六、燈などの消えいるやうに

義理の母 藤壺の宮
六「燈などの消え入るやうに」

 

 

 須磨に自ら身を引いた源氏は一年ほどが過ぎたころに大嵐に合い、屋敷も一部炎上したりして大変な目に遭うのですが、これを機に明石入道の迎えで入道の館に移ります。その同じころ京では朱雀帝が桐壺院に厳しく叱責され睨みつけられる夢を見て、その後眼を患うことになり、また、弘徽殿太后の方も病がちの日々を送るようになっていました。帝は、院の遺言に背いていることの罪悪感に苦しみ、ついに母弘徽殿の意向を無視して源氏召還の命を下したのでした。二年数ヵ月が過ぎていました。そうして帰京した源氏はふたたび権力の座に返り咲いたのでした。
 藤壺の安堵と喜びは例えようもありません。源氏という後見が不在になったために、一時は危うかった春宮の座も守り通せました。右大臣側は春宮のすげ替えを企んでいたのです。けれどもそれは源氏の復活で頓挫しました。そして源氏帰京の翌年には、春宮元服のことがあり、そのあと間なしに朱雀帝は譲位され、藤壺の産んだ御子が帝の位につきました。結果として、後見役の光源氏とその一門が政権の中枢を握ることになりました。冷泉帝の時代の到来です。原文です。

  明くる年のきさらぎに、春宮の御元服のことあり。十一になりたまへど、ほどよりおほきに、おとなしうきよらにて、ただ源氏の大納言の御顔を二つにうつしたらむやうに見えたまふ。いとまばゆきまで光りあひたまへるを、世人めでたきものに聞こゆれど、母宮は、いみじうかたはらいたきことに、あいなく御心を尽くしたまふ。内裏にもめでたしと見たてまつりたまひて、世の中ゆづりきこえたまふべきことなど、なつかしう聞こえ知らせたまふ。同じ月の二十余日、御国ゆづりのこと、にはかなれば、大后おぼしあわてたり。(略)世の中あらたまりて、引きかへ今めかしきことども多かり。源氏の大納言、内大臣になりたまひぬ。

 藤壺は帝の母、国母となったわけで普通なら皇太后という位につくはずですが、出家の身分ということで太上天皇に準じた待遇を受けることになりました。源氏不在の間は身を慎んで宮中への出入りも遠慮して春宮(今は帝ですが)に滅多にあえないことを悲しく思っていましたが、今は誰はばかることもなく息子に会いに行けることに幸せを感じています。その若い帝の元に初めに入内したのは、かつての頭の中将、今は権中納言になっていますが、その娘です。こちらもまだ十二歳という若さで、ままごと遊びのような可愛らしいお二人の仲でした。そこに源氏が、自分が父親代わりとなっている六条御息所の娘を入れようと企てます。娘の後見を、亡くなる前の御息所から頼まれていたことと、それ以上に頭の中将側に時代の風が向くことを牽制したということでしょうね。この時代、自分の息の掛かった女を帝の側に置くことは大事なことでした。ただ問題がありました。その娘斎宮女御は朱雀院がお望みだということを源氏は知っていました。そこで源氏は藤壺に相談します。そして藤壺の言葉に後押ししてもらって決心したのでした。原文です。入道の宮が藤壺です。

  院より御けしきあらむを、引き違へ横取りたまはむを、かたじけなきこととおぼすに、人の御ありさまのいとらうたげに、見放たむはまたくちをしうて、入道の宮にぞ聞こえたまひける。「かうかうのことをなむ思うたまへわづらふに、(略)内裏にもさこそおとなびさせたまへど、いときなき御齢におはしますを、すこしものの心知る人はさぶらはれてもよくやと思ひたまふるを、御定めに」など聞こえたまへば、「いとようおぼし寄りけるを、院にもおぼさむことはげにかたじけなう、いとほしかるべけれど、かの御遺言をかこちて知らず顔に参らせたてまつりたまへかし。(略)おとなしき御後見は、いとうれしかべいこと」とおぼしのたまひて(以下略)

 藤壺はこの頃からすでに体調が悪く、先が長くないと思っていました。そこで、自分が居なくなった後、帝のお傍で心配りをしてくれるしっかりした女性を求めていたのです。そこで、源氏に向かって「御息所の遺言ということで素知らぬ顔で参らせなさったらいかがでしょう。しっかりしたお世話役がついて下さることはありがたいですわ」と言って斎宮女御の入内を強く勧めたのでした。斎宮女御は年齢が二十歳で帝より十歳近く年上です。けれどもそんな年齢差を感じさせない可愛らしい方でした。そして六条御息所仕込みの教養豊かな方です。絵の素養もおありで、絵の好きな帝とはすぐに親密になったのでした。藤壺とも気が合って、絵合わせを共に楽しんだりして、藤壺も幸せな時を過ごしたのでした。けれどもそういう穏やかで幸せな日々は長くは続きませんでした。源氏の帰還から四年目、冷泉帝の時代を迎えてから三年目、藤壺は重い病の床につきました。原文です。

  入道后の宮、春のはじめよりなやみわたらせたまひて、三月にはいと重くならせたまひぬれば、行幸などあり。院に別れたてまつらせしほどは、いといはけなくて、もの深くもおぼされざりしを、いみじうおぼし嘆きたる御けしきなれば、宮もいと悲しくおぼしめさる。「(略)参りて心のどかに昔の御物語もなど思ひたまへながら、うつしざまなるをり少なくはべりて、くちをしくいぶせくて過ぎはべりぬること」と、いと弱げに聞こえたまふ。三十七にぞおはしましける。されど、いと若く盛りにおはしますさまを、(帝は)惜しく悲しと見たてまつらせたまふ。

