十二、萩のうは露(最終回)

御法

萩のうは露

 一月の下旬、病に倒れた紫の上はその後重篤な状態が続き、四月には一度息が絶えてしまいました。たまたま源氏の君は久々に六条院に宮を訪ねていた時でしたから慌てて戻ったのですが、すでに門前に弔問客が立ち騒いでいるのです。源氏はあきらめきれず、霊験あらたかと言われる僧や験者を集めて祈らせ、とりついていた物の怪を出現させることに成功。紫の上は息を吹き返したのでした。そうして危篤状態からは脱したものの、夏になっても紫の上はまだ時折もののけに苦しみ、病状はなかなか改善しません。それでも、源氏の君を嘆かせたくないという気持ちに支えられて六月ごろにはすこしずつ回復に向かったとあります。原文です。

  あらはれそめては、をりをり悲しげなることどもを言へど、さらにこのもののけ去り果てず。いとど暑きほどは息も絶えつつ、いよいよのみ弱りたまへば、いはむかたなくおぼし嘆きたり。なきやうなる御ここちにも、かかる御けしきを心苦しく見たてまつりたまひて、世の中になくなりなむも、わが身にはさらにくちをしきこと残るまじけれど、かくおぼしまどふめるに、むなしく見なされたてまつらむが、いと思ひ隈なかるべければ、思ひ起こして、御湯などいささか参るけにや、六月になりてぞ、時々御頭もたげたまひける。めづらしく見たてまつりたまふにも、なほいとゆゆしくて、六条の院には、あからさまにもえわたりたまはず。

 四月以来、源氏の君は六条院の女三宮の所にはずっと足が向かなかったのですが、このところ宮の体調が悪いと聞いて、紫の上の小康状態を待って夏のある日、六条院に行ったのでした。そして、この時、宮の体調不良が柏木との密通の結果であることをはっきり知らされることになったのです。柏木が宮に宛てて出した恋文を偶然見つけてしまったのでした。その手紙を持ち帰った源氏のふさぎこんだ様子を紫の上が誤解します。「宮の元にもっとおいでになりたかったのに、私の病気が気になってお戻りになったのだわ」と思ったのでした。そこで、「私は大丈夫ですからあちらに行って差し上げてください」と言うのですが、源氏は事実を口にすることはできず、ごまかすしかないのでした。そうして半年ほどが過ぎ、この年の暮れには紫の上はいったん六条院に戻りました。
 六条院で朱雀院の賀の試楽 リハーサルが行われると言うので、それに合わせてのことでした。その翌年の春には女三宮の出産と出家という出来事があり、わが子ならぬわが子を抱く源氏の心乱れる日々が続きます。何も知らない紫の上は、源氏の様子を気遣いながらも、そっとお側に寄り添うしかありませんでした。思い返してみれば、これまでも源氏は紫の上にも言えない大きな秘密を抱えて生きてきたのでした。共に暮らす人にも言えない秘密を抱えたまま人生を送らねばならぬ、そういうこともままあるのではないでしょうか。
さて、このあと紫の上は、完全に健康を取り戻すことはできないながらも、源氏の君のお側で、静かに平穏な日々を送ったと思われます。 そして数年の歳月が流れ、紫の上は43歳の春を迎えました。少し原文で読みましょう。

  紫の上、いたうわづらひたまひし御ここちののち、いとあつしくなりたまひて、そこはかとなくなやみわたりたまふこと久しくなりぬ。いとおどろおどろしうはあらねど、年月重なれば、たのもしげなく、いとどあえかになりまさりたまへるを、院の思ほし嘆くこと限りなし。(略)みづからの御ここちにはこの世に飽かぬことなく、うしろめたきほだしだにまじらぬ御身なれば、あながちにかけとどめまほしき御命ともおぼされぬを、年ごろの御契りかけ離れ、思ひ嘆かせたてまつらむことのみぞ、人しれぬ御心のうちにも、ものあはれにおぼされける。

 重い病気を患ったあと、すっきり回復することなく、次第に弱ってゆかれる紫の上のことが源氏の君は心配でたまりません。自分の寿命がそろそろ尽きようとしていると感じている紫の上は、この世に何の未練もないけれど、君をどれほどお嘆かせてしまうことになるかと思うとそれだけが気がかりなのでした。
 三月十日、紫の上は、人生最後の催しと考えて、多くの人を招いて、二条院で法華経千部の供養を盛大に行います。原文です。

  弥生の十日なれば、花盛りにて、空のけしきなども、うららかにものおもしろく、仏のおはすなる所のありさま、遠からず思ひやられて、ことなる深き心もなき人さへ、罪を失ひつべし。(略)年ごろ、かかるもののをりごとに、参りつどひ遊びたまふ人々の御容貌ありさまの、おのがじし才ども、琴笛の音をも、今日や見聞きたまふべきとぢめなるらむ、とのみおぼさるれば、さしも目とまるまじき人の顔どもも、あはれに見えわたされたまふ。

