連れ去る場面を原文で読みましょう。
   
  かき抱きて出でたまへば、大輔、少納言など「こはいかに」と聞こゆ。(略)「よし、後にも人は参りなむ」とて、御車寄せさせたまへば、あさましう、いかさまにと思ひあへり。若君も、あやしとおぼして泣いたまふ。少納言、とどめきこえむかたなければ、昨夜縫ひし御衣どもひきさげて、みづからもよろしき衣着かへて乗りぬ。二条の院は近ければ、まだ明うもならぬほどにおはして、西の対に御車寄せて下りたまふ。若君をば、いと軽らかにかき抱きておろしたまふ。

 女房たちはあきれて、「明日父上がおいでになるのに、何と申し上げたらよいでしょう。
こんなに急なことでは困ります。」とひきとめようとするのですが、そんな言葉に耳を貸す源氏ではありません。強引に若君を抱いて車に乗せて連れ去ったのでした。仕方なく乳母だけが、明日のためにと縫っておいた若君の着物を持って、車に乗ったのでした。今なら大ニュースになる所ですが、当時はおおらかなものです。翌日迎えに来た父親は、乳母がどこかに連れ去って隠したのだろうと残念に思いましたが、「行方がわかったら知らせなさい」とだけ言い残して帰ったのでした。
 さて、源氏の邸について、乳母とも引き離されて、泣き寝入りした若君でしたが、朝になって目を醒ましてみると、見たことも無いような美しい部屋に美しいお庭、運び込まれた絵やおもちゃ・・・・・若君はすっかり機嫌を直したのでした。源氏の君は若君を懐けるために、仕事も休んでニ三日は彼女につきっきりでした。勿論、若君は元々憧れていたわけですから、すぐに源氏になついて、亡き尼君を慕って泣くことも無くなったのでした。





文:岸本久美子
【引用】新潮日本古典集成より


新講座第二回 「若草」 2022年2月17日配信
YouTube動画中の「源氏物語手鑑」につきまして。和泉市久保惣記念美術館デジタルミュージアム許可のもと引用しています🔗