十八、栄華

梅が枝、藤裏葉

栄華

 玉鬘が髭黒の元に連れ去られてから二年、六条院には平和な時間が流れ、源氏の君は三十九歳になり、三歳で引き取られた明石姫も十一歳になっています。
 この年、春宮の元服にあわせて明石姫が入内することが決まっていました。十一歳で入内は少し早い感じがしますが、実は紫式部がお仕えした彰子中宮も、十二歳で一条天皇に入内しています。父の道長は一日でも早く娘を天皇のもとに送り込みたかったのです。源氏も同じです。
そんなわけで、源氏の君とその周辺は姫の入内の準備に明け暮れています。姫の持参するお香を競って用意するところを読みましょう。源氏と紫の上が互いに隠しあって調合しています。原文では源氏は大臣(おとど)、紫の上は上と呼ばれています。

   大臣は、寝殿に離れおはしまして、承和の御いましめの二つの方を、いかでか御耳には伝へたまひけむ、心にしめて合はせたまふ。上は、東の中の放出に、御しつらひことに深うしなさせたまひて、八条の式部卿の御方を伝へて、かたみにいどみ合はせたまふほど、いみじう秘したまへば、「匂ひの深さ浅さも、勝負の定めあるべし」と大臣のたまふ。人の親げなき御あらそひ心なり。いづかたにも、御前にさぶらふ人あまたならず。

 二人ともそれぞれに秘法を尽くして、相手に手の内が知られないように、特別な香を密かに用意していて、その競争心は人の親らしくもないとあります。源氏の君はあちこちに香の調合を依頼しており、朝顔斎院、花散里、明石の君からそれぞれに工夫を凝らしたものが届いていました。斎院から届いたものについて描かれている所を少しだけご紹介しましょう。

  前斎院よりとて、散り過ぎたる梅の枝につけたる御文持て参れり。(略)沈の筥に瑠璃の坏二つすゑて、大きにまろがしつつ入れたまへり。心葉、紺瑠璃には五葉の枝、白きには梅を選りて、おなじくひき結びたる糸のさまも、なよびかになまめかしうぞしたまへる。

 何とも凝ったことがしてあります。梅の枝に手紙を結んだものが添えられた、香木で作った箱の中に紺色と白のグラスが入っていてそれぞれに香が盛られ飾りが付けられています。
 当時の貴族、お金も暇もありあまっていたんですねえ。本当に優雅です。
 四月と決められた姫の入内が近づきます。嫁入り道具の中には、お香の他に草子や絵巻物などもあります。草子を納めた箱の中に入れるべく源氏自らも筆をとり、あちこちに墨と筆と紙を配って何か書いていただきたいと言う依頼もしています。ここで源氏の書論が紫の上を相手に展開されます。紫の上に語りかけている所を一部原文で読みましょう。

  「よろづのこと、昔には劣りざまに、浅くなりゆく世の末なれど、仮名のみなむ、今の世はいと際なくなりたる。(略)女手を心に入れて習ひし盛りに、こともなき手本多くつどへたりしなかに、中宮の母御息所の、心にも入れず走り書いたまへりし一行ばかり、わざとならぬを得て、際ことにおぼえしはや。(略)故入道の宮の御手は、いとけしき深うなまめきたる筋はありしかど、弱きところありて、にほひぞすくなかりし。」

 仮名は当代に優れた書き手が出ていると話し、昔、源氏が女手、仮名を習っていた時に色々な手本を集めた中で六条御息所のものが最高だったとあります。藤壺の書についても語ったあとで、現代の人としては朧月夜・朝顔斎院・紫の上の三人の書が優れているとしています。源氏の、女性としての魅力の評価とこの書の評価がほぼ一致しているのは興味深いことです。
 明石姫の入内準備が進む様子を耳にして、内大臣(昔の頭中将ですね)は悩んでいました。娘雲居の雁と夕霧の幼い恋に腹を立てて、ふたりを引き離したものの、娘は他の男と結婚する気はないのです。ここはこちらが頭を下げるしかないと観念して、藤の花の宴にことつけて自邸に夕霧を招きます。夕霧は父に手紙を見せて、相談します。源氏は、この招待が結婚の申し込みであることを理解、むこうが折れてきたと判断して、息子が招待に応じること、つまり、内大臣家の婿になることを許可し、自分の特別すばらしい衣裳を着せて送り出します。ついに夕霧と雲居の雁との結婚がかなったのです。実に六年にわたる長い恋でした。
さて、同じ四月の中旬、紫の上は賀茂の祭を見物します。源氏はかつての車争いを思い出し、紫の上にそのことを語ります。あの時押しのけた側の葵の上の子夕霧は、臣下に過ぎないが、押しのけられた側であった御息所の子はいまや后というこの上ない位に着いていることを思うと感慨深いものがあると。このあたりから現在に過去を重ねてみる源氏の視点がしばしば登場するようになります。
そして同じ四月の二十日過ぎにはいよいよ明石姫君が入内。この時、明石の君は成長したわが子と対面します。八年ぶりのことでした。紫の上が、まだ幼い姫には常に付き添う人が必要だか自分はずっとお側にいるわけにはゆかないから、と入内後の母親役を実母明石の君に譲ることを源氏の君に申し出たのです。その場面原文で読みましょう。

