九、うつろふ青葉

若菜上

うつろふ青葉

 明石姫の入内のあった同じ年の冬、朱雀院は出家を決意され、鍾愛の娘女三の宮を源氏に託すことを決めました。源氏は、気は進まぬながらも朱雀院のたっての頼みを断りきれず、女三宮を迎えることになりました。長く空いていた正妻の座を女三宮が占めることになったのです。このことを紫の上に打ち明けるのが辛くて源氏は帰宅してもそれを言い出すことができません。翌日は朝から雪の降りしきる日となりました。しみじみした気配の一日を二人でゆっくり過ごし、源氏は朱雀院から女三宮を託されたことをおもむろにうちあけたのでした。「人伝ならば御断りもできたのだが、直接のお話だったので、御断りできなかった・・」と。そして、「あなたにとっては面白くないことでしょうが、どんなことがあってもあなたに対する私の気持ちは決してかわらないから」と心を込めて話したのでした。ちょっとした浮気にも嫉妬する人だからと源氏はおそるおそる打ち明けたのですが、紫の上は平然として、朱雀院の父親としてのお気持ちがおいたわしいと言い、「目障りだと言われたりしなければここに居させていただきます」と予想外の反応でした。源氏は胸をなでおろしたのですが、紫の上の心中は複雑でした。紫の上の想いを原文で読みましょう。

  心のうちにも、かく空より出で来にたるやうなることにて、のがれたまひがたきを、憎げにも聞こえなさじ、わが心に憚りたまひ、いさむることに従ひたまふべき、おのがどちの心よりおこれる懸想にもあらず、せかるべきかたなきものから、をこがましく思ひむすぼほるるさま、世人に漏り聞こえじ、式部卿の宮の大北の方、常にうけはしげなることどもをのたまひ出でつつ、あぢきなき大将の御ことにてさへあやしく恨み嫉みたまふなるを、かやうに聞きて、いかにいちじるく思ひ合はせたまはむ、など、おいらかなる人の御心といへど、いかでかはかばかりの隈はなからむ。今はさりともとのみ、わが身を思ひあがり、うらなくて過ぐしける世の、人笑へならむことを、下には思ひ続けたまへど、いとおいらかにのみもてなしたまへり。

 源氏の君も逃れられずにお引き受けになったことではあるし、恨めし気なふりをしたり、落ち込んだ様子を世間の人に見せるようなことはすまい、とおもいつつも、紫の上の幸運を嫉み、憎んでおいでの継母がこの話をどれほどほくそ笑んでお聞きになるだろうなどと思えば紫の上も心の内は平静ではありません。それでもあくまでもそういう気持ちは押し隠して日々を過ごすのでした。
年が変わり光源氏は四十の賀を迎える年です。紫の上も三十二歳になっています。新年早々養女格の玉鬘主宰の賀がありそれに引き続いて二月には女三宮が華々しく降嫁してこられました。この宮はまだ十四歳という若さです。原文です。

  対の上も、ことにふれて、ただにもおぼされぬ、世のありさまなり。げに、かかるにつけて、こよなく人に劣り消たるることもあるまじけれど、また並ぶ人なくならひたまひて、はなやかに、生ひ先遠く、あなづりにくきけはひにてうつりたまへるに、なまはしたなくおぼさるれど、つれなくのみもてなして、御わたりのほども、もろ心に、はかなきこともし出でたまひて、いとらうたげなる御ありさまを、いとどありがたしと思ひきこえたまふ。

 御降嫁に当たって紫の上は不安を押し隠して、ちょっとした準備なども源氏の君を手伝います。その姿に源氏の君は本当に滅多にないありがたい方だと改めて感謝の気持が湧くのでした。源氏には紫の上がひたすら隠している心のうちを推し測ることはできないのでした。

  年ごろさもやあらんと思ひしことどもも、今はとのみ、もて離れたまひつつ、さらばかくにこそはとうちとけ行く末に、ありありて、かく世の聞き耳もなのめならぬことの出で来ぬるよ。思ひ定むべき、世のありさまにもあらざりければ、今よりのちも、うしろめたくぞおぼしなりぬる。さこそつれなくまぎらはしたまへど、さぶらふ人々も「思はずなる世なりや。あまたものしたまふやうなれど、いづかたも皆、こなたの御けはひにはかたさり憚るさまにて過ぐしたまへばこそ、ことなくなだらかにもあれ、(略)かならずわづらはしきことども出で来なむかし」などおのがじしうちかたらひ、嘆かしげなるを、つゆも見知らぬやうに、いと、けはひをかしく物語などしたまひつつ、夜更くるまでおはす。かう人のただならず言ひ思ひたるも、聞きにくしとおぼして、「かくこれかれあまたものしたまふめれど、御心にかなひて、いまめかしくすぐれたる際にもあらずと目馴れて、さうざうしくおぼしたりつるに、この宮のかくわたりたまへるこそ、めやすけれ、(略)」などのたまへば、中務・中将の君などやうの人々、目をくはせつつ「あまりなる御思ひやりかな」など言ふべし。

