夕顔の遺児玉鬘 二「うれしき瀬」

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第五章 源氏物語を彩る女たち其の二 夕顔の遺児玉鬘
二「うれしき瀬」

 

 

 

 無事京に着きはしたものの、二十年近く留守にしていたわけですから昔縁のあった人たちの消息もほとんどわかりません。ようやく九条あたりに住む昔の知人を尋ねあててそちらでお世話になることになりました。その辺りは京のはずれで下々の商人などが住む地域です。とにかく姫君の父である大臣に連絡をとらねばと気持ちばかりは焦りますが、伝手もなく豊後の介は困り果てたのでした。お供をしてきた筑紫の男たちも、埒のあかないのにしびれを切らして次第に逃げ出して国に戻ってしまったとあります。原文で読みましょう。

  九条に、昔知れりける人の残りたりけるをとぶらひ出でて、その宿りを占め置きて、都のうちといへど、はかばかしき人の住みたるわたりにもあらず、あやしき市女商人のなかにて、いぶせく世の中を思ひつつ、秋にもなりゆくままに、来し方、行く先悲しきこと多かり。豊後の介といふたのもし人も、ただ水鳥の陸にまどへるここちして、つれづれにならはぬありさまのたつきなきを思ふに、帰らむにもはしたなく、心幼く出で立ちにけるを思ふに、従ひ来たりし者どもも類に触れて逃げ去り、本の国に帰り散りぬ。

 筑紫の国を発ったのは四月の中旬でした。一か月近くかかって京についたのが五月中旬。そして季節は移ってもう七月です。神仏に頼るしかないと言う思いで、石清水八幡に姫君を参らせましたが効能はあらわれません。ここはもう初瀬の観音様にたよるしかないということで、一行は、姫君を伴って、あえて徒歩で、馬や車は使わずにお参りを決行したのでした。普段歩いたことなどほとんどない姫君は苦しく辛くて「母君がこの世においでにならないのなら、そちらに私を誘ってください、もしこの世においでなのならお顔をお見せになって下さい」と仏様を念じつつよろめきよろめきして、四日目になんとか椿市までたどり着いたのでした。原文で読みましょう。

  ことさらに徒歩よりと定めたり。ならはぬここちにいとわびしく苦しけれど、人の言ふままに、ものもおぼえで歩みたまふ。いかなる罪深き身にて、かかる世にさすらふらむ、わが親、世になくなりたまへりとも、われをあはれとおぼさば、おはすらむ所に誘ひたまへ、もし世におはせば、顔みせたまへと仏を念じつつ、ありけむさまをだにおぼえねば、ただ、親おはせましかばとばかりの悲しさを嘆きわたりたまへるに、かくさしあたりて身のわりなきままに、とりかへしいみじくおぼえつつ、からうして、椿市といふ所に、四日といふ巳の時ばかりに、生けるここちもせで行き着きたまへり。

 椿市は初瀬まで一里のところにあり、長谷寺参詣の準備を整えるために前泊する宿場だったようです。その椿市の宿で玉鬘の一行が参詣の用意をしたり、休息したりしている所に、後から予約客がやってきます。宿の主は、玉鬘たちの滞在を迷惑がって、奥のほうに隠したのでした。ところが何とこの後からやってきた客は夕顔にお仕えしていた女房右近で、彼女は夕顔の遺児を探し求めて、初瀬の観音さまに願をかけて、これまでも、何度もお参りをしてきていたのでした。この宿での奇跡的な遭遇は初瀬の観音様のお導きということになりますね。ともあれ、右近が横になって休んでいるとカーテンで仕切った奥の方から相客の様子が漏れ聞こえてきます。どれどれと覗いてみると見たことのある顔の男が見え、さらに覗いていると知った顔があるではありませんか。昔、夕顔にお仕えしていた人です。「これは夢か!」と思いつつ夢中で声を掛けるのですが、相手は「えー人違いでしょう。二十年も筑紫の国にいたものをご存じの都人がおいでのはずがない」というのでした。右近は「よく見てちょうだい。私の顔、ほら、知ってるでしょ!」と顔を差し出して見せたのでした。涙ナミダの奇跡の再会です。原文で読みましょう。

  もののはさまよりのぞけば、この男の顔見しここちす。誰とはえおぼえず。いと若かりしほどを見しに、ふとり黒みてやつれたれば、多くの年隔てたる目には、ふとしも見わかぬなりけり。「三条、ここに召す」と呼び寄する女をみれば、また見し人なり。(略)からうして、「おぼえずこそはべれ。筑紫の国に二十年ばかり経にける下衆の身を知らせたまふべき京人よ。人違へにやはべらむ」とて寄り来たり。田舎びたる掻練に衣など着て、いといたうふとりにけり。わが齢もいとどおぼえてはづかしけれど、「なほさしのぞけ。われをば見知りたりや」とて、顔をさし出でたり。この女手を打ちて、「あが御許にこそおはしましけれ。あなうれしともうれし。いづくより参りたまへるぞ。上はおはすや」と、いとおどろおどろしく泣く。

