朱雀院六、山路のほだし

若菜上

第3章 脇役に徹した男朱雀院 其の六「山路のほだし」

 

 前回お話ししたように出家を急ぐ朱雀院の心残りは鍾愛の娘女三宮のことです。光源氏に託すことを心のうちには決めているのですが、そのことをまだ源氏に話してさえいません。ただ周囲にはこんなことを言っています。若いころより年を重ねて一層すばらしくなられた。まじめにされていても、冗談をおっしゃっていても、こんな魅力的な人は他にはない、よほど前世で徳を積まれたのだろう、と六条の君つまり源氏を絶賛しているのです。原文です。

 「まことに、かれはいとさま異なりし人ぞかし。今はまたその世にもねびまさりて、光るとはこれを言ふべきにやと見ゆるにほひなむ、いとど加はりにたる。うるはしだちて、はかばかしきかたに見れば、いつくしくあざやかに、目も及ばぬここちするを、また、うちとけて、たはぶれごとをも言ひ乱れ遊べば、そのかたにつけては似るものなく愛敬づき、なつかしくうつくしきことの並びなきこそ、世にありがたけれ。何ごとにも前の世おしはかられて、めづらかなる人のありさまなり」

 そして、宮がもう少ししっかりするまで手元で育てたいと出家を我慢してきたが、体調も悪く、これ以上のばすことはできない、他の男では難しいけれど、源氏の君なら幼い娘をうまく扱ってくれるだろう、こんなふうに。彼以外に娘を託す人は考えられないとはっきり断言しているのです。再び朱雀院の言葉を原文で読みましょう。

 「今少しものをも思ひ知りたまふほどまで見過ぐさむとこそは、年ごろ念じつるを、深き本意も遂げずなりぬべきここちのするに思ひもよほされてなむ。かの六条の大殿は、げに、さりともものの心得て、うしろやすきかたはこよなかりなむを、かたがたにあまたものせらるべき人々を知るべきにもあらずかし。とてもかくても人の心からなり。のどかにおちゐて、おほかたの世のためしとも、うしろやすきかたは並びなくものせらるる人なり。さらでよろしかるべき人、誰ばかりかはあらむ」

 こうして朱雀院とその周囲は宮の降嫁先を源氏と決め、体調のすぐれないのを我慢しつつ、盛大な裳着の儀式を執り行ったうえで、その三日後に朱雀は出家を断行したのでした。
原文です。

  年も暮れぬ。朱雀院には、御ここちなほおこたるさまにもおはしまさねば、よろづあはたたしくおぼし立ちて、御裳着のことおぼしいそぐさま、来し方行く先ありがたげなるまで、いつくしくののしる。御しつらひは、柏殿の西面に、御帳、御几帳よりはじめて、ここの綾錦はまぜさせたまはず、唐土の后の飾りをおぼしやりて、うるはしくことことしく、かがやくばかりにととのへさせたまへり。(略)御ここちいと苦しきを念じつつ、おぼし起こして、この御いそぎ果てぬれば、三日過ぐして、つひに御髪おろしたまふ。

 こうして長年の念願かなって出家した朱雀を源氏が見舞います。直接源氏と話す機会がようやく訪れたのです。朱雀は、あれこれと前置きしたあとで、女三宮を預けたいと申し出たのでした。この頃までにはそれとなく朱雀側の意向も漏れ聞こえていたと思われ、源氏の君にとっては、寝耳に水という感じではなかったと思われます。「わたしのような年齢ではこの先どれほどお世話できるかわかりませんが」といいつつ引き受けたのでした。源氏のその返事を受けてその夜は精進料理ではありますが大宴会になったのでした。
 それにしても、一三、四の娘を自分と三歳しか違わない弟に嫁がせるとうのはどういう感じでしょうか。朱雀は善意の人です。娘にとっても源氏にとっても良かれと思っての決断でしたが、この朱雀の決断は、周囲に様々な不幸をもたらす種をまいたことになったのでした。
やがて年が明け、二月になって女三宮の六条院降嫁が行われました。送り出す朱雀の側もお迎えする源氏の側も当然のことながら気合が入っています。豪勢な儀式に華やかな宴が続いたのでした。それを終えて朱雀院は元の住まいを出て、西山のお寺に移られたのでした。 そしてその寺から、娘のことをよろしく頼むという手紙が、度々、源氏に届きます。朱雀は、とにかく娘のことが心配で心配でたまらないのです。原文です。