 極楽を思わせるようなうららかな美しい春の日でした。集まった人々の姿、琴や笛の音、なにもかもこれが最後と思うと紫の上の胸に様々な思いがこみ上げてきます。この仏事には花散里や明石君も招かれました。紫の上はこの方たちとも二度とお逢いすることはないのだと思うとしみじみ悲しくて、歌を詠み交わしさりげなく別れの挨拶をしたのでした。この大きな行事を済ませると紫の上はすっかり弱ってしまいます。心配して見舞った明石女御、(いまでは中宮になっています)この義理の娘に亡き後のことを頼みます。自分に仕えてきた女房たちのうちで寄る辺のない者たちの面倒をみてやって欲しいと。そして、手元で育てていた三宮に、私が死んだあと思い出してくれますかと聞いたりしています。原文で読みましょう。

  年ごろ、つかうまつり馴れたる人々の、ことなるよるべなう、いとほしげなる、「この人かの人、はべらずなりなむのちに、御心とどめて、尋ね思ほせ」などばかり聞こえたまひける。(略)三宮はあまたの御なかにいとをかしげにてありきたまふを、御ここちの隙には、前にすゑたてまつりたまひて、人の聞かぬ間に、「まろがはべらざらんに、おぼし出でなむや」ときこえたまへば、「いと恋しかりなむ。まろは、内裏の上よりも、宮よりも、ははをこそ、まさりて思ひきこゆれば、おはせずは、ここちむつかしかりなむ」とて、目おしすりてまぎらはしたまへるさま、をかしければ、ほほゑみながら涙は落ちぬ。(略)とりわきておほしたてたてまつりたまへれば、この宮と姫宮とをぞ見さしきこえたまはんこと、くちをしくあはれにおぼされける。

 三宮は「ぼくは父上よりも母上よりもおばあ様のことが好きなんだからおいでにならなくなったら機嫌が悪くなっちゃうよ」といって涙をうかべています。この可愛い孫たちとも別れるのかと思うと紫の上は切ない気持ちで一杯になります。このあと、暑い夏をなんとかやりすごし、秋を迎え一旦は小康状態となり、この日は、床を離れて庭をみています。そこに明石中宮、源氏の君がやって来て歌を詠み交わします。野分めいた風の吹く八月十四日のことです。原文です。

  風すごく吹き出でたる夕暮に、前栽見たまふとて、脇息によりゐたまへるを、院わたりて、見たてまつりたまひて、「今日は、いとよく起きゐたまふめるは。この御前にては、こよなく御心もはればれしげなめりかし」と聞こえたまふ。かばかりの隙あるをも、いとうれしと思ひきこえたまへる御けしきを、見たまふも心苦しく、つひにいかにおぼし騒がむ、と思ふに、あはれなれば、
    (紫の上)おくと見るほどぞはかなきともすれば
風に乱るる萩のうは露

「きょうは起きているのか」と嬉しそうにおっしゃる源氏の君に紫の上は「いえいえ起きているといってもそんなにお喜びにならないで下さいね。いつどうなるかわかりませんよ」と歌を詠みかけます。この後、源氏と明石中宮がそれぞれ歌を詠み、源氏は妻と娘の美しい姿に涙ぐんで、この幸せな時間を永遠に保てたらと思うのですが、そういうわけには行きません。この後間もなく紫の上の病状は急変します。原文です。

「今はわたらせたまひね。乱りごこちいと苦しくなりはべりぬ。いふかひなくなりにけるほどといひながら、いとなめげにはべりや」とて、御几帳引き寄せて臥したまへるさまの、常よりもいとたのもしげなく見えたまへば、いかに思さるるにか、とて、宮は御手をとらへたてまつりて、泣く泣く見たてまつりたまふに、まことに消えゆく露のここちして、限りに見えたまへば、御誦経の使ども、数も知らず立ち騒ぎたり。さきざきも、かくて生き出でたまふをりにならひたまひて、御もののけと疑ひたまひて、夜一夜、さまざまのことをし尽くさせたまへど、かひもなく、明け果つるほどに消え果てたまひぬ。
  

 こうして明石中宮に手をとられ、源氏の君に見守られながら紫の上は世を去ったのでした。この前のこともあるからと源氏の君は紫の上の死を受け入れることができず、物の怪を退散させるための祈祷なども懸命にさせなさったけれど紫の上が再び目を開けることは無かったのでした。
「雀の子を犬君が逃がしつる」と走って登場したあの活発で可愛らしい少女はこうして43年の生涯に幕を下ろしました。恥じらったり拗ねたりした若妻時代そして、嫉妬し不安に苛まれた時代もありました。愛しているという言葉の空疎さを嘆き、やがては、共にあっても相手の心のうちは知り得ないとあきらめて寄り添うようになりました。病を得てからは、わが亡き後のまわりの人々の身の振り方に気を配り、源氏の君を嘆かせることを心配しました。母親のような慈愛にみちた眼差しで源氏を見ています。
 彼女を失ってみて初めて源氏ははっきりと彼女が自分の一部であったことを悟ったのでした。紫の上のいないこの世にはもうとどまることが出来ません。やがて出家し、亡くなったであろうことを匂わせて物語は幕を閉じます。
 紫の上は紫式部の創り出した理想の女性像であると言われています。皆さんの中にはどのような紫の上像が刻まれたでしょうか。名残惜しいですが。今回で紫の上とお別れです。半年間お付き合いいただきありがとうございました。











文:岸本久美子
【引用】新潮日本古典集成より


岸本久美子源氏講座 第三章【脇役の男たち】 2022年8月11日~第2第4木曜日配信
YouTube動画中の「源氏物語手鑑」につきまして。和泉市久保惣記念美術館デジタルミュージアム許可のもと引用しています🔗