八、香壺

野分 梅枝 藤の裏葉

香壺

 六条院に移り住んだその年の秋、例年になく激しい台風がやってきました。夕刻、ますます吹き募る風の中を息子夕霧が風見舞いにやってきました。ちなみに彼は同じ六条院の夏の舘花散里の元で暮らしています。父はこれまで決して彼に紫の上の姿は見せてはくれませんでした。しかし、この日、夕霧は、偶然紫の上の姿を垣間見してしまいます。風のために視線をさえぎる屏風や几帳が片付けられていたお蔭でした。その場面を原文で読みましょう。中将の君とあるのが夕霧です。南の御殿は紫の上が姫や源氏の君とともに住む春の舘のことです。

  南の御殿にも、前栽つくろはせたまひけるをりにしも、かく吹き出でて、もとあらの小萩、はしたなく待ちえたる風のけしきなり。折れ返り、露もとまるまじく吹き散らすを、すこし端近くて見たまふ。大臣は姫君の御方におはしますほどに、中将の君参りたまひて、東の渡殿の小障子の上より、妻戸のあきたる隙を、何心もなく見入れたまへるに、女房のあまた見ゆれば、立ちとまりて、音もせで見る。御屏風も、風のいたく吹きければ、押し畳みよせたるに、見通しあらはなる廂の御座にゐたまへる人、ものにまぎるべくもあらず、気高くきよらに、さとにほふここちして、春の曙の霞の間よりおもしろき樺櫻の咲き乱れたるを見るここちす。あぢきなく見たてまつるわが顔にも移り来るやうに、愛敬はにほひ散りて、またなくめづらしき人の御さまなり。御簾の吹きあげらるるを、人々押へて、いかにしたるにかあらむ、うち笑ひたまへる、いといみじく見ゆ。

 この日紫の上は庭の花々が心配で端近、外に近い所に出て座っていました。他に大勢いる女房たちとははっきり違う、匂い立つようなお姿に夕霧の目は吸いつけられます。これまで父がこの義理の母を自分から遠ざけていた理由を彼ははっきり悟ったのでした。もっと見ていたかったけれど恐ろしくなってその場から立ち去ったちょうどその時、姫君の部屋に行っていた源氏が戻ってきました。そして紫の上に向かって、「こんなに戸を開けて、外から見られたんじゃないか」と言っているのが聞こえます。夕霧はどきりとして別の方向から歩み寄って、今来たというふりをして咳払いをしたのでした。その夜一晩中台風は吹き荒れました。翌日の早朝再び夕霧は春の舘にやってきます。紫の上の気配でも感じたいと思いつつです。近づいてみるとふたりの会話が聞こえてきました。紫の上の声は聞こえませんが、ふたりが冗談を言って笑い合っているのがわかります。夕霧はお二人のいかにも幸せそうな仲らいを心からうらやましく思ったのでした。原文です。

  何事にかあらむ、きこえたまふ声はせで、大臣うち笑ひたまひて、「いにしへだに知らせたてまつらずなりにし、暁の別れよ。今、ならひたまはむに、心苦しからむ」とて、とばかりかたらひきこえたまふけはひども、いとをかし。女の御いらへは聞こえねど、ほのぼの、かやうに聞こえたはぶれたまふ言の葉のおもむきに、ゆるびなき御仲らひかなと、聞きゐたまへり。

 玉鬘という養女の件が源氏の君の心を乱したという時期もありましたが、六条院には、まずまず平穏な歳月が流れ、十一歳になった明石姫の裳着を行う頃となりました。入内させることを予定している春宮の元服に合わせたものでした。源氏の君も紫の上も一人娘の裳着、入内の準備に夢中です。中でも入内の折に持参させる薫物・お香ですね、その準備はすぐにはできないので、前々からあちこちに依頼もしています。源氏も紫の上も互いに隠して秘法を尽くして香を作ったとあります。二月になって、秋好む中宮が腰結役をして裳着の儀式が盛大に行われました。子の時とありますから、真夜中です。行事は夜行われることが多かったようですが、それにしても真夜中とは。ともあれ、紫の上はこの儀式に母親として付き添っています。さぞ晴れやかな気持ちだったことでしょう。一方で、一抹のさびしさがあったかもしれませんね。裳着の場面を少しご紹介しましょう。

 (明石姫は)かくて西の御殿に、戌の時にわたりたまふ。宮のおはします西の放出をしつらひて、御髪上の内侍なども、やがてこなたに参れり。上(紫の上)も、このついでに、中宮に御対面あり。御方々の女房、押しあはせたる、数しらず見えたり。子の時に御裳たてまつる。大殿油ほのかなれど、御けはひいとめでたしと、宮は見たてまつりたまふ。(略)母君のかかるをりだにえ見えたてまつらぬを、いみじと思へりしも心苦しうて、まう上らせやせましとおぼせど、人のもの言ひをつつみて過ぐしたまひつ。

 源氏の君は、この晴れやかな儀式に実母の明石の君を参列させないのは気の毒に思ったけれど、世間の噂を憚って思いとどまったとあります。あくまでも紫の上の娘として姫はこの場に存在したのでした。
そして、明石姫の入内は四月二十日過ぎと決まり、準備万端整いました。紫の上はその前の四月半ば、賀茂の祭にでかけました。暁方に賀茂の社におまいりして、その帰りに勅使の行列を御覧になったとあります。源氏の君の北の方としての威光がうかがい知れる場面です。原文です。対の上とあるのが紫の上です。また、御形(みあれ)が賀茂の祭のことです。

