一「つらき御夜離れ」
六条御息所というと、嫉妬深い不気味な女という印象をお持ちの方が多いのではないでしょうか。これは六条御息所の名が、室町時代に能楽の「葵上」で広く知られるようになったことの影響が大きいと思われます。この能では六条御息所は、正妻葵上に嫉妬して取り殺そうとし、山伏によって祈り伏せられるという悪役を演じています。そこで悪女のイメージが定着してしまったのでしょう。まあ実際、源氏物語の中で、物の怪となって人にとりついて、その生死を左右しているのは彼女だけですけれども。
さてこの女性とのなれそめは原文には描かれていないのですが、義理の母藤壺へのかなわぬ恋の炎を燃やし続ける源氏は、その形代として六条御息所に近づいたのではないでしょうか。高貴な身分、年上、美しく教養豊かといった共通点が彼を引き寄せたのでしょう。光源氏16~17歳の頃のことかと思われます。御息所は7歳年上の未亡人。亡くなった夫は皇太子でその方との間に女の子をもうけてもいます。御息所は、初めのうちは年下の若い貴公子を拒んだものの、執拗な源氏の求愛についに応えたのでした。皇太子妃として寵愛されたかつての栄華の日々をとりもどすことを夢見たのかもしれませんね。
六条御息所らしき人が初めて登場するのは、夕顔の巻での「六条わたりの御忍び歩きのころ」の一文です。この「六条わたり」というのが御息所をさしていると思われます。御息所の家、「御心ざしの所」はお庭もお座敷も完璧にととのえられていて、ご本人も気高く雅やかで美しい。源氏がそのお方の元に通う途中で気になる小家を発見するという展開になっています。原文です。
御心ざしの所には、木立前栽など、なべての所に似ず、いとのどかに心にくく住みなしたまへり。うちとけぬ御ありさまなどの、けしき異なるに、ありつる垣根思ほしいでらるべくもあらずかし。翌朝、すこし寝過ぐしたまひて、日さし出づるほどに出でたまふ。朝明の姿は、げに人のめできこえむもことわりなる御さまなりけり。今日もこの蔀の前渡りしたまふ。来しかたも過ぎたまひけむわたりなれど、ただはかなき一ふしに御心とまりて、いかなる人の住処ならむとは、往来に御目とまりたまひけり。
源氏の君はこの後、その粗末な小家に住む夕顔という女性に夢中になります。そのため正妻葵上にも御息所にもすっかりご無沙汰するようになってしまいます。この夕顔は御息所と全くの対照をなす女性として登場しています。要するに気楽な相手なのです。
そうは言っても、あまり絶え間をおいては失礼だし申し訳ないという気持ちで、ある秋の日、源氏は御息所の元を訪れました。原文で読みましょう。
秋にもなりぬ。(略)六条わたりにも、とけがたかりし御けしきをおもむききこえたまひてのち、ひきかへしなのめならむはいとほしかし、されどよそなりし御心まどひのやうに、あながちなることはなきも、いかなることにかと見えたり。女は、いとものをあまりなるまでおぼししめたる御心ざまにて、齢のほども似げなく、人の漏り聞かむに、いとどかくつらき御夜がれの寝ざめ寝ざめ、おぼししをるること、いとさまざまなり。霧のいと深き朝、いたくそそのかされたまひて、ねぶたげなるけしきに、うち嘆きつつ出でたまふを、中将のおもと、御格子一間あげて、見たてまつり送りたまへ、とおぼしく、御几帳引きやりたれば、御頭もたげて見いだしたまへり。前栽のいろいろ乱れたるを、過ぎがてにやすらひたまへるさま、げにたぐひなし。
一夜を共に過ごした後の朝です。帰りがけに庭の秋草を眺めてたたずむ美しい男を、女は横になったままで、頭をもたげてじっと見つめています。たまさかの訪れでした。あれほど熱心に言い寄ったお方なのに、通うことを許した後ではこんなに夜離れを嘆く夜が続くようになるなんて・・・と、プライドを傷つけられた御息所は辛く悲しい思いで一杯です。ですから、この日のようなたまのお出では嬉しくてたまらないのですが、それを素直に表すことはなかったと思われます。
