第五章 源氏物語を彩る女たち其の二 夕顔の遺児玉鬘
一「はるかなるほどに」
今回取り上げた玉鬘は、帚木の巻の、いわゆる「雨夜の品定め」の折に、頭の中将が披露した体験談の中で、登場しています。愛人が正妻のいやがらせに怯えて姿を消し、行方が分からなくなった、可愛い娘もいたのに残念だと話していますが、その娘が玉鬘です。光源氏17歳の時、若者たちが集まって女に関わる体験を語り明かした夜のことでした。ただし、そのあと実際に彼女が物語に登場するのは20年後、玉鬘の巻です。そして何と最後に登場するのは竹河の巻。結局物語の中で50年以上の長きにわたって生きたことになります。では時間を追ってみてゆきましょう。まず源氏に見つけ出される前からです。
先ほど申しましたように、玉鬘は、光源氏が17歳の夏から秋にかけて夢中になった夕顔、元頭の中将の愛人であった人の娘です。夕顔は源氏が連れ出した宿で、物の怪に襲われて突然亡くなってしまいましたが、源氏はそのことを隠し通します。夕顔にただ一人お供していた女房右近はそのまま自分の元に引き取り、亡骸は側近の惟光のはからいで秘密裡に埋葬されました。源氏は、正体を隠して通っていたため、夕顔の周囲は誰に連れ出されたのかもわからず、捜す術がありません。現代なら警察に届ける所ですが、当時はそういうふうには物事は進まず、ただ帰りを待つだけでした。幼い娘は夕顔の乳母の元に預けられていたのですが、夕顔が失踪した今となっては乳母の一家がそのまま育てるしかありません。乳母の一家は何とか夕顔の行方を捜し出そうと手を尽くしたけれど見つからず、そうこうするうちに乳母の夫が筑紫の少弐になり、九州へ下ってゆくことになったのでした。乳母は娘を頭の中将に渡すことも考えたのですが、継子いじめにあうことを怖れて結局連れて行くことにしたのでした。娘は四歳になっています。原文で読みましょう。
母君の御行方を知らむと、よろづの神仏に申して、夜昼泣き恋ひて、さるべき所々を尋ねきこえけれど、つひにえ聞き出でず。さらばいかがはせむ、若君をだにこそは、御形見に見たてまつらめ、あやしき道に添へたてまつりて、はるかなるほどにおはせむことの悲しきこと、(略)いとうつくしう、ただ今から気高くきよらなる御さまを、ことなるしつらひなき船に乗せて漕ぎ出づるほどは、いとあはれになむおぼえける。幼きここちに母君を忘れず、をりをりに、「母の御もとへ行くか」と問ひたまふにつけて、涙絶ゆる時なく、娘どもも思ひこがるるを、船道ゆゆしと、かつはいさめけり。
夕顔の娘はすでにたいそう美しく気高い容姿であったとあります。そして船で旅立つと「お母さまの所へ行くの?」と聞いて乳母やその娘たちの涙を誘ったとあります。夕顔は、乳母の二人の娘にも慕われていたので、彼女らは幼い娘の言葉にまた改めて行方の知れぬ夕顔を思って泣いたのでした。そうして筑紫の国に下ってその地で夕顔の娘は育つことになります。乳母の心遣いで、田舎育ちという負い目を負わぬように教育されたようです。やがて乳母の夫は任期が終わり、京に戻る時が来たのですが、この人は賄賂などを受け付けない潔癖な人だったらしく、それが地元では嫌われる要因となりました。馴れあいを許さぬ堅物だったために地元の人とは仲が悪かったようです。多くの地方官は賄賂で私腹を肥やし裕福になって戻ったのですが、乳母の夫少弐はどうやら京に戻る段取りもできなかったようです。ぐずぐずしているうちに少弐は重い病の床についてしまいました。原文です。
少弐、任果てて上りなむとするに、はるけきほどに、ことなる勢なき人は、たゆたひつつ、すがすがしくも出で立たぬほどに、重き病して、死なむとするここちにも、この君の十ばかりにもなりたまへるさまの、ゆゆしきまでをかしげなるを見たてまつりて、「われさへうち捨てたてまつりて、いかなるさまにはふれたまはむとすらむ。(略)」と、うしろめたがる。男子三人あるに、「ただこの姫君、京に率てたてまつるべきことを思へ。わが身の孝をば、な思ひそ」となむ言ひ置きける。
夕顔の娘、姫君は10歳になっています。怖ろしいほど美しくなっているとあります。少弐は三人の息子に自分が死んだ後の供養などしなくてよいからこの姫君を京に連れ帰るようにと遺言したのでした。乳母は、姫君を、少弐の孫と偽り、障害のある子だと言って人には見せず、何とか京に旅立ちたいと思うのですが、なかなか実現できずに時間ばかりが過ぎて行きました。そうこうするうちに一家の子供たちはその地で結婚したりして筑紫に根を生やしてゆきました。そして、姫君はますます美しく気品たかく成長し、適齢期の娘になっています。噂に聞いた田舎の男たちから恋文が届くようになり、乳母は焦ります。神仏に願を掛けて何とか早く京にと願ったのでした。原文です。