 この頃となっては源氏の君もすっかり落ち着かれてもう安心と思っていた今頃になってこんなことになるとは・・・と紫の上はこの先を不安に思いながらも、女房達がこの件で源氏を非難するのを耳にすると「いえいえお若い方が来て下さって源氏の君もお喜びでしょうし、私も喜んでいるのよ」などと言ってたしなめ、女房達をあきれさせています。
源氏は女三宮があまりにも幼く、かわいらしくはあるものの、魅力に欠けると感じていて、ますます紫への思いを強くするのでした。そうして紫の上への愛情は源氏の中で確固たるものになって行ったのですが、なぜか、その一方で、源氏はかつての恋人、朱雀院の妻であった朧月夜との逢瀬をもったのでした。紫の上はそのことに気づいて、女三宮様の御降嫁だけでも辛いのにその上また、今さらのようにかつての恋人のもとに行かれるなんて・・・・とたまらない気持ちです。明け方になってこっそり戻って来られた源氏の君を迎える紫の上、原文です。

  いみじく忍び入りたまへる、御寝くたれのさまを、待ち受けて、女君さばかりならんと心得たまへれど、おぼめかしくもてなしておはす。なかなかうちふすべなどしたまへらむよりも、心苦しく、などかくしも見放ちたまへらむとおぼさるれば、ありしよりけに深き契りをのみ、長き世をかけて聞こえたまふ。

 源氏はいろいろ言い訳をして、紫の上をなぐさめるのですが「今めかしくもなりかへる御
ありさまかな。むかしを今にあらため加へたまふほど、中空なる身のため心苦しく」と、紫の上は安定しないわが身の不安を涙ぐんで訴えずにはいられなかったのでした。
 この年の夏、明石姫は懐妊して六条院に里下がりされることになり、女三宮と同じ寝殿の、東面に御座所がしつらえられました。源氏の君は早速寝殿に行って姫(原文では女御の君となっています)に会い、宮にも会ってから、離れの紫の上の所に戻って来ました。そして、若くてかわいらしい二人以上にこの長年連れ添った妻が魅力的であることを改めて発見して驚いたのでした。原文で読みましょう。

  院わたりたまひて、宮、女御の君などの御さまどもをうつくしうもおはするかなとさまざま見たてまつりたまへる御目うつしには、年ごろ目馴れたまへる人のおぼろけならむが、いとかくおどろかるべきにもあらぬを、なほたぐひなくこそはと見たまふ、ありがたきことなりかし。あるべき限り気高うはづかしげにととのひたるに添ひて、はなやかに今めかしく、にほひなまめきたるさまざまのかをりも、取りあつめ、めでたき盛りに見えたまふ。(略)ことに触れて心苦しき御けしきの、下にはおのづから漏りつつ見ゆるを、事なく消ちたまへるも、ありがたくあはれにおぼさる。

 紫の上の、ほかには例をみない気高い美しさに今さらながら驚嘆し、また女三宮の件で辛い思いをしているだろうにそれを務めてかくすようにふるまういじらしさにも改めて思いをいたしたのでした。それなのに、それなのに、この夜、紫の上が姫と宮に会いに行くことになると、それなら自分は暇だとばかりに、また朧月夜の元に忍んだのでした。 なんて奴でしょう。紫の上はその夜、予定通り、明石姫に会いに行って、そのついでということで女三宮にも挨拶に行き語り合ったのでした。少しだけ原文を紹介します。

  春宮の御方は実の母君よりも、この御方をばむつましきものに頼みきこえたまへり。いとうつくしげにおとなびまさりたまへるを、思ひ隔てず、かなしと見たてまつりたまふ。御物語などいとなつかしく聞こえかはしたまひて、中の戸あけて、宮にも対面したまへり。

 実母が側にいるようになった今も明石姫は紫の上の方に心を寄せていたとあります。久しぶりに会う姫を紫の上はしみじみ愛しく思ったのでした。そしてそのあとで宮に会ったのですが、その幼く無邪気な様子に、宮に対しても、母親のような気持ちになったのでした。









文:岸本久美子
【引用】新潮日本古典集成より


次回第十回 「木綿鬘(ゆふかづら)」 2022年6月16日配信
YouTube動画中の「源氏物語手鑑」につきまして。和泉市久保惣記念美術館デジタルミュージアム許可のもと引用しています🔗