源氏は申し訳ないと思いながらも、年上の、あまりにすべてを完璧に備えた誇り高い御息所の前では息が詰まるので、どうしても足が遠のいてしまうのでした。その反動もあって、夕顔への傾倒はますますその度合いを増してゆき、ある日夕顔を家から連れ出して、人気のない別荘のようなところで一夜をすごすのですが、夕顔を隣において源氏は六条御息所のことを思い浮かべてしまいます。私のことをおうらみになっているだろうなと申し訳なく思う一方で、あの方も、もう少し堅苦しさを捨てて下さったら良いのに・・・・と比較してしまうのです。原文で読みましょう。
かつはあやしの心や、六条わたりにも、いかに思ひ乱れたまふらむ、うらみられむに、苦しうことわりなりと、いとほしき筋は、まづ思ひきこえたまふ。何心もなきさしむかひを、あはれとおぼすままに、あまり心深く、見る人も苦しき御ありさまを、すこし取り捨てばや、と思ひくらべられたまひける。
このすぐ後で夕顔は急死。その死の直前に源氏は夢にあやしい女が恨み言をいうと見ており、夕顔はその魔性の女に取り殺されたことをうかがわせる筋立てになっています。直前に源氏が御息所を思い浮かべたりしているところから、この魔性の女の正体は御息所なのではないかと思わせるように仕組まれています。
その後源氏は、新しい恋人を作ったり、若紫を発見して引き取ったり、藤壺との逢瀬があったり、また、正妻葵上の懐妊のことがあったりと色々な出来事が引き続き、御息所にはすっかり無沙汰を重ねています。苦しんだ御息所は伊勢の斎宮に選ばれて下ってゆく娘に同伴して京を離れ、源氏への未練を断ち切ることを考えるようになりました。二人の関係が始まってから、すでに5,6年が経過しています。原文です。
まことや、かの六条御息所の御腹の前坊の姫君、斎宮にゐたまひにしかば、大将の御心ばへもいとたのもしげなきを、幼き御ありさまのうしろめたさにことづけて下りやしなましと、かねてよりおぼしけり。
そのことが源氏の父桐壺院のお耳にも入り、院は源氏を呼びつけて叱責なさったのでした。「亡くなった東宮がこの上なく大切になさっていたお方を並みの女君のように扱うとは何事だ。気まぐれな浮気沙汰のようなことをすれば世間の非難をうけることになるぞ」とご機嫌が悪く、源氏もその通りだと思うので、恐縮しています。原文で読みましょう。
院にも、かかることなむときこしめして、「故宮のいとやむごとなくおぼし時めかしたまひしものを、軽々しうおしなべたるさまにもてなすなるが、いとほしきこと。斎宮をも、この御子たちの列になむ思へば、いづかたにつけても、おろかならざらむこそよからめ。心のすさびにまかせて、かくすきわざするは、いと世のもどき負ひぬべきことなり」など、御けしきあしければ、わが御ここちにも、げにと思ひ知らるれば、かしこまりてさぶらひたまふ。
院はこの後続けて「女に恥をかかせるな、女の怨みを負うんじゃないぞ」と源氏に説教しています。御息所にもこの件は伝わり、院までも二人のことをご存じで、世間の人も知らぬものはないほどになっているのに、相変わらずつれない源氏の君の仕打ちを思えば嘆かずにはいられません。こうして御息所は次第に追い詰められてゆきます。そして賀茂の斎院の御禊の日を迎えます。
きょうはここまでです。
文:岸本久美子
【引用】新潮日本古典集成より
第四章 通り過ぎた女君たち 其の二 皇太子の未亡人六条御息所 第二話「車争い」2024年11月28日配信いたします
YouTube動画中の「源氏物語手鑑」につきまして。和泉市久保惣記念美術館デジタルミュージアム許可のもと引用しています🔗