  上も、つひにあるべきことの、かく隔たりて過ぐしたまふを、かの人も、ものしと思ひ嘆かるらむ、この御心にも、今はやうやうおぼつかなく、あはれにおぼし知るらむ、かたがた心おかれたてまつらむもあいなし、と思ひなりたまひて、「このをりに添へたてまつりたまへ。まだいとあえかなるほどもうしろめたきに、さぶらふ人とても、若々しきのみこそ多かれ。御乳母たちなども、見及ぶことの心いたる限りあるを、みづからは、えつとしもさぶらはざらむほど、うしろやすかるべく」と聞こえたまへば、いとよくおぼし寄ることかなとおぼして、「さなむ」とあなたにもかたらひのたまひければ、いみじくうれしく、思ふことかなひ果つるここちして、人の装束、何かのことも、やむごとなき御ありさまに劣るまじくいそぎたつ。

 紫の上の申し出を源氏は歓迎し、それを伝えられた明石君はもちろん大喜びで準備に奔走するのでした。源氏の君の宿願であった娘の入内が実現し、懸案であった長男夕霧の結婚も無事成立し、源氏は出家を本気で考えます。
 一方、世間では翌年の源氏の四十の賀に向けて、あちらこちらで様々な準備が進められていました。かねてから父親に対して臣下の待遇をしていることを気に病んでいた冷泉帝は、この機会を利用、前祝いとして、源氏には准太上天皇という特別な位を贈りました。そして、息子夕霧は中納言、内大臣は太政大臣にそれぞれ昇進しました。
 その年の十月二十日過ぎに、六条院に帝院そろっての行幸がありました。臣下の所に帝と院が揃っておいでになる、これは前代未聞のことでした。お迎えした場面を読みましょう。

  神無月の二十日あまりのほどに、六条の院に行幸あり。紅葉の盛りにて、興あるべきたびの行幸なるに、朱雀院にも御消息ありて、院さへわたりおはしますべければ、世にめづらしくありがたきことにて、世人も心おどろかす。あるじの院がたも、御心を尽くし、目もあやなる御心まうけをせさせたまふ。(略)
未くだるほどに、南の寝殿に移りおはします。道のほどの反橋、渡殿には錦を敷き、あらはなるべき所には軟障を引き、いつくしうしなさせたまへり。東の池に船ども浮けて、御厨子所の鵜飼の長、院の鵜飼を召し並べて、鵜をおろさせたまへり。小さき鮒ども食ひたり。

 お二人が通られる道筋には錦が敷かれ、お庭の池には舟を浮かべて鵜飼いを御覧になれるようにしたとあります。今を盛りの紅葉に照り映える庭、楽の音が響き童が舞う。感極まった貴人たちも、琴を爪弾き歌いださずにはいられない。帝と源氏の、そして夕霧の、みやびやかに、お美しいよく似たお顔がならぶ。舞台はまさに最高潮に達して源氏物語第一部はその幕を閉じます。まるで宝塚の舞台を見ているような気分になってきます。
 源氏の君は、准太上天皇という特別な位につき、「帝王でもないが、臣下でもない」という冒頭部の予言の謎が明かされ、すべての予言が完璧に実現したことになります。めでたしめでたしというわけで、旧来の物語の枠組みに留まるならば、物語はここでおわります。けれども、紫式部は源氏の出世物語ではなく、源氏の「人生」を描こうとしているのです。そう、前回にも申し上げましたが、ロマンに満ちた、夢物語ではなく、現実の人生を描こうとしているのです。
 ここからいわゆる源氏物語第二部が始まります。さあこの先彼が歩むことになるのは、どんな人生なのでしょうか。






文:岸本久美子
【引用】新潮日本古典集成より


次回「若菜」2021年11月5日配信

YouTube動画中の「源氏物語手鑑」につきまして。和泉市久保惣記念美術館デジタルミュージアム許可のもと引用しています🔗