二、あさましき御宿世

義理の母 藤壺の宮
二「あさましき御宿世」



 源氏の君につきまとわれて、「藤壺の宮との逢瀬を」と迫られた王命婦は、どのような手を使ったのか無理な算段をして、ある夜、ついに源氏を藤壺の元に導いたのでした。以前一度犯してしまった罪を二度と繰り返すことはすまいと固く心に誓っていた藤壺、身近にお仕えする女房にもそのことは勿論言い含めてありました。それでも、王命婦は源氏の君の熱意に負けたということでしょうか、手引きをしてしまいました。その密会の場面を原文で読みましょう。

  いかがたばかりけむ、いとわりなくて見たてまつるほどさへ、うつつとはおぼえぬぞ、わびしきや。宮もあさましかりしをおぼしいづるだに、世とともの御もの思ひなるを、さてだにやみなむと深うおぼしたるに、いと心憂くて、いみじき御けしきなるものから、なつかしうらうたげに、さりとてうちとけず、心深うはづかしげなる御もてなしなどの、なほ人に似させたまはぬを、などか、なのめなることだにうちまじりたまはざりけむと、つらうさへぞおぼさるる。

 寝室で男に襲われたという時、女房が手引きしているのですから、女君はもう逃れる術はありません。身近にいて自分を守ってくれるはずの女房は男の側についているわけですから。女三宮の場合などは典型的です。一番身近にお仕えする小侍従が宮の元に柏木を導き入れたのですからどうしようもありませんよね。そして、この藤壺の宮の場合も同じです。義理の息子との密会という罪を再び犯すことの怖ろしさに震えながらも、拒絶することはできません。ただ、女三宮の場合とは違って、元々藤壺は若くて美しい光源氏の魅力も知っています。藤壺の対応は、辛く悲しそうな様子でありながらも、その一方で優しさも愛らしさも感じられるものでした。その優雅で気品あふれるお姿に源氏は一層藤壺への思いを募らせたのでした。初夏の短夜のこと、やがて夜明けが近づきます。原文で読みましょう。

  何ごとをかは聞こえ尽くしたまはむ。くらぶの山に宿りも取らまほしげなれど、あやにくなる短夜にて、あさましうなかなかなり。
見てもまた逢ふ夜まれなる夢のうちに
やがてまぎるるわが身ともがな
とむせかへりたまふさまも、さすがにいみじければ、
    世語りに人や伝へむたぐひなく
       憂き身をさめぬ夢になしても
おぼし乱れたるさまも、いと道理にかたじけなし。命婦の君ぞ、御直衣などは、かき集め持て来たる。殿におはして泣き寝に臥し暮らしたまひつ。

 「こんなにすぐに別れの時がくるのならかえって逢わない方が良かったくらいだ」と源氏は涙して「またお逢いすることができるとも思えないのでいっそのことこのまま夢 の中に紛れて消えてしまいたい」と歌を詠みかけます。それに対して藤壺は「私の、類なく辛いこの身を、覚めることのない夢の中に葬ったとしても、この秘密は人が語り伝えるのではないでしょうか」と返して思い乱れた様子を隠せません。引用部の最後の、命婦が源氏の脱ぎ散らした衣装をかき集めて持ってきてお帰りをせかすところはちょっと笑えます。この密会は四月のことでした。そしてこの時、なんと、藤壺は源氏の子を宿したのでした。病状が快方に向かわぬまま里下がりを続けるうちに、藤壺は体調の変化に気づきます。とんでもないことです。宮自身も「あさましき御宿世」つまり、あきれるような前世からの因縁だと感じたとあります。帝の妃でありながら帝以外の男性の子を身籠るなどと言うことはありえないことで、誰もまさかそんなことが起こっているとは思いません。誰かに相談することなど勿論できませんから藤壺はひとり悩んでいます。三ヵ月になって周りの者が藤壺の妊娠に気づき、なぜ今まで帝に報告しなかったのかとあきれています。普通ならとんでもなくめでたいことなわけですから。そのあたりを原文で読みましょう。
  