 三条という女房は、やっと、その都人が、夕顔と共に姿を消した右近であることに気づいて、驚き喜んでこの場は大騒ぎになりました。隔ての屏風なども押しのけて、互いに言葉を交わします。聞きたいことだらけです。まず玉鬘の一行は。「上はおはすや」上様、つまり夕顔のことを尋ねています。右近はそれには答えず、乳母と姫君がおいでかどうかを聞いたのでした。乳母がやってきてまた夕顔のことを聞きます。右近が、詳しい事情は言わずとにかく亡くなったということを告げると一同は涙にくれたのでした。右近は姫君をそっと覗き見て、そのかわいらしげな、けれどもやつれた姿をいたわしく思ったのでした。その後長谷寺に参詣し、姫君の一行にあわせて右近の一行も三日間籠って、この間の長い長い話を語り合ったのでした。その中で右近は今は源氏の君の元にお仕えしていること、源氏の君が夕顔の形見として遺された娘を手元でお世話したいと思っておいでのことなども話したのでした。原文です。まず姫君と右近の歌のやりとりです。

前より行く水をば、初瀬川といふなりけり。右近
     「ふたもとの杉のたちどを尋ねずは
古川のべに君を見ましや
うれしき瀬にも」と聞こゆ。
     初瀬川はやくのことは知らねども
今日の逢ふ瀬に身さへ流れぬ
とうち泣きておはするさま、いとめやすし。容貌はいとかくめでたくきよげながら、田舎び、こちごちしうおはせましかば、いかに玉の瑕ならまし、いで、あはれ、いかでかく生ひ出でたまひけむ、とおとどをうれしく思ふ。母君は、ただいと若やかに、おほどかにて、やはやはとぞたをやぎたまへりし、これは気高く、もてなしなどはづかしげに、よしめきたまへり。

 右近の歌は「めぐり逢いで知られる初瀬の二本の杉を訪ねてこなかったなら姫君にお会いすることは出来なかったことでしょう」というような意味で、それに応えた玉鬘の歌は「昔のことは知りませんが、今日の逢瀬のうれし涙で身体まで流れてしまいそうです」というような意味でしょうか。その姫君の様子に、右近は、母君はただ愛らしくやわやわした方だったけれどこの姫君はうつくしく上品でいかにも優雅な雰囲気を身に着けておいでだと喜んでいます。この姫君なら源氏の君もお気に召すに違いないと確信し、ここまで育て上げた乳母に感謝したのでした。乳母は実の父大臣(元の頭の中将)に知らせてほしいと右近に頼むのですが、右近にはその気はありません。夕顔の代わりにこの娘を源氏と結び付けたいと言う思いです。

 この後、京の連絡先を交換して両者は別れたのでした。帰京後、右近は、早速この大ニュースを源氏の耳に入れます。源氏は驚き喜んで、その娘をこちらに来させるように計らうことを右近に命じます。ただし、実行する前に手紙を出しています。まあ、試験ですね。田舎育ちであることを心配して様子を確かめようとしたのです。そして玉鬘からの返事の筆跡と歌を見て、これなら大丈夫と安心して六条院に移り住ませたのでした。つまり源氏が重要視したのは容貌ではなく知性や教養の程度であったことがわかります。玉鬘の方は実の父の元に行くのであれば嬉しいけれど、どうしてそんな他人様の所に・・・とためらうのですが、右近に説得されて仕方なく同意したのでした。源氏が、玉鬘を六条院に呼び寄せるにあたって考えていたことは、一つは、はかなく死なせてしまった夕顔への罪滅ぼし、そしてもうひとつは、六条院の花として貴公子たちをひきつけようと言うものでした。この当時、明石姫はまだ幼く、紫の上や花散里には子供がないため、六条院には適齢期の娘はいなかったのです。
 さあこうして玉鬘は六条院の姫君となりました。世間には、どこかで密かに育っていた源氏の君の落胤の娘が見つかったということが大ニュースとなって広まったのでした。今回はここまでです。












文:岸本久美子
【引用】新潮日本古典集成より


次回第五章 源氏物語を彩る女たち 其の二 夕顔の遺児玉鬘 第三話「橘のかほりし袖」 2026年8月13日配信いたします。
YouTube動画中の「源氏物語手鑑」につきまして。和泉市久保惣記念美術館デジタルミュージアム許可のもと引用しています🔗