 おどろいて見舞った帝に「あなたともゆっくり昔のことなどお話したいと思いながらそういう機会もないままにこんなに弱ってしまいました」などとおっしゃるので帝も悲しくてたまりません。藤壺は帝に色々お話したいことはありながら、もう苦しくて話し続けることがおできになりません。続きを原文で読みましょう。
 
  宮、いと苦しうて、はかばかしうものも聞こえさせたまはず。御心のうちにおぼし続くるに、高き宿世、世の栄えも並ぶ人なく、心のうちに飽かず思ふことも人にはまさりける身とおぼし知らる。上の、夢のうちにも、かかる事の心を知らせたまはぬを、さすがに心苦しう見たてまつりたまひて、これのみぞ、うしろめたくむすぼほれたることにおぼし置かるべきここちしたまひける。

 自分の生涯を振り返ってみると、これ以上ないほどの高い位について、栄華を極めたけれど、その一方で、源氏との間に秘密を抱えたことから苦しい思いをしたことも、人一倍であったと思い返したのでした。そして、帝が実の父が源氏であることをご存じないということが心苦しくそのままにして世を去ることが何よりの心残りなのでした。
 源氏は藤壺の病が重いことを聞いて祈祷などの手を尽くして平癒を祈っていましたが、その甲斐なく、病状は進みます。
 今も密かに思いを寄せ続けている藤壺、今一度熱い思いをお伝えしたい・・・藤壺を見舞った源氏は、お傍に付いている女房に藤壺の容体を尋ねるのですが、「すっかり衰弱なさっています」と泣くばかりです。そして、「源氏の君が院の御遺言を守って帝の後見役をしてくださっていることを本当に有難いと思いながらその感謝を十分にお伝えすることもできないままになってしまうのが残念です」と消え入りそうな声で取次の女房におっしゃっているのがかすかに聞こえてきます。原文です。

  人知れぬあはれ、はた、限りなくて、御祈りなどおぼし寄らぬことなし。年ごろおぼし絶えたりつる筋さへ、今一度聞こえずなりぬるがいみじくおぼさるれば、近き御几帳のもとに寄りて、御ありさまなど、さるべき人々に問ひ聞きたまへば、親しき限りさぶらひて、こまかに聞こゆ。(略)「院の御遺言にかなひて、内裏の御後見つかうまつりたまふこと、年ごろ思ひ知りはべること多かれど、何につけてかは、その心寄せことなるさまをも漏らしきこえむとのみ、のどかに思ひはべりけるを、今なむあはれにくちをしく」と、ほのかにのたまはするも、ほのぼの聞こゆるに、御いらへも聞こえやりたまはず、泣きたまふさまいといみじ。

源氏は胸がせき上げてお返事もできません。何とかしてこの方のお命をつなぎとめることはできないものか、と思うのですがどうすることもできません。言葉に詰まって、しばし間を置いて「なんの頼りにもならない私ですが、昔から帝の御後見は力の及ぶ限りつとめて参りました。今はあなたさまがこのように御病気が重くなられてもうどうしてよいかわかりません。私ももう長くは生きておられないような気がします」と泣き泣き申し上げているうちに、藤壺の宮は、その源氏の声を聞きながらまるで灯の消えるように静かに息を引き取ってしまわれたのでした。その部分を原文で読みましょう。

  あたらしく惜しき人の御さまを、心にかなうわざならねば、かけとどめきこえむかたなく、いふかひなくおぼさるること限りなし。「はかばかしからぬ身ながらも、昔より、御後見つかうまつるべきことを、心のいたる限り、おろかならず思ひたまふるに、(略)かくおはしませば、よろづに心乱れはべりて、世にはべらむことも残りすくなきここちなむしはべる」と聞こえたまふほどに、燈などの消え入るやうにて果てたまひぬれば、いふかひなく悲しきことをおぼし嘆く。

 源氏はもう悲しくてたまりません。少年時代から憧れ、恋慕ってきた人が逝ってしまわれた。そしてまた、これまで重大な秘密を分け持ってきた藤壺が去ってしまえば、源氏はひとりで重荷を背負うことになるのです。
藤壺の死は、国中の人がこれを嘆き悲しみ生前の善行を褒めたたえて惜しんだのでした。ちょうど桜の頃でした。源氏は「深草の野辺の桜し心あらば今年ばかりは墨染めに咲け」と言う古歌を呟いたりして、藤壺とのあれこれを思い出し、ひとり念誦堂に籠って泣き暮らしたのでした。

 物語の中で藤壺の像は今一つはっきりしません。源氏の中では理想の女性としてひたすら美化されつづけたように思えます。高貴な血筋の、思慮深く知的な美人であったことは間違いないでしょうが、本当はどんな方だったのでしょうか。源氏に対してはどういう気持ちを持っていたのか。連れ添った桐壺院に対してはどうなのか。そのあたりはよくわかりません。源氏の君に対する熱い想いを胸の底に秘めて生涯それを隠し続けたと読むのが美しいかもしれませんね。
 ともあれ、藤壺の宮はこの物語に登場する女君の中で一番スリリングな人生を送った人です。さて、藤壺の宮とはこれでお別れです。皆さんの中にはどんな藤壺像が残ったでしょうか。










文:岸本久美子
【引用】新潮日本古典集成より


次回は、第四章 通り過ぎた女君たち 其の五 没落宮家の姫君末摘花です。
YouTube動画中の「源氏物語手鑑」につきまして。和泉市久保惣記念美術館デジタルミュージアム許可のもと引用しています🔗