  対の上、御形にまうでたまふとて、例の御方々いざなひきこえたまへど、なかなか、さしも引き続きて心やましきをおぼして、誰も誰もとまりたまひて、ことことしきほどにもあらず、御車二十ばかりして、御前などもくだくだしき人数多くもあらず、ことそぎたるしも、けはひことなり。祭の日の暁にまうでたまひて、かへさには、物御覧ずべき御桟敷におはします。御方々の女房、おのおの車引き続きて、御前、所占めたるほどいかめしう、かれはそれと、遠目よりおどろおどろしき御勢なり。

 他の方々をお誘いになったけれど皆遠慮なさったので、万事控えめにしてお出かけになったけれども、やはり人目をひいたとあります。そして、帰りに行列見物をなさった時の桟敷の様子は、あれが源氏の大臣の北の方の御物見であると、遠目にもはっきりわかるまばゆいほどの御威勢であったとあります。この頃が光源氏にとっても紫の上にとっても絶頂期であったのではないでしょうか。
そして、いよいよ姫君入内の日が近づきました。この日に向けて紫の上はある決心をしていました。それは、実母明石の君を姫のお世話係として呼び寄せようということでした。実は、これは、源氏も密かに思っていたことでした。姫がまだ十一歳という幼さであることを考えると、母親が側に付き添うのが望ましい、しかし、紫の上が今後ずっと宮中で姫のお側に付き添うことはできない・・・・実母を呼び寄せるのがよいが、紫の上はどう思うだろうかと切り出せずにいたのです。そのことを紫の上の方から言い出してくれたので源氏の君は胸をなでおろし、同時にこの人の行き届いた配慮にあらためて感謝したのでした。原文で読みましょう。

 (紫の上)「このをりに添へたてまつりたまへ。まだいとあへかなるほどもうしろめたきに、さ
ぶらふ人とても、若々しきのみこそ多かれ。御乳母たちなども、見及ぶことの心いたる限りあるを、みづからは、えつとしもさぶらはざらむほど、うしろやすかるべく」と聞こえたまへば、いとよくおぼし寄ることかなとおぼして、「さなむ」とあなたにもかたらひのたまひければ、いみじくうれしく、思ふことかなひ果つるここちして、人の装束、何かのことも、やむごとなき御ありさまに劣るまじくいそぎたつ。

 そのことを告げられた明石君は望みが叶ったと大喜びでした。そうして迎えた当日、美しく装った姫の姿を見て、紫の上はこの子が実の子であったらと思わずにはいられないのでした。源氏の君も夕霧も同じ思いです。三日目までの結婚の儀式を終えて紫の上は明石君にバトンタッチして退出します。二人の初めての対面です。紫の上の方から「姫君がこんなに大きくなられたことから考えても私たちのご縁は長いということになりますわね」と声を掛けています。原文です。上が紫の上、大臣が源氏、宰相の君が夕霧です。

  限りもなくかしづきすゑたてまつりたまひて、上(紫の上)はまことにうつくしと、あはれに思ひきこえたまふにつけても、人にゆづるまじうまことにかかることもあらましかばとおぼす。大臣も、宰相の君も、ただこのことひとつをなむ、飽かぬことかなとおぼしける。三日すごしてぞ、上はまかでさせたまふ。たちかはりて、参りたまふ夜、御対面あり。「かくおとなびたまふけぢめになむ、年月のほども知られはべれば、うとうとしき隔ては残るまじくや」と、なつかしうのたまひて、物語などしたまふ。これもうちとけぬるはじめなめり。ものなどうち言ひたるけはひなど、むべこそはと、めざましう見たまふ。

 紫の上は初めて会った明石の君の様子をみて、なるほど殿がお気に召すのももっともな方と思い、明石の君の方でもやはり紫の上様は素晴らしいお方だと思って互いに感心しあっています。この後紫の上は退出するのですが、それが女御と同じ待遇で、御輦車によるものでした。それを見送る明石君はやはり身分はかけ離れていると感じたのでした。
 これからは明石君がずっと宮中で姫のお側にいてお世話をすることになります。紫の上が姫に会うのは姫が里下がりをして六条院に帰って来た時だけとなったのでした。まあ嫁に行ったのですから当然ですけどね。明石姫の入内という大仕事を終えてちょっと気の抜けた源氏の君と紫の上でしたが、同じ年の秋には源氏が准太上天皇という位を授けられ冬には六条院に帝と院がそろってお出ましになるといっためでたく晴れがましい出来事がさらに続いたのでした。紫の上は表にでることは無いけれどもなにかと心遣いをする場面も多かったことと思われます。そういうめでたいことの続いた年も暮れ、次の年には紫の上にとって大きな出来事が起こります。そこから次回に回しましょう。








文:岸本久美子
【引用】新潮日本古典集成より


次回第九回 「うつろふ青葉」 2022年6月2日配信
YouTube動画中の「源氏物語手鑑」につきまして。和泉市久保惣記念美術館デジタルミュージアム許可のもと引用しています🔗