  院の帝は、月のうちに御寺にうつろひたまひぬ。この院にあはれなる御消息ども聞こえたまふ。姫宮の御ことはさらなり、わづらはしくいかに聞くところやなど、憚りたまふことなくて、ともかくも、ただ御心にかけてもてなしたまふべくぞ、たびたび聞こえたまひける。されど、あはれにうしろめたく、幼くおはするを思ひきこえたまひけり。

 紫の上にも手紙が届きます。行き届かないところのある娘だけれどあなたとは縁のないこともない娘でもありますからどうか大目に見てやってくださいと。女三宮と紫の上は同じ帝を祖父としていて血のつながりがあるのです。原文です。

  紫の上にも、御消息ことにあり。
をさなき人の、ここちなきさまにてうつろひものすらむを、罪なくおぼしゆるして後見たまへ。尋ねたまふべきゆゑもやあらむとぞ。
背きにしこの世に残る心こそ入る山路のほだしなりけれ
闇をはるけで聞こゆるも、をこがましくや。
とあり。

 女三宮が来てからも、六条院は紫の上の抑制の効いた差配によって秩序は保たれていました。紫の上は女三宮と直接あって話をしたりして、仲の良さをアピールしたりもしています。そうやって、宮の降嫁後七年あまりが表向き何事も無く過ぎました。けれども紫の上は、身分も高く、若い女三宮にいつかは源氏の心が移るのではないかと御降嫁の時から強い危惧を抱いていました。そして、それ以上に、源氏に対して抱いていた信頼が幻想であったことに傷ついていたのでした。

 その年の秋のころに、朱雀はますます病気がちとなり、娘にもう一度会わせてくれるように源氏に頼みます。そこで源氏はその翌年が朱雀の五十の賀の年であることから、翌春に女三宮主催の賀宴を企画したのでした。その際に女三宮に琴を弾かせて朱雀を喜ばせようと計画し、冬の間毎日手をとって教え込みます。源氏の愛する古風な楽器、琴の琴です。紫の上は、毎晩、寂しい思いで二人の奏でる琴の音を聞いたのでした。そして新春二十日ごろに源氏は、女三宮のリハーサルを兼ねて、六条院で女楽の夕べを開きました。源氏の自慢の女君たち――女三宮、紫の上、明石女御、明石の君――を集めてそれぞれに得意な琴や琵琶を弾かせるという優雅なそしてきらびやかな催しです。
 その翌日、つもりに積もったストレスから、紫の上は倒れ、一時は危篤状態に陥ったのでした。慌てた源氏は、紫の上を二条院にうつして看病に明け暮れることになりました。そのあいだ六条院はすっかり人少なになり、青年柏木が、小侍従という女房の手引きで女三宮のもとに忍び込みます。そしてその結果、女三宮は不幸にも柏木の子を宿し、しかも、彼女の不注意からそのことを源氏に知られてしまったのでした。この事実は源氏をどん底に突き落としました。若い男に妻を奪われ、しかも、その男のものであると知りつつ生まれた子をわが子として世間に披露しなくてはならない。どこにも屈辱感と怒りをぶつけることの出来ない源氏の苦悩は深く、必然的に、女三宮のもとからは足が遠のいたのでした。懐妊した宮は、心の責め苦もあるせいか、月を重ねるにつれて体調悪さが募り、二月にと計画された宮主催の、院の五十の賀は延引を重ねることとなったのでした。









文:岸本久美子
【引用】新潮日本古典集成より


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YouTube動画中の「源氏物語手鑑」につきまして。和泉市久保惣記念美術館デジタルミュージアム許可のもと引用しています🔗