とざまかうざまに、懼ぢ憚りて、われにもあらで年を過ぐすに、この君、ねびととのひたまふままに、母君よりもまさりてきよらに、父大臣の筋さへ加はればにや、品高くうつくしげなり。心ばせおほどかにあらまほしうものしたまふ。聞きついつつ、好いたる田舎人ども、心かけ、消息がるいと多かり。ゆゆしくめざましくおぼゆれば、誰も誰も聞き入れず。(略)「いかさまにして、都に率てたてまつりて、父大臣に知らせたてまつらむ。」(略)と仏神に願を立ててなむ念じける。
母君以上の美貌で、また身分の高い父の血筋を受け継いで高貴な雰囲気を漂わせていたとあります。そのうちに噂を聞き伝えた大夫の監という地元の有力者が結婚を申し込んできました。初めは人伝の申し込みだったのですが、「障害のある子なので嫁に出すことはできない、尼にするつもりです」と断ると本人が乗り込んできました。障害など気にしないと言い、息子たちのうちの二人を味方に取り込んでしまいました。息子は三人あったのですが、次男と三男はこういう地元の有力者に睨まれてはやって行けないし、姫君もいい暮らしが保障されているのだから、この話を受ければいいじゃないかと思ったのです。原文です。
大夫の監とて肥後の国に族広くて、かしこにつけてはおぼえあり、勢いかめしき武士ありけり。むくつけき心のなかに、いささか好きたる心まじりて、容貌ある女を集めて見むと思ひける。この姫君を聞きつけて、「いみじきかたはありとも、われは見隠して持たらむ」といとねむごろに言ひかかるを、いとむくつけく思ひて、「いかで、かかることを聞かで、尼になりなむとす」と言はせたりければ、いよいよあやふがりて、おしてこの国に越え来ぬ。この男子どもを呼びとりてかたらふことは、「思ふさまになりなば、同じ心に勢をかはすべきこと」などかたらふに、二人はおもむきにけり。
息子二人が大夫の監の方についてしまったとあって、乳母は焦ります。すぐに結婚という流れだけは何とか避けて、準備を整えて改めて出直してもらうように頼んで、時間を稼ぎます。こうなってしまえば、長男の豊後の介だけが頼りです。豊後の介は、姫君が大夫の監のような男と結婚するくらいなら死んだほうがましと思い詰めておいでのことを知っています。そこで、思い切って、密かに京へと姫君を連れて逃げ出すことにしたのでした。長男と妹娘は、その家族にも告げず、すべてを捨てて、夜逃げ同様の慌ただしい出発です。原文です。
(豊後の介は)思ひわづらひにたれど、姫君の人知れずおぼいたるさまのいと心苦しくて、生きたらじと思ひ沈みたまへる、ことわりとおぼゆれば、いみじきことを思ひ構へて出で立つ。妹たちも、年ごろ経ぬるよるべを捨てて、この御供に出で立つ。あてきといひしは、今は兵部の君といふぞ、添ひて、夜逃げ出でて船に乗りける。
このことを知れば大夫の監は必ず追ってくるに違いありません。とにかく逃げおおせなければと特別な早舟を用意したのでした。追い風に恵まれ、また海賊に襲われることもなく、思ったより早く淀川の河口川尻についたのでした。ホッとすると同時に、豊後の介は、後に残してきた家族や親族がどんな目に遭っていることかと思って、心配にもなり、また寂しく悲しくもなって涙をこぼしたのでした。原文です。
かく逃げぬるよし、おのづから言ひ出で伝へば、負けじ魂にて追ひ来なむと思ふに、心もまどひて、早船といひて、さまことになむ構へたりければ、思ふかたの風さへ進みて、あやふきまで走り上りぬ。(略)豊後の介、あはれになつかしう歌ひすさびて、「いとかなしき妻子も忘れぬ」とて、思へば、げにぞ皆うち捨ててける、いかがなりぬらむ、(略)心幼くもかへりみせで、出でにけるかなと、すこし心のどまりてぞ、あさましきことを思ひ続くるに、心弱くうち泣かれぬ。
深く考えもせず、姫君を京に連れて行くことだけを思ってここまで来てしまったけれど、京に着いたとて特に当てはないのです。あきれたことをしたものだと今さらながら自分のとった行動を省みるのですが、もうどうすることもできません。京に着いてからの話は次回に回しましょう。
文:岸本久美子
【引用】新潮日本古典集成より
次回第五章 源氏物語を彩る女たち其の二 夕顔の遺児 玉鬘 第二話「うれしき瀬」 2026年7月23日配信いたします。
YouTube動画中の「源氏物語手鑑」につきまして。和泉市久保惣記念美術館デジタルミュージアム許可のもと引用しています🔗