  宮も、なほいと心憂き身なりけりとおぼし嘆くに、なやましさもまさりたまひて、とく参りたまふべき御使しきれど、おぼしも立たず。まことに御ここち例のやうにもおはしまさぬはいかなるにかと、人知れずおぼすこともありければ、心憂く、いかならむとのみおぼし乱る。暑きほどはいとど起きもあがりたまはず。三月になりたまへば、いとしるきほどにて、人々見たてまつりとがむるに、あさましき御宿世のほど心憂し。人は思ひ寄らぬことなれば、この月まで奏せさせたまはざりけることと、おどろききこゆ。わが御心一つにはしるうおぼしわくこともありけり。

 藤壺のお腹の子が源氏の君の子であると気づいているのは、藤壺本人と、親しく身の回りのお世話をする二人の女房、命婦と弁でした。お風呂のお世話などもするので自然にわかってしまうのです。ただ、そのことは口に出して言うわけにはゆきません。前世からの逃れがたい因縁だったのだと命婦はあきれ果てる思いでした。そして宮中には物の怪のせいで、身籠られたことがわからなかったのだと報告をしたのでした。
 
  御湯殿などにも親しうつかうまつりて、何ごとの御けしきをもしるく見たてまつり知れる、御乳母子の弁、命婦などぞ、あやしと思へど、かたみに言ひあはすべきにあらねば、なほのがれがたかりける御宿世をぞ命婦はあさましと思ふ。内裏には、御もののけのまぎれにて、とみにけしきなうおはしましけるやうにぞ奏しけむかし。見る人もさのみ思ひけり。いとどあはれに限りなうおぼされて、御使などのひまなきもそら恐ろしう、ものをおぼすこと、ひまなし。

 帝にとっては、最愛の藤壺の宮が我が子を身籠ったということはとてつもなく嬉しいことでした。そのことを知った帝は、藤壺へのいとしさが一層募り、早く参上するようにという矢の催促です。藤壺はそれがまた恐ろしく、この秘密がいつ現れることかと心を痛める日々が続いたのでした。
 一方の源氏も、不思議な夢を見てそれを夢占いの者に解かせたところ、思いもかけないようなことが起こるがそれにつけても身を慎まねばならないいうような夢解きだったのです。ちょうどその頃藤壺懐妊の噂を聞いてピンと来たのでした。それにつけても、また藤壺に逢いたいと懇願するのですが、命婦も恐ろしいことになったと思っていて力にはなってくれません。お手紙を差し上げても藤壺からは一行のお返事もいただけないのでした。そして7月になって藤壺の宮は宮中に戻りました。少しお腹はふっくらしてきて、お顔はほっそりなさっている藤壺の様子はなんとも素晴らしくて帝はもう藤壺のもとに入りびたりです。原文で読みましょう。

  七月になりてぞ参りたまひける。めづらしうあはれにて、いとどしき御思ひのほど限りなし。すこしふくらかになりたまひて、うちなやみ、面痩せたまへる、はた、げに似るものなくめでたし。例の、明け暮れこなたにのみおはしまして、御遊びもやうやうをかしき空なれば、源氏の君も暇なく召しまつはしつつ、御琴、笛など、さまざまにつかうまつらせたまふ。いみじうつつみたまへど、忍びがたきけしきの漏り出づるをりをり、宮も、さすがなる事どもを多くおぼし続けけり。

 頃は初秋、そろそろ秋風の吹くころです。管弦の催しも興を増す頃とあって、帝は、源氏の君も毎日のように呼んで、琴や笛の演奏をお命じになるのでした。源氏は乱れる心が音色に表れないようにと務めるのですが、それでもともすれば藤壺への思いがほとばしり出てしまいます。御簾の奥で耳を傾ける藤壺にもそれは伝わり、密かに心を乱すのでした。さあこの不義の子は無事に誕生するのでしょうか。続きは次回に回しましょう。










文:岸本久美子
【引用】新潮日本古典集成より


第四章 通り過ぎた女君たち 其の四 義理の母藤壺の宮 第三話「御心の鬼」は2025年7月10日配信
YouTube動画中の「源氏物語手鑑」につきまして。和泉市久保惣記念美術館デジタルミュージアム許可のもと引用しています🔗